第6話 美惑の誤算。しかし進め!前へ!!
Side—美惑
ベンツの後部座席に座り、流れる景色を見ていた。
あおあおと茂った街路樹の向こう側には、休日で閑散とした幼稚園。
この園に良太は通っていたのよね。
子供たちの笑い声が溢れかえる小さな公園。
子供の頃、良太がよく連れて行ってくれたっけ。
この公園、こんなに小さかったんだ。
ようやく馴染んだこの町とも、お別れ。
良太は、何も言わずに去ったあたしがいた部屋を見て、何を思うのだろうか。
アルバムを見て、楽しかった日々を思い出してくれるといいな。
寂しくて泣いちゃうかな?
泣いちゃえばいいのに。
復讐の作戦は、新学期初日から始まっていた。
いのりと雨音が付き合ってると良太に吹き込み、いのりへの復讐を持ちかける。
偽装でもいい。彼女になれば自然と距離は近付いて良太の気持ちはあたしに傾くはずだった。
デビューは夏ごろ、というのはぼんやり決まっていたから、そのタイミングで良太をふる。
良太は急に消えたあたしの事が気になって、本当の恋になって行くはずなのだ。
よく言うじゃない。会えない時間が愛を育てるって……。
でも、どうして?
寂しくて、悲しくて仕方ないのはあたしの方だった。
距離が近付いた事で、更に想いが増して苦しくなったのはあたしの方……。
もう、逢いたい。
良太に逢いたい。
良太が他の人の彼氏になるなんて、絶対にイヤ!
「美惑? どうしたの? あんた、泣いてるの?」
ぶんぶんと首を横に振って見せる。
「目にゴミが入っただけなので、大丈夫です」
「そう? こんなに急がなくてもよかったのよ。週末までに引っ越せば」
サンタ社長は傷を負った飼い猫でも見るような目であたしを見つめている。
「いいんです。今日、この時がベストタイミングです」
「そう」
隣に座る、がたいのいいスーツ姿のおじさんは、事務所の社長で、ピエール
日本人だけどピエールだし、男だけど、おねぇ口調なのだ。
この人に、あたしはスカウトされ事務所に入った。
スカウトと言えば、渋谷や原宿をイメージするかもしれないが、あたしがスカウトされたのは福岡の博多駅前。
中学3年生の夏休みだった。
「あなた、アイドルになってみない?」
そりゃあ、最初は怪しいと思ったよ。
でも、名刺を見てびっくり。
そのおじさんは、サンタ・ピエールプロダクションの社長だったのだから。
サンタプロと言えば、アイドル専門の芸能事務所。
押しも押されぬ大手のプロダクションだ。
「サンタプロの社長さんなんですか?」
「そうよ。レッスンだけでも受けてみない?」
夢のようだった。
まさかこんな所で、サンタプロの社長にスカウトされるなんて。
「あ、あたし、アイドルになりたいんです!」
正に運命の出会いだと思った。
社長はやたらと面倒見がよくて、数回レッスンに通っただけのあたしを、文化清松学園に推薦してくれた。
社長は学園に毎年多額の寄付をしているそうで、あたしは大した努力もしないまま、良太と同じ高校に入学する事ができたのだ。
デビューまでは、幼馴染の家で暮らしたいというあたしの我がままには、渋々OKしてくれて「少ない時間になるかも知れないけど、思う存分青春を楽しみなさい」と言ってくれた。
「ちゃんと、身辺整理はできたの?」
「身辺整理?」
「そうよ。身辺整理よ。男の影なんて持っての外。あなたはもう一人前のアイドルになるんだから、恋人はファンよ。アイドルたるもの、恋愛禁止。他に彼氏がいるなんて事は」
「わかってます。大丈夫です」
「あ、あらそう。これからいい事言う所だったのに。わかってるならそれでいいわ。さて着いた」
事務所の場所から数メートル先にある8階建てのワンルームマンション。
周囲は植樹で囲まれていて、まるで隠れ家のよう。
真っ白い外壁にオートロック付き。
「最上階の部屋は全部うちが貸し切ってるから安心なさい。全員地方出身の若手タレントが入ってるの」
社長は慣れた手つきでオートロックを解除して分厚いガラス扉をくぐった。
「眺めはあまりよくないけど、日当たりはまぁまぁよ」
「ありがとうございます」
社長は私が敬語で話すたびに、なぜか複雑そうな表情を見せる。
「美惑。がんばるのよ。あんたはね、アイドルの神様に選ばれた子なの。アイドルになるべくして生まれて来たの」
そう言いながら、部屋の扉を開けた。
「うわぁ」
初めて一人暮らしをする部屋は、白基調の内装に、カラフルなピンクや黄色のインテリアが揃っている。
「電化製品も全部揃ってるわ。何か不便があったらアタシに電話しなさい」
「社長、ありがとうございます」
社長はなぜかグズっと鼻を啜って、背を向けた。
「学校は、佐伯が送り迎えするから。あ、佐伯っていうのは運転手よ。お勉強もほどほどに頑張りなさいよ」
「はい。社長。これから、益々頑張るので、よろしくお願いします」
社長はついにハンカチで目頭を押さえた。
「社長? なんで泣いてるんですか?」
「あ、アタシったら。年とったら涙もろくなっちゃって。美惑の大きくなった姿を見たら泣けてきちゃって」
そう言って、社長は盛大に鼻をかんだ。
大きく?
中学3年から身長は殆ど伸びてないけど?
胸はけっこう成長したかな。
社長が涙もろいのはよく知っているが、泣き所は不明。
「さ、5時からメンバーの顔合わせよ。体育祭で疲れてるだろうけど。あ、それと、音源渡しておくわ。感のいい美惑の事だから、すぐ覚えると思うけど、一応ね」
そう言って、メモリースティックを差し出した。
きゅっと身が引き締まって、背筋が伸びる。
「はい。ありがとうございます」
社長は真っ赤な眼で頷き、部屋を出て行った。
窓辺の机には、新品のノートパソコンが乗っている。
あたしはいても立ってもいられず、それを立ち上げた。
メモリースティックを差し込んでミュージックファイルをクリック。
タイトルは『フェイクラブ』
音源を再生。
アップテンポでポップなリズムは、勝手に体が動き出すほど馴染みやすい。
前奏の後、歌詞が流れる。
♪陰キャな君がヒーローで 笑う度 ツンデレがざわつく
ずっと側にいたはずでしょ
知らなかったよ君が
実は王子様 のフェイクで
フェイクラブだって ドキドキで
幼馴染のボーダーを 超えたいけれど怖くて
君が変わった 世界を色付けて
幼馴染から恋人へ 一歩踏み出し
ちゃんと作ろう 二人だけのストーリー
やだ、何? この歌詞。
ラブコメみたい。
そっか。あたしたちのグループのコンセプトは、ラブコメから飛び出して来たヒロインたち、だから。
なんだか良太の事、思い出しちゃうな。
真っ新な机の上に、ぽたりと涙が一粒こぼれた。
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