春―⑤

第1話 ヒロインレース in 体育祭

「皆さん、おはようございます」

 特設ステージに立った校長は、流暢に空で覚えているであろう定型文を読み上げる。


「今日は、文化清松学園の伝統ある体育祭にお集まりいただき、ありがとうございます。まずは、この素晴らしい行事の準備に尽力してくれた先生方、生徒の皆さん、そしてご家族の皆様に、心から感謝申し上げます。本日は晴天に恵まれ――」


 文化清松学園の体育祭に、保護者の参加はない。

 以前は早朝から校門前に、大掛かりな弁当を持った保護者が、行列を作り場所取りをするのがお馴染みの光景だったらしいが、コロナの影響から体育祭の様子はYouTubeでライブ配信されるのが、通例になったのだとか。


 俺が入学する前からそうだったのだから、俺にとってはこれが通常運転の体育祭である。


 この日に向けて、トレーニングを積んだお陰で、俺のししゃもみたいだった体は、腹筋が育ち、人目に晒しても恥ずかしくない程度には仕上がっている。


 学園三大美女の美惑、いのり、杏ちゃんが、3人とも俺の彼女になったなんて衝撃的なニュースはまだ誰も知らない。

 相変わらず彼女らの周りには、邪な男たちが跋扈していて、俺は気が気じゃない。


 俺は彼女たちを、ちゃんと平等に愛せているだろうか?

 寂しい想いや悲しい想いをさせてはいないだろうか?

 そんな不安は常に付きまとっている。


 そして、今日の体育祭。

 俺たちにとってのメインイベントは、女子800メートル走と、男子100メートル走だ。


 そう、男子100メートル走では、男子が全員上半身裸で走る。

 その背中には彼女の名前を背負うという、なんとも不都合な文化が、この学園には脈々と受け継がれているのだ。


 まさか三人の名前を書くわけにはいかないので、一人を決めなければならない。

 決めるのは俺じゃない。

 彼女達だ。


 彼女達がどうやってその一人を選出するのか。

 それは女子800メートル走にかかっているという……。

 3人のうちで一番早くゴールした者に、その権利が与えられるのだそう。


 俺はその勝敗を見届けるべく、最前列で応援する事にする。


 校長の長い話はすっ飛ばすとして、早速、女子800メートル走の様子をお伝えしよう。



 選抜された選手が横一列に8人が並んだ。

 2レーンに美惑、3レーンにいのり、8レーンに杏ちゃん。


「位置について、よーい」

 バン!

 空砲が白煙を上げた。

 一斉にスタートして、全員、好調な走り出し。

 3人は前方に、美惑、いのり、杏ちゃんの順で並んでいる。

 3人に笑顔はなく、序盤から飛ばし過ぎじゃないかと言う程、ハイペースだ。


 本校のトラックは200メートル、

 なので、4週走る事になる。


 1週目で美惑がややペースダウン。

 いのりが追い上げる。

 杏ちゃんは、二人に大きく差を付けられ最後尾だ。


「桃地先生ー、頑張れーーー」


 俺は、杏ちゃんを応援した。


 その声が聴こえたのかこちらに向かって手を振って応える。

 ざわつく応援席。

「先生ー、桃地せんせー! 頑張れー」

 と他の生徒も声を上げ始めた。

 愛想よく歓声に手を振り、ややペースを上げる杏ちゃん。


 3週目、4週目と3人とも順調に走り抜き、先頭をキープしているのは美惑だ。

 3人の中だけじゃない、8人の選手の中でもトップ。

 B組の応援席は沸いていた。


「美惑ちゃーーーん。頑張れ! 頑張れーーー」

 という声援に、美惑は愛想を振りまく余裕はないらしく、若干苦しそうに脇腹を抑えながら足を前に出す。


 その脇を、いのりが抜いた。

 しばし接戦。


 どっちだ?


 美惑か、いのりか?


 負けじとスピードを出す美惑。

 その時、美惑がいのりの体操服を引っ張った。

 その拍子に、いのりが転倒。


 応援席がざわついた。


 美惑のラフプレイにみんな気づいていないのか、B組では美惑コールが沸き上がる。


「み・わ・く! み・わ・く」


 いやいや、ちょっと待て。

 あれはダメだろう。

 いのりは悔しそうに、地べたで拳を握った。

 応援しなきゃ、いのりを応援しなきゃ。


「いのりーーーーー、頑張れーーーー」

 俺は声を張り上げた。


「いのりーーーーー! 頑張れーーーーー」

 その時だ。


 先頭を走っていた美惑が、一瞬、こちらに視線を送り、立ち止まった。


 応援席の歓声はどよめきに変わる。

「何やってんだよ! 走れ! 行けよ!」

 野次を飛ばす者まで現れる。


 美惑はなんと! 背後を振り返り、まだ立ち上がる事が出来ずにいるいのりの元へと引き返したのだ。

 そして、手を貸した。


「大丈夫?」

「どういうつもり?」

「ついムキになった。ごめん」


 そう言って、いのりの腕を引き上げ、立ち上がらせたのだ。


「え?」


 応援席からは拍手と歓声が沸き起こった。


「み・わ・く! 、み・わ・く」

 再び美惑コールが沸き上がる。


「いのりさん、ハァハァ、大丈夫ですか?」


 それに、後ろからやって来た杏ちゃんが加わった。


「先生。どうして? 行きなよ」

 美惑が叱咤するような声を上げた。

 このままゴールまで突っ走れば、間違いなく杏ちゃんの勝利なのだ。

 しかし、杏ちゃんは、激しい呼吸を繰り返しながらも、優しい笑顔湛えてこう言ったのだ。

「私はハァハァ、保健室のハァハァ、先生なのです。ハァハァ、怪我をした生徒を、放っていくわけには、ハァハァ、いきません」


「……バカね」

 美惑は観念したように、いのりの右手を杏ちゃんに託した。


 左から美惑、右から杏ちゃんが、足を引きずるいのりを支え、3人同時にゴールへと向かって、ゆっくり走り出した。


 美惑は少し気まずそうに、いのりはなんだか嬉しそうに、杏ちゃんはとっても嬉しそうに。

 それぞれ、晴れやかな顔でゴールラインを超えた。


 いやぁ、感動的な、いい闘いだった。


 が、しかし。


 いのりの足は大丈夫か?

 これから、二人三脚があるのだが……。


 いや、そんな事より!! 俺の背中は一体、誰の物になるのだ?

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