第15話 神殿のような公衆浴場のような何処か
得体のしれない魔物を撃破したものの、この黄色い迷宮を進むうえで、恐怖心と猜疑心を植え付けられるのには充分な経験となった。
口数もめっきり減り、ただただ前に進むだけの状態のなか、ロクァースは唐突に立ち止まり、帽子を取った。そして、目をつぶって耳を動かした。
「ロカース、どうした?」
クラージュは彼のようすをみて剣に手をかけ、少しばかり不安の表情をみせた。
「まさか、また足音でも聞こえるか?」
「いんや、違うで」
「なにが聞こえたのだ?」
「どっかで、なんか、水が流れよるみたいな音がした気がしてなぁ」
「ほんとうか?」
「はっきりとは、分かりまへんけどな」
「ふむ……水か」
「グノシー、クラージュはどう思う? ひとまずその水流れる音が聞こえる方へ行ってみるか?」
その問いかけに、二人は黙ってくなずいて同意した。
「では、その水の音のもとへ行けるか、探してみるとしようではないか」
ロクァースを先頭にして、しばらく彼らは進んだ。
そうして、床の一角になにやら、穴らしきものを発見した。
穴は四角いかたちをしていて、人が余裕で通り抜けられるほどの大きさがあった。
「ここやな、ここの下から音がするで」
四人は恐る恐る覗き見た。
真下には白いタイル張りの床が見えた。それから、どこからか陽の光のようなものが差し込んでいるのが分かった。
「どうするの?」グノシーが訊いた。
「降りるんは簡単そうやけどな。飛び降りて戻れんのは、なんか嫌やな」
「そうだ。皆、荷物の標準装備にロープを持っているはずだ。それを繋ぎ合わせて、」
クラージュは言いながらあたりを見渡した。
「あの柱が良さそうだ。結び付けて、伝って降りてみよう」
そうして各々のバックパックからロープを取り出し、手分けして繋ぎ合わせると、柱にしっかりと結びつけてから四角い穴の下に垂らした。
「わてが最初に降りてみやしょうか?」
「いや、私が行こう」
「それと、フェデルタはんはどないする? この高さを連れて降りるのは、ちと手間やで」
するとフェデルタはロープを結んだ柱に走ると、その横にきちんとお座りをして「ワン!」と吠えた。
「フェデルタはん、ここで見張り番引き受けてくれるみたいやな。ソフィア嬢ちゃんはどないする?」
するとソフィアはフェデルタに近づいて、おやつをあげてからなにか一言二言つぶやいた。
「私も下に降りてみます」
「では皆、行くとしようか」
下へ降りてみると、タイル貼りの床と壁で、まるで水路のような空間があった。向かいの壁には小窓が並んでいて、まるで昼間の陽の光が差し込んでいるかのようだった。
右の方向は遠くまでまっすぐと同じ空間が続いていて、左の方向には、なにやら広く大きな空間が繋がっているように思われた。
目の前の水の流れは穏やかで、透き通っていた。
「あちらには、なにか広い場所があるようにみえるな」
「せやな。皆はん、行ってみなはるか?」
ゆっくりと静かに進んだ。そうして開けたところに出ると、光のまぶしさに思わず皆は目を細めた。
広い空間もまた巨大な水路のように伸びていてた。
幅は王宮と引けを取らないほどの大きさで、天井は見上げるような高さにあった。
それに二階と三階とみられる部分があった。二階部分は所々に、水路を跨ぐ通路のようなものがあった。
天窓は曇りガラスで、その向こうがどうなっているかは分からなかったが、真昼のように明かりが降り注いでいた。
「まるで、なにかの神殿と、規模の大きな公衆浴場を組み合わせたような感じの場所だな」
「せやかて、なんやろうな、このけったいな薬品みたいな鼻を突く臭いは。ソフィア嬢ちゃん、なんかわかりまっか?」
「いえ、わたしもはじめて嗅ぐ臭いです」
「確かに奇妙な香りだ。ここで水が手に入ると思ったが、考え物だな。ここの水には毒でも入っているんだろうか?」
するとロクァースは、持っていた銀の弾丸を取り出すと、器用に糸を巻きつけて水の中に垂らした。
「なにをしている?」
「まあ、銀が溶けるようなこともなければ、変色するわけでもなか」
「こんなところで、銀の弾丸が役に立つとはな」
「せやて、分かるんはそれだけや。さすがのわても、ここの水を飲む度胸はありまへん」
「もう少し進んでみるか」
そうして一歩踏み出したとき、つぶやくやいた。
「待てよ。おかしい……」
「なにがや?」
「この空間、そもそも広すぎると思わないか?」
その問いかけにロクァースもハッとした。
「あ! せや、言われてみればそうや。ここの天井がこんな高いはずなか、この上には、あの黄色い迷宮が広がっとるはずや。天井がこんな……異常や」
「グノシー、この空間に、魔術や魔法が使用されているか、きちんと調べたか?」
「うん、さっきちゃんと調べたよ。でも、そんな形跡はなかったよ」
「ここは、世界が歪んでいるとでも言うのか……」
「どないしなはる?」
「うむ。一旦、引き返そう。不用意な危険は冒したくない。それに、この匂いには気分が悪くなりそうだ」
そうして彼らは来た方へ戻り、降りてきたロープを上って黄色い迷宮へと戻った。
「お水の補給……できそうになかったですね」
ソフィアは残念そうにつぶやいた。
「そうだな。食料はなくなっても1,2日は身体は持つかもしれないが、水無しとなると非常に厳しいからな」
「ところで、グノシーはん。水を浄化するような魔法は使えまっか?」
その言葉を聞いてクラージュも色めき立った。
「そうだ。ロカースの言う通りだぞ。グノシー、どうなんだ? できるのか?」
「ええと、うん。ほんと少量だったら、できなくはないと思うけど」
「そんなら上出来やで。皆はん、空の水筒出しなはれ、わてが降りて汲んでくるわ」
そうしてロクァースによって、空の水筒に奇妙な薬品臭い水が満たされて戻ってきた。
続けてグノシーによって、いくつもの手順によって水が浄化された……はずだった
「グノシーはん、この水、」ロクァースは水筒の飲み口を嗅いだ。「あの変な臭いがしてまっせ。ほんとに浄化できたんか?」
ロクァースは不審の視線を向けたが、グノシーは申し訳なさそうな表情だった。
「それが、中身は浄化はできても、臭いが消せないんです」
「まったく」クラージュはあきれて苦笑した。「しょうがないやつだ。まあ、皆我慢するしかない。この水を飲むのは最終手段とすることにしよう」
四人と一匹は、少々落胆しながらも再び進みだした。
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