第12話 活力を産む① 人間関係
注:ここで書く内容は、知識人たちや教養のある人たちの意見を参考にしている部分が多々あります。よって、自分のオリジナルな意見である、とはかなり言い難い部分もあるので、ご容赦ください。
さて、
人間関係…活力を産む?
−う〜ん?
−自分の場合はむしろ活力を奪われているけど…
と、頭を斜めに向けて眉をしかめた方々ももしかしたら多いかもしれません。
何となく、そんな気がします。
人間関係は億劫で自分の心をかき乱していく厄介なもの、と多くの人は言います。すぐに人との関わりを切ろうとする人間を海藻は沢山見てきました。
自分の心の内を包み隠さず話せる相手なんて、なかなかいないのかもしれません…
簡単に人を信用なんて出来ませんよ、と。
✨✨✨✨
昨今は人間関係の希薄さがよく取り沙汰にされることが増えたと思いますが、世のご意見番たちは、それをSNSか、究極的に言うと、インターネットのせいだ、としています。
詳しい内容はそのような話をしている方々がいるので省くとして、簡略して言うと、「ネット上では人と容易に繋がれるため、簡単に寂しさを紛らわせれ、同時に直接人と会う人間関係は煩わしいことが沢山起きるので、ネットでの気楽に付き合える人間関係に流れてしまいがちになる」、という感じでしょうか。
そして、「こういったことが、対人関係に必要な辛抱とか楽しみ方を忘れさせ、「コミュ障」を産み、人をすぐに切ったりする希薄な人間関係文化を促進させている」という話ぐらいまでがセットかなと思います。
ただ、「コミュ障」という言葉は本質の重みを軽くしてしまう魔の言葉です…真にここで問題になるのは、「孤独」なのだと思います。
希薄な関係のみでは、その場しのぎで真の孤独は埋められない、という事実が、現代社会に潜む本当の闇だと海藻は考えます。
✨✨✨✨
先ず、人は孤独に非常に弱い動物である、という前提ついて語ります。
なぜか?
社会的生物という生物的理由もありますが、昨今の自殺者や身勝手な犯罪でお縄についた、真に絶望している人間の多くに共通することは、孤独である事が容易に汲み取れるからです。
ここでいう孤独とは、周りに人がいないという意味でもないし、自分に優しい人がいないという意味でもなく、「分かり合い、仲間と言えるような、希望になる存在がいない」、という意味での孤独です。
お金が無くて絶望する人もいると思います…しかし、周りの人間が支えてくれるなら、そういう人間も意外と元気だったりするものです。
ある国のスラム街には家族のような繋がりがあり、ほとんどの住民はそこから出たくはないと言ったりしています。
貧乏な暮らしよりも、人との確かな繋がりがある暮らしが幸せだと言います。
もし誰かが、
喜びを分かち合いたい人がいない。
幸せを願うような対象がいない。
自分の事を曝け出せる人がいない。
と感じているのであれば、とても淡白で、白昼夢のような無意味さゆえに耐え難い人生になるのではないでしょうか。
ましてや、そのような人だらけになったら、世の中どうなってしまうのでしょう。
人間嫌い、不信感、くだらない自尊心の競い合い、無差別な他者への攻撃…
孤独な人間というのは、もしかしたら自分で孤独を認識できていないのかもしれません。見るもの全てが嫉妬を掻き立て、理不尽だと憤り、見るもの全てがその人をイラつかせるのかもしれません。
✨✨✨✨
最近よく、「マウントを取る」という言葉を耳にしますが、これも昨今広まる他者に対する不信感から来る心の不安を表象した社会の産物なのかなと思います。
自分が何かが悪かった事を認めたところで互いの尊敬が損なわれない事が分かっているならば、そんな事は起こり得ないはずなのです。
「論破」とかいう流行も、このマウントを取るのと同じ心理だと思いますが、正直とても小さなプライドの競い合いにしか見えない場合がほとんどです。
