第2話 ファーストキス

 Side—美惑


 カリキュラムは5番まで進み、15分の休憩の後、いよいよ男子100メートル走だ。

 女子800メートル走を同時にゴールしたあたし達は、特に揉める事なく、全員が手に油性マジックを握った。


 良太が『3人とも彼女にする』と宣言したあの日から、2週間が経っている。

 ライバル意識がなくなる事はないが、仲良くショッピングに行ったり、いのりの部屋でご飯を作ったり。

 あたし達は、そんな風に過ごせるようになっていた。


「全員同着じゃ仕方ないわね」

 あたしの声に、二人はうんうんと頷く。


「いのりさん、足は大丈夫そうですか?」


「うん。もう大丈夫」


「じゃあ、待機テントまで走れる?」


「うん。走れる」


 いのりはガッツポーズを見せた。


「良太が逃げたら、取り押さえるのよ」


「「ラジャー」」


 ダダダーーっ!!!!


 良太が上半身裸で、水分補給している隙を狙い、あたしは正面から抱き着いた。


「うへ? 何? なになに?」


 怯える良太。


 なんだなんだと、ざわつくギャラリー。


 先ずは桃地先生が『杏』と書く。


「ええええええーーーー??? 桃地先生が……リョータの彼女って事?」


 男子達の顔が青ざめる。


「へ? 何? 何やってんの?」


 続いて、いのり。


「うんしょ、うんしょ。ハイ、バトンタッチ」


「はぁー? どういう事だ? 一体?」

 もはや、ギャラリーは血の気を失いかけている。


「次はあたしの番ね」


 二人が良太を両脇から抑えて。


「おい、おい! どういう事だよ」

 と、慌てる良太の背中に、『美惑』とサインをした。


「え? なに? もしかして3人とも書いたの?」


「そうよ」


「寄せ書きじゃないんだからー」


「おい! リョータ! 一体どういう事なんだよぉ」

 今にも良太に襲い掛かりそうなクラスメイトに教えてあげる。


「あたし達、良太の彼女なんだよ」


「は、はあああああーーーーー???」

 ワナワナと震え、ヘナヘナと座り込んじゃった。


「うふふ、100メートル走、頑張ってね、良太。ファーストキスがかかってるんだから」


 耳元でそう囁いた。


「へ? ファーストキス?」


「そう。みんなそれぞれ良太が何位でゴールするか予想したの。当てた人が良太のファーストキスをもらう」


「誰も当たらなかったら?」


「誰も当たらなかったら、次の機会に持ち越し」


「そ、そっか。みんな、何位に予想したの?」


「それは内緒だよ。まぁ、あんまり気にせず、いつも通りに頑張って」


「う、うん。わかった」


「最低でも、雨音には負けちゃダメよ」


「いやぁ、っていうか、あいつが一位だろ。俺はたぶん中盤ぐらいでゴールするんじゃないかな」


「ダメ! これまでたくさんトレーニングしてきたんだから、全力出してよね」


「わかったよー。全力で頑張るよ。俺も雨音に負けるのはイヤだしな」


 因みに、あたしの予想は1位。

 いのりは、4位。

 桃地先生は、2位と予想。

 それは、良太には秘密にしておく。

 どちらにしろ、これまでの良太だったら、せいぜい5位。

 出来レースなんて無理だけどね。


「カリキュラム6番。2年生男子全員による100メートル走です。2年生男子は――」


 放送と同時に、両腕を大きく回しながら、良太がスタートエリアへと歩き出す。


 本人はあまり自覚がないようだが、周囲の男子達は、良太の背中を見て後ずさりしている。


 雨音がずんずんと良太に近付いて、ドンと肩を押した。


「おい。どういう事だよ」

「あー? 何が?」

「背中だよ背中!」


 そういう雨音の背中に、女の子の名前はない。


 おっと忘れてた。

 あの日、良太がいのりに告白された日。

 あたしは二人三脚の練習後、雨音に『白川さんって、雨音君の事好きみたいだね』って言ってたの忘れてた!


 あの日、雨音はいのりに告白するつもりだったのだ。


 かわいそうな事しちゃったな。

 後で訂正しておいてあげなきゃ。


「次、りょう君走るわよ」

 いのりがあたしの肩を叩いた。


「うん! 応援しよう!」


「りょうくーーーーん、頑張ってーーー」


「良太ーーーー、頑張れーーー」


「美惑ちゃん、クラス違うのに応援しちゃっていいの?」

 いのりが無表情でそんな事を訊く。


「いいのいいの。こっちはファーストキスかかってるんだからね」


「位置について、よーい」


 バン!


 ピストルが白煙を上げた。


「がんばれーーーーー!! がんばれーーーーー」


 先頭はやっぱり雨音か。

 良太はどうにか、差を付けられない程度には追いかけている。


「すごいすごい! 良太ーーーー!!」

「いっけーーーーーー!!」


 一瞬、こっちに気を取られた雨音は、なんとコーナーで転倒。


「あ!」

「へ?」


「A組の双渡瀬君、早いです、こんなに早い彼を未だかつて見た事があったでしょうか? 背中には3人の女神が名前を連ねています。これは、女神マジックかーーーー!!

 一位----!! A組、双渡瀬君。続いてC組、堂嶋君。D組大山君の順でした」

 実況放送に会場はどよどよと、変なざわつきを見せていた。


「やったーーーーーー!!! やったーーーーーー!!」

「よかったね」


 いのりは複雑そうな表情。

 けど、勝負は勝負だからね。

 良太のファーストキスは、あたしのもの!


 ゴールエリアに座り込んでいる良太に向かって走った。


「良太ーーーーー!! おめでとう」


 飛びついた拍子に良太は仰向けに倒れ込んだ。


「お、おい。美惑」


 仰向けの良太の上にかぶさって、顔の横に両手を突いた。

 驚く良太の顔を見降ろしながら


「あたしの勝ち」


「へ?」


「あたし、一位って予想してたんだよ」


「ま、まじか」


 周囲はざわざわと騒ぎ出す。


「ここでするわけにはいかないから、後で……え?」


 下で仰向けになっている良太が、突然すごい力であたしを引き寄せて。


 唇が重なった。


「んちゅ?」


 割れんばかりの周囲のパニック音は段々と薄れて、五感が麻痺していく。

 ただ、温かな雲の上で良太と二人っきりの世界にいるような感覚に陥って。


 唇を重ねたまま、良太の手と手を合わせて、指を絡め合った。


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