第13話 活力を産む② 人生への自信

海藻は時々、自分の人生とはこれでいいのか、と考える時があります。


そして、人生への自信があるという状態の時、その人物の生き方には迷いがなく、大いなる力を発揮できると考えます。


これは、「自分に自信持っている」、というのとは似て非なるものだとお考えいただきたいです。


海藻が思うに、「自分に自信を持っている」というのは、自己肯定感や自己効力感が強い、いわゆる内なるものから生まれるものだと海藻は考えますが、「自分の人生に自信を持つ」というのは、自らの人生を俯瞰的に観て、良い人生だなあ、と思えるような生き方をしていることに自信を持てることだと考えます。

言い換えると、俺の人生はこれで良いんだ、という確信めいた感覚ではないかと思っています。


人はいつ死ぬかわからないし、海藻も今死ぬのであれば色々な心残りがあると考えますが、それでもまあ、死の間際に人生を振り返って、悪くはなかろうと言えるかもしれないし、反面、まだまだだったのに、と思う面もあるのだろうと思います。


まま、もし死んだら、やりたいことは大体やってるから、幸せの内に死んでいったと思ってくれればいいです。


皆さんはどうでしょうか?


ただただ、毎日を幸せに生きて老衰で死ねば満足なのか?

人生を燃やし尽くして限界までチャレンジしたことがあれば満足なのか?

何一つ汚点の無い、誰も傷つけたことのない、曇った部分のない清らかな人生を歩めることができれば満足なのか?

沢山の人に愛されて死ねば、それで満足なのか?

愛する人と共に過ごせればそれで満足なのか?

波風立てず、平和に生きて死ねばそれで満足なのか?


ただ、人生への自信がないからといって、人生後悔しているとか、悔いているとかとは同意ではありませんし、人生に自信がないから不幸せ、という意味でもありませんのであしからず。


人生にはそれこそ色々な要素が詰まっていて、幸せか不幸せかという曖昧な概念は統合的感覚を持って捉えるべきであり、一つの側面から全てが決定するわけではないと考えるからです。


とはいえ、自分の人生に自信があるというのは、総じて良いことと考えます。


✨✨✨✨


フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」の歌詞は全体が人生を振り返っているような作品で、その中の一フレーズ紹介します。


When I bit off more than I could chew

(食べられる以上に口に含んだ時に)

But through it all, when there was doubt

(でもって、その真っ最中に、マズったかなと思った時)

I ate it up and spit it out

(全部食べて、それで吐き出した)


このフレーズを見てもわかるように、彼の人生はとにかくも全力で、全部受け止めた、という…この歌詞は多くの人が人生のお手本と感じたことでしょう。


ただ、人によってはこの歌が嫌いな人もいるようで、これも興味深いですね。

このぐらいじゃあ満足しない欲張りな人たちなのかもしれません 笑


さて、フランク・シナトラのように満足して人生の幕を下ろせるなら、これに越したことはないのかもしれませんが、そんな簡単なことではないのでしょう。


−人生が虚しくなる、なんて時もあるのではないでしょうか。


私はフランズ・カフカを愛読することがありますが、彼の有名な作品で「変身」という作品があります。


この話は、真面目な青年グレゴール・サムザがある朝に毒虫になってしまい、家族を支える大黒柱から一転して家族のお荷物になります。それまでグレゴール家はザムザに頼りっきりでしたが、ザムザは一日にして忌み嫌われるような存在になってしまいます。


この作品に関しては様々な解釈がありますので、海藻の細かい解釈は省きます。


カフカには、得てしてこのような作品が多く、「断食芸人」でも「サーカス」でも、一つの事に一生懸命取り組んできた人間が失敗し、過去の栄光はすぐに忘れ去られて…という感じです。