論するならば、大事なのは真実を探究することであり、そのためにお互いが意見をぶつけ合うだけで、論破することは目的ではない…そう考えます。
もちろん、
褒められれば嬉しい。
自分を好きな人がいると嬉しい。
非難されると悲しい。
自分を嫌いな人がいると悲しい。
ごく当たり前の感情は誰でも持ち合わせていますから、完全に割り切る事など、海藻を含め不可能です。言葉に繊細なんです、みんな。
ただ、人間関係で生じた齟齬をどれだけネガティブに捉えて怒ったり無気力になったりするかは、人それぞれでもあるとも考えます。人への嫌悪感や信頼がないと、余計に神経質になり、強くそれが出てしまうのではと考えます。
肩の力、抜かないとね…
様々な人間関係に疲弊し、失望し、自分が傷つきたくないから人を遠ざけ、ネットやランダムな人間に牙を剥く…
「無敵の人」という言葉がありますが、昨今の世の中では深刻な問題として捉えるべきではないでしょうか。
仕事とか成功とかよりも、孤独から脱却しなくてはいけない人々だと思います。
強固な信頼関係に囲まれている人間ならば、そんなに人間関係に神経質にならなくても良い、となると思います。
✨✨✨✨
こんなことを喋っていると、「お仲間ごっこなんて反吐が出る」という声が聞こえてきそうです 笑
まあ、胡散臭いお仲間ごっこみたいなのは、薄っぺらい関係そのものですからね 笑
余計なお世話を焼く、といえば、海藻の過去に、こんなエピソードがあります。
会社を経営しているという話をしたことがあると思いますが、なんとか二番目の会社が上手くやれてきたぐらいの時の話です。(職種は内緒w)
私のところに、ハローワークみたいな会社を経営している日本人の知り合いから連絡が来ました。
内容は、海藻の出身校で、歳も近い人物が人材紹介のリストに登録してきたという話で、この人を知っているか、と。
蓋を開けてみると、その人物は、海藻が高校時代一回か二回ぐらい話したことのある先輩でした。
この先輩は、分厚いメガネをかけてヒョロヒョロで、いつも図書館に一人でいて、勉強しているふりをしていつもぼーっとしていたイメージがあります。
たまに「いつも図書館にいて勉強しているのに全然勉強できないやつ」として笑いのネタになっていたような人で、友達らしい友達はいなかったようです。
その知り合いの話によると、その先輩は別の国で職を転々とし、何も長く続いていないようで、果たしてどんな人なのか、と、連絡が来た、という経緯でした。
海藻は、よく知らない人です、と伝え、その時はそれで終わりました。
その後、数年経って、偶然またその先輩の話を聞く機会がありました。
どうやらその先輩は、海藻の後輩のいる会社で職を得ていたようですが、その会社で色々とやらかしてしまい、ピンチである、という話を聞きました。
いきなり話に出て来たのも驚きましたが、職種が海藻と同種だったという偶然もありました。
なので、先輩の抱える問題に関してはピンと来まして、その後輩に、「もし良ければ、先輩と話させてください。その件、もしかしたらアドバイスができるかもしれません」と伝えました。
後日、その後輩に経過を聞いたら、気まずそうにしていたので、正直に話してくれと言いました。すると、先輩はこんなことを言っていたようです。
「そんな人は知らない。」
「Webサイト見たけど自分の功績を自慢しているようで気持ち悪い人。」
「自分より若いのに偉そうなやつだ」
以上のような趣旨の事を言っていたらしく、散々海藻のことをこき下ろしていたようです 笑
覚えてないのにかよ 笑
おいおい、あのヤローってその時は思いましたが、少し経つと、自分でも不思議なほど怒ったりしませんでした。
むしろ、悲しい、残念、という気持ちが優っていました。
先輩は、あの高校でお見かけした時からずっと、独りぼっちなのかな、と。
その先輩は、結局そこも辞めさせられたようで、それ以降どうなったのか知りません。あの時、もう少しプッシュしても良かったのかな、と薄っすらと今でも思っています。
