第2話 ハムーニャの来日

日本への潜入調査を命じられたのははじめてのことだった。今回はキョートという地域で任務がある。千年の都と呼ばれる場所らしい。


同僚からは羨ましがられた。


「よう、ハムーニャ。キョートに決まったんだって?いいなー、美味いもんたくさんあるんだぜ。老舗料亭吉鳥さんの京懐石一度でいいから食べてみたいなあ。いいもん食べてこいよ。」


「そういうのって一見さんお断りとかいう文化じゃなかった?」


「正式な客として行ったらそうだな。だが我々は裏街道を生きるハムスターじゃないか。日本は食品ロスが多い国だ。店の裏口のゴミ捨て場なんかに行けば手をつけていないご馳走がたんまりと手に入る。」


「そりゃいい。日持ちするもんがあればもって帰るよ。」


ワタクシが自国で最後にした会話はこんな他愛もないことだった。


東海道新幹線を降りて京都駅の改札を出ると、ありとあらゆる言語が聞こえてきた。


海外の観光客も多いが日本語も聞き取ることができる。ワタクシは密かに日本への憧れがあり、スパイ養成学校では日本語学科を専攻した。ついに学んだことが活きる時が来たのかと思うと心が踊った。


日本の食を学ぶ授業では、寿司か鉄板焼きを極めることができた。ワタクシは鉄板焼きを選択し、たこ焼きを選んだ。


そこでいいご縁があり、ワタクシには大阪ナニワ出身の師匠がいる。師匠は世界たこ焼き選手権で優勝まで導いてくれ、ワタクシの低い自己肯定感を底上げしてくれた恩師だ。

少し寄り道して難波まで挨拶に行きたいところだが、寄り道はゆるされない。


ソースに青のりマヨネーズもいいが、品のいい出汁でとったお吸い物や濃厚な抹茶スイーツを是非とも堪能してみたいものだ。

そんなわけで、ワタクシの頭は任務のことよりも食べ物のことで埋め尽くされていた。


まずは宿泊先を決めることにした。

今回潜入するのは大学の研究室だ。

どうやら左京区の吉田という辺りにあるらしい。京都駅からみるとだいぶ北の方だ。

今から行けばバスで1時間はかかる。

時刻はもう22時を過ぎている。


今日は移動で体力を使い果たし空腹が限界に達していた。ひとまず今日は京都駅の辺りでディナーを取ることにしよう。


同僚が言っていた吉鳥という料亭の料理を早速試してみようと思う。調べたところ、ここからいちばん近い店舗は京都駅の西側、堀川通り沿いにある都急ホテル内にあるようだ。


このホテルの内部情報にアクセスし、レストランと繋がる厨房、そしてゴミ捨て場の位置関係を調べると潜入は比較的容易な場所にあった。


あまりひと目につく場所よりも、こういう駅から少し離れた裏通りから入れるところは都合が良い。迷わずここに決めた。


ゴミ捨て場に来て驚いた。

食べきれないご馳走で溢れている。

さわらの西京焼きにもっちり胡麻豆腐、海老の天ぷらにホタテの貝柱、うなぎご飯まで捨てられているではないか。


和食というのは世界無形文化遺産のはずだ。文化遺産を容赦なく廃棄にするとはなんと罪深いのだろう。ワタクシの生きるアンビエント国ではまず手に入らない貴重な食材だ。


ありがたくすみずみまで頂いた。ひと通り日本の文化財を味わった後は別腹の甘いものが欲しくなった。


スイーツの廃棄がないかと周辺のゴミ袋を漁っていると、どことなく懐かしい顔の青年がごみ当番でやって来た。半透明のごみ袋の中に紙袋が透けて見える。袋の外からでも香ばしいシナモンの香りが漂っている。


青年がゴミ捨て場を出ていくのを見計らって漁ってみると妙に綺麗な紙袋にびっしりとケーキとパンが詰まっていた。これは洋食レストランの方の廃棄のようだ。


ワタクシは紙袋に飛び込み、思う存分シナモンロールにかぶりついた。紙袋の奥には念願の抹茶ロールケーキもアップルパイもモンブランもあるではないか。疲れた脳に甘いスイーツ。至福の空間に包まれていつの間にか眠ってしまった。


紙袋が揺れる振動で目が覚めた。


するとワタクシの耳に信じがたい音声が入ってきた。


「次は烏丸御池、烏丸御池です。東西線にお乗り換えの方はこちらでお降りください」


今はまだ昨晩の紙袋に入ったままである。

パニックを起こしそうな自分を必死に堪え、上を見上げた。昨晩ゴミ当番で紙袋を捨てにきた青年が不安げな顔をして座っている。この時点で少なくとも推測できるのは、男子学生が何らかの事情で一旦捨てたゴミを持ち帰り、いま京都市営地下鉄に乗っているということだ。北大路という駅に着くと、紙袋が持ち上がった。


青年はどうやらまだ気づいていないようである。今のうちに逃げ出す他ないと思ったものの、車内は観光客で混み合っている。下手に逃げれば間違いなく目立ってしまうだろう。

迷子のペットとして捕獲などされて報道されても厄介だ。今は大人しくしていよう。


ワタクシは、少しだけこの青年を信じることにした。




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