いはし

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「そうしなきゃならなかったってことはないんでしょうけど」


目の前に座る男はそう言った。

駅から程近い商店街の入り口にあるファミレス。夕陽が差し込む窓際の席に私たちは座っている。無精髭を生やし草臥れた表情の男は、そうして戸惑いがちに私を見た。


パチリ、と目が合う。


「ただ、少しでも良い行いをすれば、自分に帰ってくると思ってたんですよ。ほんとうに。ただそれだけ」


眉を下げて少しだけ笑ってみせた男は。どうにも最近、不運なことが続いているらしい。

通勤途中でカラスの死体を見ただの、満員電車で足を踏まれただの、最近再会した昔馴染みの男が死んだだの、買いたかった本が売り切れただの、餌をやっていた近所の猫、が。


「近づいてきているような気がして」


男が伏し目がちに言う。


「なにがですか」


「ああ、ああ。あのとき。雨の中。知らないフリを、しておけば」


後悔を滲ませた声で。


「ああ」


私達は夕陽が差し込む窓際の席に座っている。窓際の席、大きなガラス窓の、その向こう。


「知らないフリをしていれば、」


顔が。慌ただしい夕方の商店街を遮るように、大きな顔が。穏やかな目をして嘲笑っていた。














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いはし @iwtomimimin

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