第2話 桜色の笑顔が散った
内装はピンク一色。
様々な濃淡で可愛らしく彩られている店内は、予想を遥かに上回る、あまーい匂いで満たされている。
匂いだけで胸がやけそうだ。
客層は女子グループ、またはカップルばかり。
キャッキャウフフと黄色い声が溢れていて、これまた、胃がもたれる。
女の子と一緒でなければとても入れない空間だ。
【いちご&さくらフェア】というポップが至る所に掲げられており、美惑は早速トレーとトングを握った。
「ふーんと。どれにしよっかなー」
俺は、美惑の言っていた『いい事』の内容が気になって気が気じゃない。
ケーキを物色する美惑の隣に、トレーとトングを持ち並んだ。
「いい事、ってなんだよ」
美惑はケーキに視線を預けたまま
「まぁまぁ、慌てない慌てない。先ずは、お腹と心を満たしましょう」
と言い、俺のトレーにハート型の桜プリンを乗せて、不敵に笑った。
「なっ、勝手に……」
「いいからいいから、それ、そんなに甘くないよ。良太が好きな味だと思う」
「ふぅん、そっか。っていうか、来た事あったのかよ」
「うん! 事務所の社長がね、よく連れて来てくれるんだ、ここ」
「ふぅん」
美惑が所属している事務所は、サンタ・ピエールプロダクション。アイドルを目指す女の子の憧れとも言えるシンデレラ城だ。
その社長に枕営業とかしてるんだろうな。
社長はどんな人物か知らないが、アイドルを育てるプロらしい。きっとエロいオヤジに違いない。
美惑が無理やり凌辱されているシーンを、つい思い描いてしまう。
両手両足をベッドに固定されて、身を捩る美惑。
『やめて、やめてください、社長』
身長145㎝の美惑にとったら、どんな男も大男だろう。
力ではとても太刀打ちできない。
涙ながらに訴える美惑に
『売れたいだろ? 売れたくないのか?』
アルコール臭い息が、美惑の澄んだ肌を穢すんだ。
煙草のヤニで白くなった舌が美惑の顎先を舐めまわしたりなんかして。
芸能事務所なんて、どれもこれもそんな物だ、きっと、多分。
『うっ、売れたいですっ』
『だったら言う事きくんだ。どこにナニが欲しいか言ってごらん』
そして、制服のスカートの裾からエロオヤジの薄汚れた指が侵入して――。
「いかんいかん!! やめろ!!」
思わず思いっきり首を振り切った。
トレーのプリンが、グシャっと床に転げて散った。
「あっ」
「はぁ? 良太、なんしようーと?」
眉間にしわを寄せる美惑。
「ごめん。落ちちゃった」
変なAVの見過ぎだな。
落としたプリンは、店員さんがすぐにふき取ってくれた。
「大丈夫ですよ、ごゆっくりお楽しみください」と。
優しい笑顔だった。
窓際のバーカウンター席に、美惑と並んで座った。
正面のガラス壁はすりガラスで、多少の目隠しはあるが、通り過ぎる人がよく見える。
「ふふぅん、うんまー」
美惑はそんな事気にも留めずに、桜色のスイーツを頬張った。
俺はブラックコーヒーを啜って、桜プリンを一口――。
「あ! 美味しい!」
爽やかな桜がほのかに香るプリンは甘すぎず。確かに俺の好きな味だった。
「あ! 良太! あれ見て!」
美惑はガラス壁から通行人を指さした。
そして俺は金縛りに遭う。
スプーンですくった一口のプリンが、べちゃっと制服のズボンを汚した。
「あ、あ、あれ……」
「良太と同じクラスの女の子だよね? 確か、白川……いのり?」
彼女の隣には見覚えのある男。
俺と同じ制服を着たそいつは、確か――。
「雨音光輔」
「へ?」
「雨音君よ、あの男の子」
「知ってるのか?」
「同じクラスやん。っていうか、女子の間ではまぁまぁ有名かな」
「へぇ」
「サッカー部のエース! 次期キャプテン候補らしいよ。レフティって言うのかな? 左利きで、ポストメッシ、なんて呼ばれてるんだって」
「へぇ。大げさだな」
いかん。頭が真っ白だ。
なんだ? あのオーラ。
日に焼けた肌。
自信に満ち溢れた表情。
女慣れした身のこなし。
無駄のない体格。
猫背気味の背中まで絵になっている。
「なんであいつが白川さんと……」
「え? 良太知らないの? 雨音君と白川さんは付き合う事になったらしいよ。今朝、雨音君がクラスで自慢してた」
ガシャーン。
銀のスプーンが床に落ちた音が店内に反響した。
嘘だろう。
俺に向けられたあの笑顔はなんだったんだ?
彼女は今朝、確かに俺の名を呼んで、頬を桜色に染めたのだ。
そう、このプリンみたいに。
「もう! 良太!」
叱るように、美惑は床のスプーンを拾い上げた。
「クソっ! 好きだったのに……。俺の方が先に好きだったのに……」
歯痒さと、切なさ。
どうしようもない悲しみがせり上がって来て、隣の席の見知らぬカップルの視線なんてどうでもよくて。
俺は、ただただこれまでに経験した事のないやるせない感情と対峙していた。
「なんで、あんなやつ……」
と言いながらも、完全に敗北を喫している事は自覚していた。
――双渡瀬君。ありがとう。
「あの笑顔はなんだったんだよぉぉおおおおお!!!」
「ちょっと良太。いい加減にして!」
カウンターに突っ伏して、拳を打ち付ける俺を、美惑は必死で宥めた。
「神様なんて、神様なんてーーーー。こうしてやるーーー!!!」
ポケットから、恋愛成就のお守りを取り出し床に叩きつけて。
蹂躙。
しようとした俺を、美惑はドン! と突き飛ばした。
「やめなさい!! この罰当たりがっ!」
尻もちをついた勢いで、床に額をこすりつけ、拳を振り上げる。
「ちきしょー、ちきしょーーーーー」
◆◆◆
何をどうしてここまでやって来たのかわからないが、美惑に手を引かれて公園のベンチに座っていた。
モヤモヤと怒りは燻ったまま。
俺は放心状態だった。
キィとブランコが鳴く。
美惑は勢いよくブランコを漕ぎながらこう言った。
「私に、いい考えがあるよ」
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