人眠る桜

曇はたひ

桜のもとで、永遠に続く試練を

 九月のある日、幼馴染とも言えよう恋人が死んだ。幼稚園の頃から常に一緒で、彼女はよく笑っていた。俺はそんな彼女にいつからか惹かれ、高校に入った時に告白した。

 彼女が死んだ日、その日は雪が降っていた。季節外れもいいところ世間で異常気象が報じられている中、俺は彼女の葬儀に行った。

 死因は交通事故。本来なら彼女は死ぬはずではなかった。彼女は道路に飛び出した子供を守って死んだのだ。しかし、葬儀の時に見た遺体はさほど傷ついてはいなかった。本当に交通事故なのか疑ってしまうくらいに、死んでいるのが冗談ではないかと錯覚する程に。

 だが彼女は死んでいた。それだけが違いようのない事実だった。考えている内に葬儀はあっという間に終わってしまった。

 

 それから七ヶ月が経ち、今は彼女の遺骨を持って、家の庭にある、二人で植えた桜の下に立っている。

 幹はかすかに色づき、桜の花弁は見事に咲き誇っている。今日は、彼女の遺骨をこの桜の根元に埋めようと思っている。

 理由は単純に彼女が死んだことを忘れたいから、というのもあるのだが、この桜の苗をくれたいささか奇妙な神様にあやかりたい、という半霊的真理もあった。


 あれは小学校低学年の夏休みだったか、彼女と俺はよく家の近く川に遊びに行っていた。ある日そこで川辺に横たわる細長い生き物を見つけたのだ。

 まだ子供だったからとはいえ自分たちの体の三倍ほどの巨体を持った、太く長い生き物。桜の花弁のような半透明の鱗に、青空を閉じ込めたかのような美しい瞳。

 今思えばあれは龍と呼ばれる類のものだったのかもしれない。しかし、龍は空想の生き物であって現実には存在しない。だからあれは妖怪が龍に化けて出たものだと、俺は考えている。

 ずいぶんと昔のことだから実際のところは分からないが、とりあえず俺と彼女はそのとき龍を助けた。俺と彼女は面白がっていたのだろう、干からびていた龍を潤そうと家からささやかなバケツを持ってきて、水を汲んではかけてを繰り返した。

 一時間もするとさすがに龍は目を覚まし、俺たちにこの桜の苗を落として消えていったのだ。これが、俺があやかりたい神様というわけだ。


 たとえ神様でも彼女を生き返らせてはくれないだろうが、願わくばせめて彼女を天国に送ってやってほしい。―――いや、だからこそ彼女の遺骨をこの桜の下に埋めてしまうのだ。

 根本を傷つけないようにスコップを地面にさし、土を掘っていく。遺骨は彼女の首のやつらしい。一掘りもすれば丁度良いくらいの穴ができた。ここに埋めよう。


「・・・・・・本当に死んだのか」


 彼女もこれほど急に自分が死ぬとは思っていなかったはずだ。彼女は今どんな気持ちで俺を見ているんだろう。そもそも俺のことを見ているのか。そんな不毛な疑問が無限に湧いてくる。

 彼女とまた会えたら絶対離しはしないのに、しかし、もう彼女はここにいないから触れることもできない。一度・・・・・・一度だけでもいい。一度だけでも会えたら―――


「―――会いたいか?」

「え・・・・・・?」


 不意にどこからか声がした。俺は思わず彼女の遺骨を落としてしまい、顔を上げてしまった。そうすると、俺に声をかけたやつが何者かがすぐに解った。

 ―――桜色の・・・・・・龍。

 龍は俺に問う。


「もう一度、会いたいか」


 お前は何者なのか。あの時の龍なのか。訊きたいことは山ほど浮かんだ。が、しかしそんなことよりも口が勝手に動いた。


「ああ。会いたい。俺は彼女に会いたい」


 もはやこれが幻かどうかなんてどうでもよかった。

 桜色の龍は言った。


「ならば試練を与えよう。その試練を乗り越えた時、お前はお前の望む者と会えるだろう」


 こうして俺は試練へといざなわれた。美しい桜色の龍によって。そしてその試練とは、異世界で神樹とも謳われる桜の根源へ至ることだった。

 それから千五百年、俺は異世界で桜の根源を目指し旅をすることになった。



          ※



 ようやく桜の根源へついた。

 天へと伸びる、巨大な桜。そのてっぺんに俺はついた。何も目的がなければこの景色はとても美しく見えただろう。だが、俺は景色に目もくれず根源へ近づく。

 ここに至るまでに千五百年。この世界で様々な場所に行き、多くの人に出会った。それら何もかもが全てはこの時のため。


「・・・・・・っ。咲奈さな・・・・・・!」


 桜の根源の形を成していたのは彼女だった。忘れるはずもない、この姿。淡い桜色の光で包まれ、おまけに目も閉じた状態だ。それでも忘れようもなかった。


「・・・・・・ここへと至ったか」


 落ち着いた細い声。聞き覚えがある。もうずいぶん昔に。―――あの龍だ。

 龍は「見事」と一言、彼女を包む桜色の光を解いた。俺をこの世界にいざなう前に言っていた言葉は本当のことだったようだ。

 彼女は目を開き、俺を見た。


「久しぶり。ごめんね、私一人でいなくなっちゃって」


 笑っている・・・・・・。彼女が俺の前で。

 どれほどこの光景を夢見たことか。俺はこうして彼女と話すために旅を続けたのだ。


「・・・・・・っ。そんなこと、どうでもいい。また会えて本当によかった」

「うん、私も。私がいなくなってあなたが頑張ってたのはずっと見てたから。また私に会いに来てくれて本当にありがとう」


 ありがとう、と言わなければいけないのは俺の方だ。彼女がまた俺に会ってくれたことに。龍が俺を彼女に会わせてくれたことに。俺を助けてくれたこの世界の人々に。

 ついに俺は涙を堪らえることができず、地面に膝をついて涙を流した。その俺に彼女は腕を背中に回し、もう光だけの身体で俺を抱く。


「ありがとう。何度でも言わせて。あなたはこんなになってまで私に会いに来てくれた」

「ああ・・・・・・っ」

「だから、聴いて。私からの最後のお願い。私はここに留まるわ。ここであなたを見守る。あなたはもう一度あの世界で生きて」

「・・・・・・君はもう嫌なのか? あの世界が。ここでこうして一人でいるほうがいいのか?」


 しかし彼女は首を横に振る。


「いいえ。そんなことない。でももう私は死んだ。いくら龍の力を借りても元には戻れない。私はここにいなきゃいけないの」

「・・・・・・」


 言葉が出ない。俺はこの異世界に来る前、心に決めていた。もう一度彼女と会えたら、その時はもう二度と離しはしないと。なのに彼女はここに居たいと言っている。

 俺は、自分の願いを押し通してまで彼女と居たいと思っているのだろうか。それは否だ。


「じゃあ、これで君とはお別れなのか? もう二度と会えないのか?」


 ―――だが、それも彼女は否定した。


「ううん。私はあなたに試練を課す」

「・・・・・・! は、はは。それはそれはどんな試練なんだ?」

「現世であの桜を絶やさずに生き続けて。私はいつでも桜の下にいる。絶やさずにいればいつかは会うことだってできる。だから、一生桜を大切にして生きて。それが私からの試練」


 もう俺と彼女の間には深い溝があった。

 生あるものと、死あるもの。たったそれだけ。だけどそれくらい大きな溝が。

 俺は受け入れるしかなかった。

 ―――たった一人の自分が愛した彼女の試練を。

 


【おわり】




 



 







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