第8話 隠蔽

「ごめん……ごめんなさい……美惑ちゃん……」

 紗々ちゃんは、頬に大粒の涙を零した後、逃げるように自室に戻ってしまった。


「紗々ちゃん! 紗々ちゃーん! 本当にこれでいいの?」

 ドアをドンドンと叩きながら、室内に呼び掛ける。


「間違ってたらごめんね。あの書き込み、紗々ちゃんだよね? ゆうべ、あたしのパソコンからNexにログインしたんだよね?」


 紗々ちゃんからの反応はない。


「これでいいの? これからのステージで、さーやちゃんや亜緒ちゃんと一緒に笑える? ファンに対して、応援してくれてありがとうって、どんな顔で歌って踊るの?」


 もちろん、紗々ちゃんからの反応はない。


 これ以上、出来る事はないのだろうか?

 あたしはドアにぶつけた手をグーに握った。


 胸の奥に、疑念がしこりのように引っかかって不満が増長する。


 悔しいし、情けない。

 このままでは、何の罪もない荒木さんが解雇され、法的措置まで取られてしまうのだ。

 これは事務所の陰謀か。

 はたまた紗々ちゃんの策略か。

 このままでは荒木さんが気の毒だ。


 その場に立ち尽くし、ドアに額を押し付けた。


「美惑さん、こんにちは」


 憔悴した声が背後から聞こえた。

 顔を上げると、黒いビジネススーツを着た荒木さんが、深々と頭を下げている。

「この度は……」


 隣には社長。


「美惑。何してるの? まだ顔色がよくないわ。部屋から出ちゃダメじゃない」


 社長は眉間にしわを寄せて、まるで母親みたいな口調でそう言った。


「はい。あの……」


 さすがに社長のいる前で、真犯人は紗々ちゃんだと言う事はできなかった。


「散らかってますけど、どうぞ」

 そう言って自室のドアを広げた。


 リビングに敷いたカーペットの上に正座して、荒木さんを迎え入れる。


「どうぞ」


 荒木さんは、また深々とお辞儀をして、フローリングの上に正座して両手を付いた。


「この度は、大変ご迷惑をおかけしてもうしわけありませんでした」

 流れるような所作は、職業柄だろうか。

 なんだかお尻がむずむずするような、居心地の悪さを感じる。


 この姿を、紗々ちゃんに見せたい。

 床に額を付けて、謝罪の弁を述べる荒木さんを見て、彼女は何を思うだろうか?


「あの! 荒木さん、顔を上げてください」


 荒木さんは緊張した面持ちでゆっくりと上体を起こした。


「一つだけ訊いていいですか?」


「はい、なんでしょうか?」


「今でも、Sya-Oの一番のファンですか?」


 荒木さんは、目を充血させてすぐに頷いた。


「はい。短い間でしたがSya-Oのマネージャーでいられて幸せでした」


 社長は、腕組みをして、気難しい顔をしている。


「社長、荒木さんと二人で話がしたいんです。申し訳ないんですが、席を外してもらえませんか?」


「え?」


 社長は怪訝そうな顔をしたが、「そう。じゃあ、買い物でもしてくるわ」と言った後、すんなり部屋を出て行った。


 部屋は2人っきりの空間になり、しんと静まり返った。


「辞めちゃうんですか? マネージャー」


 そう訊ねると、荒木さんは清々しい顔で笑顔を作った。


「ええ。田舎に帰ろうと思ってます」


「どこなんですか? 田舎」


「福岡なんです。早良っていう田舎の方ですけど」


「えー! 早良区なんですね。あたしは、博多です」


「ええ。存じてます」


 荒木さんは嬉しそうに微笑んだ。


「そういえば、荒木さんのSNS見ましたよ。毎日、イベントの運営会社やクライアント周りで帰宅は日付が変わってからって。毎日、忙しいんですね」


「はい。昨日はインフルエンサーにSya-Oを売り込むために顔合わせでした」


「帰宅は深夜1時」


「ええ、よくご存知で」


「インスタ、見たので。昨日もオタク系ダンサーのインフルエンサーと打ち合わせだったんでしょ」


「ええ、まぁ」


「だとしたらー、Nexの書き込みしたのは荒木さんじゃないですね」


「え?」


「あたしのアカウント乗っ取ったの、荒木さんじゃないでしょ?」


「いいえ。私です」


「嘘です! Nexの書き込みは、昨夜の22時53分。その時間に事務所に行ってあたしのパスワードを盗んで書き込みする時間は、荒木さんにはないはずです」


 彼女は、腿の上に置いた両手をぎゅっとグーに握った。

 何も言い返さないという事は、認めたって事だよね?


「教えてください、あたしには真実を知る権利があるはずです。事務所の指示ですか?」


「いいえ、それは違います」


 荒木さんは大きく息を吐いて、ふっと肩の力を抜いた。

 そして静かに話し始めた。


「紗々の仕業だと言う事は、すぐにピンと来ました。日頃から、さーやや亜緒の事、愚痴ってましたから」


「じゃあやっぱり。紗々ちゃんに頼まれて罪を被ったんですか?」


「いいえ、違います。これは私自身が決めた事です。こうする事が最善だと思っています」


「でも、それじゃあ、荒木さんが」


「いいんです。Sya-Oが今後も存続して、いつかアリーナでパフォーマンスする姿が見られれば、私はそれで幸せなんです。なので、お願いします。この事は誰にも――」


 荒木さんは再び、深く頭を下げた。


「そんな……」


「お願いします。彼女たちは今が正念場なんです。たった一度の過ちで、これまでの努力を台無しにして欲しくないんです。そのために私が職を失うぐらい、なんてことはないんです。だから、どうか、お願い……」


 荒木さんは何度も床に額を擦るつけるようにして懇願した。


 その時だった。


 ピンポーンとインターフォンがなり、勝手にドアが開いて。


 そこに現れたのは――。


「紗々ちゃん!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る