第3話 復讐すればいいやん

 白川を初めて見かけたのは、高1の春。

 満員の朝の通学電車の中だった。

 俺がつり革を持つ、ほんの1メートルにも満たない先に、彼女は同じくつり革を持って立っていた。


 こんな可愛い子が同じ高校にいるのかと、ムズムズと体が疼き、ドキドキと血流が乱れたあの時の感覚は未だに残っていて、胸を締め付ける。


 いつもずっと、彼女を見ていたから気付いたんだ。

 あの日の異変に。


 彼女が立つすぐ傍に、サラリーマン風の若い男がいつも立っていた。

 背中には四角いリュック。

 右手には丸裸のアイフォン。

 スクリーンはプライバシー保護の黒いフィルムが貼られていた。

 スーツ姿にも関わらず足元は、黒いスニーカー。

 その違和感が、俺に警戒心を抱かせた。


 そいつは、不自然に足を動かしていたのだから。

 まるで。位置を調整しているかのように。


 そうか――。


 変なアダルト動画ばかり見ている俺はピンときた。

 あのスニーカーにカメラが仕込まれているんだ。

 撮影しているのは白川のスカートの中!


『ちょっとすいません』

 人垣を掻き分けて、白川とその男の間に割って入った。

 入学してから1週間目の事である。


 俺よりも背が低いその男は、見たところ腕力はなさそうだったが、力で制圧する勇気は持てず。

 そいつが彼女に近付けないようにするのが精いっぱいだったのだが。

 俺自身も、彼女に決して触れないように。

 周囲に目を配り、彼女の尊厳を傷つける輩がいないよう守備をしていた。


 彼女は気付いていないのだ。

 盗撮されていた事も、俺が守っていた事も。


 そう言えば、美惑はいつも、俺のそんな姿を隣で見ていたのか。


「いい考えってなんだよ」


 ブランコを失速させた美惑に力なく訊ねた。


 キィーとブランコが小さく鳴く。


「見返してやるのよ」


「見返す?」


 美惑はぴょんとブランコを飛び下りた。

 俺の隣に座り、こう言った。


「復讐よ、復讐」


「はぁ? 何で復讐なんて」


「だってー! 朝イチであんな国宝級の笑顔を良太に見せといて、他の男の彼女になるんだよ。そんなの許せるの?」


「…………」


「いつも、電車の中で、あの盗撮変態野郎から彼女の事守ってきたのは良太なのよ。普通、気付くよ」


「気付くかな?」


 そりゃあ、もしも俺に気付いて、ワンチャン仲良くなれたらという、やましい気持ちがなかったわけではない。

 盗撮されてるのが白川じゃなかったら、俺は気付きもしなかっただろう。


「気付くよー、普通。きっと弄ばれてるんだよ、良太。許せる? 許せるの?」


「許せる……わけないだろ」


「だぁかぁらぁ、復讐すればいいやん」


「いやいや、おかしい」


「いいから、私に任せて!」


 美惑はぴょんと立ち上がり、俺の腕を引いた。


「ちょ、ちょーーーっ」

 急に走り出すから、たたらを踏みながら態勢を整え、美惑に連れられて走った。


 辿り着いた先は、いつも利用している駅だ。


 改札を抜けて、ちょうどやって来た電車に乗った。


 二人並んでつり革を握る。


「走る必要あった?」

 ぜーぜーと呼吸を乱し、美惑に訊いた。


「ある!」


「なんで?」


「運動よ、運動」


「運動ね」


「ハイ! その立ち方、ダメ!」


「何がダメ?」

 思わずガラスに映る自分の姿を見た。

 いつもの俺だ。


「ダサい!」


「え 立ち方が?」


「そう。だらんとつり革にぶら下がらない!」


「いや、つり革の意味」


「電車を支えるつもりで!」


「はい?」


「良太って、背は高いっちゃけど、筋肉がイマイチっちゃんね」


 そういって、俺の胸をパンと叩いた。


「ノー部活だからね」


「サッカー部って言ったら、花形やけんね。そのエースに勝つには、脱いだらすごい体になる事でしょ」


「いや、脱ぐ機会……、あ!」


「体育祭に水泳大会。脱ぐ機会目白押しやろ」


「なるほど。あいつよりいい体になって、あれ? 双渡瀬君ってこんなに素敵だったんだ、なぁんて思わせちゃって」


「弱い!」


「え? 弱い?」


「言っとくけど、これは復讐やけんな」


「あ、うん」


「もっといい方法があるよ」


「ほう、どんな?」


「あたしが、良太の彼女になる」


「いや、だから、それは……」


「バカね、ふりよ、ふり」


「フリ?」


「偽装でいいのよ。全日本美少女コンテストで優勝したこのあたしが彼女だったら、きっと白川いのりは歯噛みして悔しがるけん」


「うーーーーーん」


「何唸ってんのよ」


「いや、悔しがったとして、その後、俺にワンチャンあるかな?」


「あると思うよ」


 そう言った後、美惑はツンと顔を向こうに背けて

「けど」

 鼻息と共にそう言って


「けど?」


「雨音のお下がりだけどねー」

 と、顔をこちらに向け、憎々しく舌を出した。



 こうして始まった俺の肉体改造と、美惑との偽装恋愛。

 電車を降りる頃には、俺はすっかり美惑に乗せられて、なんだか白川への想いが変な方向へと向かい始めていた。


 俺のピュアだった恋心は、沸々と沸き上がる憎悪へと変わって行ったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る