先輩から見れば、海藻はさぞかしサクセスを手に入れて調子に乗っている若造に見えたことでしょう。しかし、前に述べた通り、海藻は一度失敗していますし、その際に一文無しにもなっています。
正直、今でも零細企業、風が吹けば吹き飛ぶような小さな経営です。
そんなに強烈な嫉妬をぶつけなくても、私はそもそも立派な人でもビックな男でもないです。先輩にとって、よほどキラキラして見えていただけです。
話し合えば、もしかしたら分かり合えたのかもしれないな、と…そんな気持ちが、頭をよぎっています。こんなことを考えてしまいます。
自分のSF作品にも、このわかり合える、というのを大きなテーマとして扱っています。
今頃先輩は、無敵の人かもしれません…
✨✨✨✨
だからこそ、言い切ります。
「人との関わり合いは、最も重宝するべき財産である」、と。
良好な人間関係は、人間の一番の活力になります。
これは、金以上の力です。
もし、素晴らしい、誰もが羨むような人間関係を持つことが約束されるなら、全財産投げ打っても手に入れた方が良いでしょう。
だから、ここで手を抜いたりしていては、いけないのだと思います。
✨✨✨✨
そうは言っても多くの人々は自信を持てないのでは、と考えます。
周りは信用できない連中だかけで、昔つるんでいた連中ももう冷たい…
家族は冷え切り、外面ばかり良いだけ…
解決のヒントの一つを海藻はマサイ族に見ました。
(コメント欄などでたまに話に出していますw)
なんせこのマサイ族。うつ病という言葉がないようで、説明してもよくわからないそうです。
この部族は生まれた時からボディタッチが多く、常に人が周りにいる環境で、「ずっと誰かと一緒にいて疲れる」という概念もないらしいです。「何で他人と話してて疲れるの?」という感じらしいです。これは日本人と真逆ですね。
誰かが死んだ時も、悲しむのは一瞬らしく、「人間いつかは死ぬのだから、毎日を悔いの無いように明るく生きる」らしいです。だから次の日には騒いでたりするらしいです。
三島由紀夫も似たような趣旨の事を言っていましたね。
「未来社会を信じない奴こそが今日の仕事をするんだよ」とか。
理想の未来の事を考えて今を疎かにしては何も生まれない。
今日を大事にすることが大切なのだと言っていましたね。
これだけでも、とても幸せな部族なんだなと想像できます。
ちなみに、基本的にみんなマッチョだけどトレーニングという概念はない。
あるジャーナリストがジムの話をしたら、「金を払って仕事をするなんて、馬鹿なことをしているんですね。」と笑われたそうな。
食事は動物の肉と血ばかり、野菜は滅多に食べないらしいですが、それでもとても健康な人々のようです。
死ぬ時は直前まで健康で、大体ポックリ死ぬらしいです。羨ましいですね。
文明らしい文明なんかないのに、こんなに幸せな一生を送れるのか、と…
まあ、マサイ族に入れといわれれば無理ですが、少し、あやかっても良いんじゃないのかなと思いますね。
何千年もそうやって生きてきて、鬱なんてない世界を生きているわけですから。
説明しても分からないほどなら、よほどそういう人がいなかったんでしょうね。
✨✨✨✨
本当は寂しがりのくせに、片意地張って右斜めの方向に進んでしまっても仕方がないです。
今日でも、明日でも、今すぐでも、思い立ったら面倒臭がらず、友達や仲間や家族や恋人やらを連れ出して、楽しいことを一緒にやりましょう。
自分にはいないと思ったならば、気になる人に声をかけて、仲を深めれば良いのだと思います。げっそりして、疲れている場合じゃないですw
こういったことが、必ず、生きていくためのエネルギーとなります。
というわけで、今日はここまで!
次回は、己の価値観で生きていく、という話をしたいと思いますw
ここまで読んでくれてありがとう!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます