第3話 いわくつき物件 伝道ハイツ

「いらっしゃいませ。春から学生さんですか?学生の方には特典ありますよ。こちらにご記入お願いします。」


 僕は今出川不動産にやってきた。全国チェーン店ではないこぢんまりした店だ。担当になったのはベテランの雰囲気が漂うタヌキ顔のミタニさんだ。歳の頃は60前後といったところだろうか。


 ・家賃2万円以下

 ・楽器演奏可能

 ・ペット飼育可能

 ・即入居可能


 希望条件はこの4つだ。


 記入した用紙を見てミタニさんは困った表情を浮かべている。


「京大の学生さんやゆうことは北東エリアが便利やとは思うんやけどねえ。例えば駅から遠い一乗寺なんかやと2万円で即入居可のお部屋はいくつかあるんですよ。ただねえ、楽器演奏とペット飼育可能になってくるとどうしても家賃がお高くなってまいます。」


 どちらの条件も譲るつもりはなかった。


「多少大学から遠くても構いません。エリアを変えても見つからないようでしたら他を当たりますので。」


 ミタニさんは少しうつむいて10秒ほど黙り込んだ後、何かを思い出したようにpcでデータを探しはじめた。


「決してオススメはできんのやけど、1件だけ2万円以下で楽器OKペットOKのとこありますわ。」


 そう言って物件情報を印刷して持ってきた。


「これです。どうぞご覧になってください」


 ミタニさんは気まずそうに印刷したての生温かい用紙を差し出した。


 外観の写真が載っている。西洋風の煉瓦造りの建物だ。普通のマンションでもなく、ボロアパートでもない。家賃は1万5千円。お風呂もトイレもついている。広さは10畳ある。禁止事項は特になしだ。


 ミタニさんは京都の地図を広げて説明を始めた。「坂東さんが通わはる京大吉田キャンパスエリアは京都市左京区はこのあたりやね。京都市内で言えば北東にあたるんですわ。この物件がありますのは下京区。方角でいえば大学から南西になりますわね。ここは遠いですよ。バスで50分くらい。最寄駅は地下鉄烏丸線の五条駅。西本願寺と東本願寺の間にあるから、京都駅も徒歩圏内。立地はそんなに悪くありません。ただ...」


 ここまでテンポ良く説明したミタニさんは急に声をこもらせた。


「この物件ね、全部で6室あるんですけど、大家さんは、他に住人はいないていつも言わはるんです。やけどこれまで住まはった人みなさん言いますわ。隣からも上からも下からも生活音や奇声が聞こえるって。そんで不気味がって1ヶ月足らずでみなさん引越さはるんです」


 僕は前のめりになって尋ねた。


「それっていわゆる事故物件ですか」


「いえ、この会社に勤めて25年ずっと京都で働いてますけど、知る限りこちらの物件で人はのうなってません。そないな噂も聞きませんし。この201号室は日当たりも良好です。ここまでお聞きになって、それでもええと言わはるんやったらご紹介はできますけど」


 ミタニさんは自信がなさそうに言う。


「その部屋に決めます」僕は即答した。


 ここまで事実を包み隠さず教えてくれる不動産屋もそうないだろう。逆に信頼できる。それに普通じゃないほうが自分には合ってる。僕は好奇心を募らせた。


「一度内見された方がいいですよ。思ってたんと違うゆうこともようありますし」


「それもそうですね、内見お願いします」


 僕はそのままミタニさんに案内してもらい車で物件へ向かった。思いのほか道が空いていたせいか10分程度で物件についた。


 物件名は『伝道ハイツ』。周辺は仏具屋が立ち並び、静かな場所だった。


 外観は西洋風の建築かと思えば、イスラム風のドーム屋根が乗っていて洒落ている。思っていたよりもずっと立派な建物だ。建物の周囲にある羽の生えた風変わりな動物の石像も、玄関を入ったところのアール・ヌーヴォー風の照明も何もかもが気に入った。他に同じような物件はありそうもなく、誰とも被らないのがいい。それにしても、この条件で1万5千円という安さは不思議で仕方なかった。


 即入居可能とは言え、通常は一週間程度かかる審査に通ってからでないと住み始められないという。ミタニさんがどうにか今日から住まわせてくれないか大家さんに交渉してくれた。するとあっさり受け入れてもらえた。


 僕は一旦不動産屋に戻り契約を済ませてからすぐに伝道ハイツに戻った。



 幸い家具付きの部屋でベッドはある。

 今日は腰を傷めずに眠れそうだ。


 家が決まって安心したのか急にお腹が減った。

 スマートホンの地図で確認すると最寄りのスーパーは家から10分以上ある上に飲食店もあまりない。仕方ない、今晩はウーハーイーツでバーガーセットでも頼もう。そういえばハムスターの餌も用意できていない。ハムちゃんには今晩ポテトでもつまんでもらうか。


 そんなことを考えているとドアをノックする音が聞こえた。


「ドンドンドン。ウーハーイーツです!」意外と早く来たようだ。呼び鈴はあるはずだが、どうやら壊れていて鳴らないと配達員が教えてくれた。


 ビニール袋を受け取った時、バーガーセットにしては重いような気がした。すぐに中身を確認すると、木箱に入った正方形のお弁当が入っているではないか。配達員はもうバイクで出発してしまったようである。


 返品しようか悩んだが、空腹が限界の僕は黙ってそれを食べることにした。


 弁当箱には丁寧に献立の書かれた紙が挟んである。


 お買い上げいただき誠にありがとうございます

 京の七口弁当をお楽しみください


       お品書き


   海老と伏見蓮根饅頭 湯葉巻き

   鞍馬山芋の粟田山椒焼き

   丹羽枝豆・長坂人参のひろうす

   胡麻豆腐 鳥羽胡桃味噌

   焼き鯖と大原大葉の混ぜご飯


「何だよこれ。めちゃくちゃ豪華じゃん。こりゃ幸先いいよ。」


 僕は一品ずつハムちゃんと分け合って美味しく頂いた。





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