第6話 俺の運命はどれだ?

 どれぐらいの時間、その場に立ち尽くしていただろうか。

 辺りはもうすっかり暗くなって、ポケットの中でスマホが何度目かの着信を知らせていた。


 俺、何やってんだ?


 白川は言った。

 ――ずっと、好きだった。好きって気持ちがもういっぱいいっぱいになっちゃって、伝えずにはいられなかったんだ。じゃあね、バイバイ


 なんで追いかけなかったんだよーーーー!!!!

 バカ! バカ!! 俺のばかやろーーーーーーー。


 俺は今さらのようにその場を駆け出し、白川の残像を追った。


 行先なら同じ方角だ。


 伝えなきゃ!

 俺も白川が好きだって、伝えなきゃ。


 川の流れに逆らうように、アスファルトを蹴った。


「白川さーーーん。俺も君が大好きだぁぁぁあああーーー」


 大声でそう吐き出したら、今まで溜まっていた物が一気に開放されたように、胸がスッキリした。

 と同時に、ある疑問が脳内に浮上する。


 ちょっと待てよ。

 じゃあ、なんで彼女は雨音と付き合ってるんだ?


 歩幅はやや小さくなり、徐々に失速する。


 もし、今ここで俺が彼女の想いに応えた場合、略奪? NTR?

 って事は、間男?


 俺、間男になっちゃうじゃないかよ!


 いやだ、そんなのはイヤだ。


 あっぶな。


 うっかり間違った道に進む所だった。


 あ、そう言えば、電話……。


 スマホのスクリーンにはたくさんの不在着信。

 相手は【美惑】。


「もしもし、美惑?」


『良太! なんしよーと?』


 ふぇっ。汎用性の高い博多弁「なんしよーと」に、なぜかきゅんとしてしまった。


「あー、学校にうっかり忘れものしちゃって……えっと、うん、それだけ」


『なんで白川さんも一緒に引き返したの?』


「あー、えっと、改札の抜け方がわかんなくて、そしたら白川さんが一緒に来てくれたんだ」


『ふぅん』


「あれからどうしてた? 雨音、怒ってなかったか?」


『雨音? 必死で白川さんに電話してたみたいだったけど、繋がらなかったみたい』


「そ、そっか」


『白川さんと何かあったの?』


「え? いいいいいいいや、なななななななにも。美惑は? これからレッスン?」


『うん。今から行くところ』


「そっか、気を付けてね。あんまり無理するなよ」


『うん。ありがとう。良太、大好き』


 プツっ。


 その時だ。


 プップーとクラクションの音が響いて、ピンクの軽自動車が俺の横でスピード落とした。


「あ!」


 この目立ちすぎる車は――。


「良太くーん! こんなところで会ってしまうなんて、……ロマンティックなのです」


「桃地先生」


「乗るのです。おうちまで一緒に帰るのです」


「いや、電車で帰るんでいいですよ」


「ついで、なのです。一人より二人が楽しいのです」


「そっか……、じゃあ、お言葉に甘えて」


 先生は今にも星が降ってきそうな笑顔を湛えて、うなづいた。

 後部座席は荷物で埋もれていて、俺は助手席に乗せてもらう事にした。


 ち、近い。

 軽自動車の運転席と助手席って、こんなに近いのか。


「どうしたんですか? 浮かない顔をしています。悩みなら、なんでも先生に相談するのです」


 先生の透き通った声は、俺の不安定な心にすーっと浸透して包み込んだ。

 思えば、恋の相談なんて誰にもできない。


 先生になら、話してもいいだろうか?


「二人の女の子に同時に好きって言われたら、どうしたらいいんでしょう?」


「うふふ、幸せな悩みなのです。良太君はどっちの子が好きなのですか?」


 そりゃあ、好きなのは白川だ。

 けど、美惑は生まれた時から俺の人生に関わっていた大切な幼馴染。

 不思議な事に、これまでの美惑の強行のせいか、美惑にドキドキしてしまう自分もいる。

 そうか、だから俺はあの時、白川の気持ちを素直に受け取る事ができなかったんだ。

 だから俺は、彼女を追いかけなかったんだ。

 追いかけて、俺も好きだって、言う事が出来なかったんだ。


「正直、どっちも大切な存在には変わりなくて、傷つけたくなくて、どうにか幸せにしてあげたくて」


「優しいのですね」


「優しいっていうのかな? 先生だったらどうする?」


「私は……私の気持ちを大事にします。運命を信じます」


「運命……」


「他の人に、どんなに好きって言われても、好きな人が例え自分に振り向いてくれなくても、私の好きは一つだけなのです」


「一つだけ……」


「さぁ、着きました」


 シートベルトを外して、車外に出ると


「はいこれ」


 桃地先生は小さなピンクのタッパーを差し出した。


「特製はちみつレモンなのです。国産のレモンとはちみつで漬けました。体育祭の練習で疲れてるでしょ。ビタミンCは疲れを取ってくれるのです」


「え? 俺のために?」


 先生は笑顔をきらめかせてうなづいた。

 急に俺の耳に顔を寄せて


「君は、私の、運命の人だから」


 そう言って、頬を赤く染めたのだ。


「へ? え? なにそれ?」


「はわわ。好きが溢れちゃいました。お休みなさい」


 そう言って、逃げるようにアパートへと向かった。


 またまた頭が混乱する。


 俺が、桃地先生の運命の人?

 ええええーーーーーー、荷が重すぎるーーーーー!!!


 タッパーから漏れ出す甘酸っぱい匂いに包まれて、これが桃地先生の匂いだと気付いた。

 もしかして、俺のためにずっとこれを……?


 蓋をあけて、一枚つまみあげ、頬張った。


 きゅんと粘膜に刺激が走り、咀嚼するたびに口いっぱいに広がるはちみつの甘味。

 喉の奥までぎゅっと締め付けられて、痺れるほどの苦みが舌の上に残った。


 レモンの余韻が、先生との記憶を連れて来て、これは特別な感情だと教えている。


 甘い。甘くて酸っぱくてほろ苦い。


 これは、恋?


 恋なのか?


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