カフカの作品には奇妙な共鳴を覚えました。


なんというか…今ここでやっていることは、究極的には何の意味もなく、何かに大きく期待することは、絶望にしか繋がらないんじゃないのか、と。


何も意味のないことに多大な時間を費やし、それまで培ってきた価値観さえ、人間のあり方さえ、無意味な事だったんじゃないのか、と。


既視感にも似た漠然とした人生に対するアンリアルな感覚…一生懸命やっても最後には意味がないんだよという感覚…


カクヨム作家がエタル理由だったりして…笑


✨✨✨✨


前にも書いたか分かりませんが、海藻は一番最初に始めた会社がうまくいかなくて潰れています。辞めた時には、ほぼ一文無しでした。


しかも、その後の人生で何度か大金を失っています。

細かい部分は省きますが、詐欺被害、保険に入っていない義父や義母の手術代や医療費、などはデカかったですね。


コツコツと、何年も溜め込んだお金が一瞬で消えた時は色々と大変でした。


お金だけではありません。


人生を振り返れば過去の努力が一瞬にして泡になる、なんてこと、何度もありました。


海外の大学時代は空手部でしたが、黒帯の昇段審査の前に大怪我をして、道場に戻れる前にその国を出なくてはいけなくて、そのまま茶帯で終了。

先生や周りからは、審査を受ければ確実に取れるよと言われていたのに…


結局、回復に長期間を費やした上、仕事が忙しくなったので、スポーツの世界に復帰した時にはもう若くはなかったですね。


どのみちあの先生以外に空手を教わる気はなかったので、もう空手は続けてはいないです。


あの時ああだったら、と思う時もありますが、自分的には他にチャレンジしてきた事があり、何も後悔することはありません。


損をしたり上手くいかなかったり、その場では落ち込んでも、長い目で見た時に、やっておいて良かった、ということばかりです。


私の話はさておき、この空手の先生こそ、本当に勿体無い人でした。


この先生はハンガリー人だったのですが、元軍人でもあり、ユーゴスラビアとの戦争の時に幼馴染を連れて亡命したらしく、そのせいでヨーロッパの空手界からは縁を切られていたようです。


35歳の時には4段を持っていたらしいですが、その後15年間、公式な大会には一切出させてもらえていなかったとも聞きました。


それでも先生は超人と言えるような身体の鍛え方をしていて、海藻の身体を鍛えるベースは全てこの先生の訓練から来ています。先生の指導を受けて、海藻の肉体もみるみる改造されていきました。


海藻は中学校の陸上部で大した成果を出せていませんでしたが、陸上の練習をしていたわけでもないのに、この空手部に入っていた時には脚が断然速くなりました。


ベンチプレスも始めた時は自分の体重さえ持ち上がらなかったのに、昇段審査前ぐらいだと体重の2倍近くを持ち上げるようになっていました。


そして、驚くべきは先生自身の強さ。


とにかく速過ぎる。海藻もムエタイジムやボクシングジムに行ったことが多々ありますが、先生ほど速い人はそうはいなかったように思えます。

とはいえ、プロのムエタイ選手の蹴りの破壊力は凄まじかったし、ボクシングも専用のテクニックがあるので、先生が勝てるとか、そういうことは言いません。


ただ、何かを勘違いしたのか、当時の海藻のいた国では、半ば道場破りのようなやつが来ることがありました。一流のアスリートではない、ただちょっと格闘技を齧っただけの奴らと思いますが、体験と称して道場に来て、先生に「スパーしようぜ」と挑発したりするのがいたりしました。


海藻が見ただけでも、三回ぐらいあった気がします。外国人にしては体格の小さい先生を舐めてかかってきたのでしょう。


先生は空手のルールで、ということで、組み手と称してやるのですが、明らかにいきなり殴りかかってきています。先生もそれを分かっているので、避けて何度か寸止めで牽制したりします。大抵は敵わないのがよくわかったようで、事なきを得て時間がきて終わるのですが、一度全然無視して突っ込んで殴ってくるやつがいたので、先生が結構モロに腹を打って、悶絶させていました。ビックリしましたね。


道場生以外、誰が観ているでもありません。

自分が打ってしまったことに非があり、私の負けだと言ってその人を返していました。

そもそも、顔以外だったらある程度は激しく当たってもいいよ、という曖昧なルールが道場にはあったのですが、海藻からすれば、でかい外国人相手には有り難くはなかったです 笑


あと、悶絶した人のことをとやかく言うのは良くない、広めるのも良くないと先生は言っていましたね。


結局、こういったこともあり、先生の素晴らしい空手は世間に広まることはなかったのだろうと思います。先生は海藻の通っていた大学のカフェテリアで働いていて、特に社会的に成功をしているような人でもなかったです。


カフカの作品の主人公に相応しいような人物だったかもしれません。


でも、私は先生の人生は、カフカの提唱するような無意味さとはほど遠いのではないかと思っています。


お会いした時で50歳、あんなに快活に生きていらっしゃる方もいなかったからですね。反面、中身は大したことやってないのに自分を宣伝することに夢中で一生懸命名前を売ろうとして、なんてやっていても、全然楽しそうじゃない人が沢山いますからね…


✨✨✨✨


海藻は、一つの事にずっと執着するように産まれた訳ではないようなので、無理にそうしようとは思いません。


しかし同時に、人生の全てを一つの事のために捧げられる人を羨ましいとも思います。迷いなく、そのことだけを突き詰めていく生き方は、きっと生き生きとしてい事でしょう。


では、どのようにすれば、自分の人生に自信を持てるというのか?


一つ、もしできることがあるとすれば、自分の人生を俯瞰的に見ることではないのか、と考えます。


そして、俯瞰的に見た結果、誤魔化さないで素直に自分の人生を先ずは受け入れることが大事かなと思います。


その上で、このままでは死ぬまでに満足できるような人生にならないだろうと思ったのであれば、すぐにでも行動を起こすべきなのではないのでしょう。


何かやり残していることがあると感じるなら、その場の雰囲気に流されず、とりあえず突っ込んでみましょう。


活力があるから行動を起こすのではなく、行動を起こすことで活力を生み出すという事です。


なんか自分で書いててちょっとやる気が出てきました。


オムジェネの続きを書こうw


長くなりましたので、今日はこの辺までで…

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