第4話 疑惑

 本当は嬉しかった。

 良太が来てくれて。

 心配してくれて。

 どうしたらいいのか、考えてくれて。


「この気持ちに 名前をつけて 好きって言えたらいいのに」なんて、デビュー曲『フェイクラブ』のフレーズを思わず口ずさんでいた。


 ガラガラっと保健室のドアを開けた。

 テスト期間中だから、さすがに生徒は誰もいなくて、机に向かって書き物をしているあんずちゃんの背中が見えた。


 あんずちゃんは、ささっと何かを隠した後、養護教諭の顔でこちらに振り向いた。

 何を隠したんだろう?


「はわ? 美惑さん? お腹が痛いのですか? 顔色が悪いのです」


「ううん。大丈夫。1時限目が始まるまでここにいさせて。緊急事態なの」


「緊急? 事態なのですか?」


「そうなの」


 ベッドに腰掛け、かくかくしかじかと大まかに事情を説明しながら、スマホを操作する。


「ふむ。不思議な話なのです」


「うん、そうなの」


 あんずちゃんは、机の上のPCを操作している。

 Nexにアクセスしているようだ。


「昨夜の22時53分の書き込みですね。その頃、美惑さんは何をしていたのですか?」


「んーと、あ! お風呂に入ってた。お隣にSya-Oの紗々ちゃんが住んでてね、洗濯機を貸してあげてた。洗濯が終わるまで……、あ!!!!」


「ん? どうしましたか?」


「いや、なんでも、ない」


 あの時、PCの電源は入れっぱなしだった。

 家に帰って来てから、Nexにログインして反応を確認したのだ。

 と言う事は、あの時、紗々ちゃんはあたしのPCから、あたしのNexにログインし放題だった。


 書き込みの内容は、明らかに紗々ちゃんだけが傷を負っていない。


 普通に考えて、紗々ちゃんのファン、または、紗々ちゃん本人……。

 いや、まさか。

 紗々ちゃんが、そんな事……。


 だとしたら、ファンって事になるんだけど。


 ファンだとして、わざわざ無名のあたしのアカウントを乗っ取ってまでやる事?


 あんなの、裏垢作ればいいだけじゃん。


 どうしてわざわざ、リスクを負ってまで、あたしのアカウントを乗っ取ったの?


 対処が遅れるように、メールアドレスまで変更して……。


「美惑さん?」


 あんずちゃんが、不思議そうに目をぱちぱちさせている。


「どうして、わざわざあたしのアカウントでやったんだろう? あんずちゃん、どう思う?」


「ふむぅ、とっても言いにくいのですけれど、それは美惑さんを陥れようとしているかのように思います」


「やっぱりそう思う? あたし、嫌われてるのかな?」


「嫌われてるというより、嫉妬、かな」


「嫉妬?」


「そう。足を引っ張り合う世界ですから」


「ふわぁ、あたし、向いてない……かも」


「そういう世界でこれから美惑さんは生きていくという事なのです」


 あんずちゃんはそう言って、クルリと回転椅子を回して背を向けた。

 かと思ったら、またすぐにこちらを見た。


「または! なんらかの思惑があったとか?」


「思惑?」


「美惑さんのアカウントはもう既にフォロワーが8万に達しています。とんでもない勢いなのです。この勢いに乗っかっての、売名、とか?」


「売名??」


「少なくとも、ちゃお? しお?」


「シャオだよ」


「そうそう、シャオ3人分よりも拡散力があるのです」


「ふむふむ」


「この件で、Sya-Oというアイドルは一気に有名人。Sya-Oって何? って思ってた人も、検索して彼女らの事を知ったと思うのです」


「なるほど。少なくともあんずちゃんは、Sya-Oの名前覚えたもんね」


「そういう事なのです。ほら、ネットニュースにもなってます」


「えええええ???」


「サンタピエールプロダクションからデビュー予定の新人アイドル黒羽美惑。同事務所の先輩アイドルであるSya-Oのメンバーを誹謗中傷、だって」


「げげげげーーー。うわぁん、どうしよう、あんずちゃん」

 体中の毛穴という毛穴が一気に開いて汗が噴き出す。


「もう、テストどころじゃないよ。あたし、眩暈してきた」

 ずぶずぶと沼に引きずり込まれるような感覚が襲って来て、呼吸が苦しくなった。


「ショックな事があると、人は眩暈を起こすのです。場合によっては気を失う事もあるのです。今日は休むべしです。テストはまた後で受ければいいのです」


「ありがとう、あんずちゃん」


 気を失いかけて、思い出す。


「寝てる場合じゃなかった。インスタ更新しなきゃ」


「私に任せるのです」


 あんずちゃんはそう言って、あたしの手からスマホをひったくった。


「この度は、お騒がせして申し訳ありません。Nexでの書き込みの件について……」


 あんずちゃんはぶつぶつと呟きながら、スマホを操作している。


 その光景がぼんやりと歪んで、あたしは意識を手放した。


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