第6話 小悪魔と聖女と雪の女王

 Side—白川いのり


 夕月駅は、その駅名の通り、とてもきれいな夕焼けで覆われていた。

 マンションの窓には白色灯の灯りがぽつぽつと灯り、今にも子供たちの笑い声が聞こえてきそうだ。


 勇気を出して、一歩一歩。

 担任の先生から教えてもらった住所を辿る。


「ここかな」


 シンデレラレジデンスと看板を掲げた可愛らしい4階建てのマンション。

 もしかしたらアパートというのかもしれない集合住宅にも、黄色い灯りが灯りはじめていた。


 すーっと大きく息を吐いて、玉砂利を踏む。


 アパートと向かい合わせのように佇む、大きく立派な一戸建て。

『双渡瀬』と筆文字の表札が目に付いた。


「ここか」


 門に備えられているインターフォンを押す。


 ピンポーン。


『はーい。どなた?』


 お母さんらしき人の声がスピーカーから聞こえた。


「初めまして。双渡瀬君と同じクラスの白川と申します。授業のノートを持ってきました。双渡瀬君の具合はいかがですか?」


『あらあら、わざわざ。ちょっと待ってね。すぐに行かせますね』


 ドクンと心臓が疼く。


 もう、体調はいいのだろうか?

 迷惑がられたりしないだろうか?

 震える手を抑え込むように、ぎゅっとノートを抱きしめた。


 ガチャっとドアが開き

「何しにきたと?」


 顔を出したのは、黒羽美惑。


「え?」

 どうしてここに彼女が?


 その背後から、転がるようにして双渡瀬君が現れた。


「あ、あ、あの、白川さん!」


 美惑を押しのけるようにして玄関の外に出て来た彼は、思いのほか元気そうで安心した。


「そっか。付き合ってるんだよね。あの子と」


 いつも彼の隣にはあの子がいた。

 学校でも、街でも、朝の通学電車の中でも――。

 その光景を見たくなくて、私は一本早い電車で学校に行き、誰もいない校舎の写真を撮るのがこの頃の日課になっている。


「え? あー、う、うん! 実はそうなんだ」


 もしかして、あの花火大会の時も一緒だったのかしら。

 私が気付いてなかっただけで。


「そう。これ」


 私は今日一日の授業のノートと、途中で買ってきたグレープフルーツゼリーを差し出した。


「テストに出そうな所に付箋貼ってる。グレープフルーツ好きじゃないかも知れないけど、風邪にはビタミンCがいいから」


「うへ? へ? え? 本当に? あ、ありがとう」


 このたどたどしい態度は一体なに?


「熱はもう下がった?」


 私はできるだけにこやかに、そう話しかけた。


「うん。もうすっかり平熱」


「そっか、よかったね。じゃあ、私はこれで」


 彼に背を向ける。


「あ、ちょ、ちょっと待って」


 心臓がどくんと跳ねて、足が止まった。


「何?」


 振り返らずに、そう声を発すると「あの、どうして?」と訊いた。


「何が?」


「いやぁ、どうして、こんなノートとか持って来てくれたのかなって」


 私は意を決して振り返った。


「だって、クラスメイトじゃない。それに私、学級委員だし。それに、通り道だったから」


「そ、そっか。わざわざありがとう」


「うん、じゃあね」


「あ、ちょっと待って!」


「ん?」


「どうして、その……」


「まだ、なにか?」


「どうして、俺にだけ、笑ってくれるの?」


 かーっと頬が熱くなる。


「そうだっけ? そんなつもりないよ。私は笑いたい時に笑うだけ。たまたまだよ」


「そ、そっか。そうだよな」


「うん。じゃあ」


 いいの? これで。


 本当にもうさよならでいいの?


 せめて、あのハンカチを渡したい。

 あの時の男の子だよね? って。


 運命を分かち合いたい。


「あのね、双渡瀬君」


「う? うん」


 スカートのポケットに手を入れて、あのハンカチをぎゅっと握った。


 お願い気付いて。

 君は私の運命の人なの。


「中学の時ね……」


「あらー? はわわ? あなたは、うちの学校の、えっとー、お名前はなんでしたっけ?」


 突如現れたのは、上下ピンクのスウェットに身を包んだ養護教諭の、桃地先生だった。


 学校の男子達の間では、聖女様と呼ばれ愛されている模様。保健室は密かなパワースポット状態で、彼女はかなりの人気者だ。

 昼休みは仮病を使った男子達で行列ができるほど。

 それなのに、今日は何故か『立ち入り禁止』と、貼り紙が貼られていた。


「白川です。白川いのり」


「はっ! 今日、保健室に来てましたね。もう具合はいいですか?」


「はい、お陰様で。先生はどうしてここに?」


「あ、先生はうちのアパートの住人なんだ。そこに住んでるの」


 双渡瀬君が4階建てのアパートを指さした。


「今からジョギングに行くのです」

 桃地先生は、神々しく笑った。

 

 自分でもわかる。


 私は、上手に笑えて……ない。


「そうなんだ。賑やかでいいね。じゃあ、私はこれで。さようなら」


「あああーーーー! ちょっと待って!」


「何?」


「あのさ、雨音の事なんだけど」


「雨音……君?」


「う、うん。あいつと、つきあ……」


「良太―! ご飯よー」


 玄関が開いて、美惑が顔を出した。


「え? ああ、わかった」

 まるで、同棲中みたいな雰囲気。


「じゃあね。双渡瀬君。お大事に」


 自分でもわかる。

 私の顔、凍り付いてる。


 踵を返し、玉砂利を踏んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る