第5話 さよなら美惑
Side—美惑
窓越しに生徒たちの喧騒が聴こえる。
「お知らせします。後10分で午後からの部を開催します。生徒たちは待機テントに集合してください」
そんなアナウンスを、一人教室で聴いていた。
体操服から制服に着替え、窓際の一番後ろの席に座り、頬杖をついて、校庭を眺めている。
反対側の校舎から、良太が出て来たのが見えた。
その両隣には、いのりと桃地先生。
楽しそうに微笑み合って、突き合って、じゃれ合って……。
あの二人は、良太の彼女なんだよな。
あたしはもう、彼女じゃなくなったんだよな。
もう、あの光景に傷つく事もやきもきする事もないのだ。
もう、彼女じゃないのだから。
別になんて事はない。
元の幼馴染に戻っただけ。
戻った……だけ。
あれ?
あたし、なんで涙なんて流してんだろう?
「うう……、うーーー!! んもーーーっ!!! うわぁーーーーーーー」
机に突っ伏して、声を張り上げた。
「うえーーーーーん、あああーーーーん」
我ながら酷い泣き声だ。
「これで本当によかったのか?」
いきなりそんな声が頭上から降って来た。
良太?
いや、雨音だ。
「ふ、ふん。グズン、いいに、ヒック、決まってるでしょ、ううっ……」
「別にあんな方法で別れる事なかったんじゃない」
「ううっ、ああでもしないと、グズン、ふっきれないんだもん。それに、ちゃんと改まって、さよならなんて、言いたくない、グズン」
そう。
雨音に告白されたなんてのは真っ赤な嘘だ。
二人三脚が始まる少し前の事だった。
スマホに事務所の社長から着信があり、留守番メッセージが入っていたのだ。
『美惑! デビューが決まったわよ。8月8日末広がりの日にシングルリリースよ。忙しくなるわよ。レッツエンジョイよ〜。隙を見て連絡ちょうだい』
あたしはあっちの世界へ行かなくてはならないのだ。
恋愛禁止の世界へ。
「素直に言えばいいものを」
「だって悔しいじゃない。あたし、良太に一回ふられてるのよ。最後はあたしからふりたかった」
「仕返し?」
「復讐よ。良太だって悲しむべきよ」
この計画を雨音に頼んだのだ。
いのりの件で、良太に少なからず恨みを抱いていた雨音はすんなりと引き受けてくれた。
「まだ、いのりの事好き?」
雨音に訊いた。
「ああ、好きだよ。他の男たちと同じくらいのテンションで好き」
「他の男たちと同じぐらいのテンションか。それは本気の恋じゃないよ」
「ああ?」
「私は誰よりも良太が好き。それだけは自信あるんだ。気持ちだけは絶対に誰にも負けない」
「ふぅん。どこがいいの? あんなやつ」
「夢が芽生えた時、5歳ぐらいだったんだけど、一番最初に良太に話したの。あたし、アイドルになりたいって。その時にね、すっごく喜んでくれて、すっごく応援してくれたの。美惑は世界で一番かわいいから、世界一のアイドルになれるぞって。俺は一番目のファンになって一番前の席で応援するんだ、なんて言ってくれたんだ。きっと良太は、忘れてるんだろうな」
「忘れてるでしょ、あいつ」
「それでもいいの。あたしが覚えてるから」
「そっか。まぁ、芸能界頑張れよ。俺も応援してる。クラスメイトとして」
「うん! ありがとう」
「もう、行くのか?」
雨音はあたしの帰り支度に気付いたようだ。
「うん! もう行かなきゃ。社長が迎えに来るの」
「そっか。じゃあ、俺は体育祭に戻る」
「うん。協力してくれてありがとう。バイバイ」
雨音は無言で右手を挙げて、教室を出て行った。
◆◆◆
Side—良太
午後からの日差しはヤバかった。
なんだかんだでクタクタだ。
熱中症気味の頭はぼーっとする。
全てのプログラムは終了し、下校となり一人帰宅した。
いつも帰り支度をする頃には、美惑が必ず俺の前に現れていたのに、今日は静かなもんだ。
午後からは姿さえ見当たらなかった。
いのりは写真部の部員たちと、写真を撮りに行くらしく、俺は久しぶりに一人で家路に着いた。
「ただいま」
玄関に入ると、なんだかがらーんとしているような気がした。
特に何も変わっていない。
変わっていないにも関わらず、なんだか何かが足りないような、ぽっかりといつもの空間に穴が空いているような、不思議な感覚に囚われていた。
「良太! おかえり!! あんた、一番だったわね!」
玄関に駆け付けた母が、開口一番、嬉しそうにそう言った。
「ああ、そういえば、そんな事もあったっけ」
「背中に、何書いてたの? なんて書いてるのか全然読めなかったわ」
「ああ、なんでもない。気にしなくていいよ」
「そう。顔が赤いわね。水分とりなさいよ」
「うん。美惑は?」
「美惑ちゃん? あら、あんた聞いてないの?」
「何を?」
「美惑ちゃん、デビューが決まったのよ。2時頃だったかしら。事務所の社長さんと一緒に帰って来てね。今日から事務所が準備した寮に寝泊まりするんだって」
「はぁ?」
俺は急いで二階に上がり、美惑の部屋を開けた。
がらーんとしていた。
「美惑……」
美惑の服も、本も、教科書も、ぬいぐるみ達も、美惑の私物が何もかも無くなっている。
「なんで」
なんで、俺に何も言わずに?
「なんでだよーーーー!!!」
机の上に、何やら青いの本のような物が乗っている。
開いてみると、アルバムだった。
産まれたばかり赤ちゃんの頃から、つい最近の物まで収められていてその全てに俺が写っている。
覚えているシーンから、もう忘れてしまっていたシーンまで。
全部置いて行くという事なのか?
俺との思い出は、もういらないというのか。
あれ? 俺、なんで泣いてるんだろう?
あんた形で終わるなんて、嫌だ。
ちゃんとしたさよならを。
頑張れって言葉と共に伝えたかったのに。
美惑の夢へのスタートを、一緒に喜びたかったのに。
俺はその場に座り込み、しばらくの間、沈んで行く夕日を、ぼーっと眺めていた。
いつの間にか日が暮れて、ヘッドライトと共に車輪が砂利を踏む。
杏ちゃんだ。
杏ちゃんが帰って来たんだ。
そう認識して暫くすると、インターフォンが鳴った。
「はーい! あら、桃地先生、お帰りなさい。どうなさいました?」
母の声の後。
「あのー、来ないのです」
「へ?」
「来るべき物が来ないのです」
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