第11話 不能なる王の起床

 暖かい……。


 そうだ、この暖かさは父の背中の暖かさ。


 稽古の帰りに私が「歩けない」って駄々をこねると、いつもこうしておぶってくれた。


 モジャモジャの髪に眼鏡、そしてその奥の優しい目。


 私にとって大切な——たった一つの幸せな記憶……。


 私が幸せだった最後の記憶……。



 今でも忘れられない。当主である母に「諦めなさい。貴方には、"月の加護"がありません」と宣告されたときのこと。

 地面が崩れ落ちて、奈落の底に引き摺り込まれたような気がした。


 それ以来、誰もが私を憐れみつつも腫れ物のように扱い、目を合わせなくなった。


 ……あの優しかった父すらも。



 私がいくら努力しようとも、「出来損ない」と陰口を叩かれ、誰も相手にしてくれず、"ムーンズ・ティア"の日だって皆旅立ったのに私一人残された。

 唯一私には月の加護がなかったから……。




 そして、地上を彷徨っていたとき、人型のコークスに捕まり幽閉されたのだ。それからずっと小さな窓から空を見上げるだけの日々だった。





 ……そうだ、そうだった。

 私は幽閉されていた。父も旅立ち、きっと死んだはずだ。


 なら、一体この温もりは——……。




 ミナ(貴鳥 水無きちょう みな)がゆっくり目を開けると、そこには見知らぬ横顔があった。


 先程助けに来た老人とも違い、どこか異国の風を持つ日本人の青年だった。


 視線は、地上を埋め尽くすコークスに向けられていて、思い詰めた顔をしていた。


 私は栄養失調と貧血で上手く働いていない頭をして、彼に尋ねた。



「貴方は……?」

「オレはルクス。清野ルクスだよ。君は?」


 ルクスは一度私を見たきり、すぐに視線を地上に戻した。心ここに在らずといった感じだった。


 私はルクスに静かに告げた。



「私はミナと言います。ルクスさん、お願いがあります……」

「なんだい?」

「……私を置いて逃げてください」

「なっ?!」



 ルクスがあまりの驚きに背中の私に振り返る。


「私なら大丈夫です。私はずっと幽閉されていました。古い蔵の中に閉じ込められて、周りはコークスに囲まれていた。だけど、人型のコークスが餌と称してそこら辺の草をくれていた。だから、今生きています。私には何も能力などありませんが、コークスは誤解しているのでしょう。私を生きたまま幽閉しておくのが狙いのようですから、私は大丈夫です」



 私の脳裏に、七年間の変わり映えしない記憶が呼びおこされる。


 毎日ただ呆然と見ていた蔵の上部の格子窓から見えた欠けた月。


 最初は食べられなかったけれど、いつしか慣れた雑草の味。


 カビ臭い蔵の中で見ていた知らない人のアルバムと、一家が溜め込んできた埃まみれの遺物れきし



 そんな中に、差し込んだ光。壁に開いた穴から私に届いた月光。


 顔を上げると、青い光を帯びた老人が壁を破って助けに来てくれた。


 ずっと負けたくないって何とか気持ちだけは強く持ち続けた。きっと生き残った私には月の一族としての使命があるはずだと言い聞かせてきた。

 なんとかそう思い込もうとしてきた。


 老人の姿を見た時、この七年間そうやって自分に嘘をついてきた事は間違いじゃないと思った。



 老人の言葉は英語で何言っているか分からなかったけど、私を助けにきてくれたということは、私に何か使命があるんだって分かった。


 でも、老人は私を庇って致命傷を負った。今、彼が居ないということはきっと死んでしまったのだろう。


 その代わりとして、この青年が私を助けようとしてくれているけれど、この青年は青い光を纏っていないし、老人と違い戦士の目をしていない。


 きっと成り行きで知り合っただけの一般人なんだと思う。


 そうならば、この"夜空を巡る戦い"に巻き込まれる理由はない。



 暗い顔をした私の頬を涙が一筋流れて、ルクスの服に落ちた。

 しかし、私は流れた涙に気付かないふりをすることにした。


 大丈夫、私は辛いことには慣れている。一瞬夢を見ただけで、元の生活に戻るだけだ。


 私はルクスに言った。

 


「私はきっと大丈夫です。私がコークス達の気を引きます。だから、ルクスさんは逃げて。私が彼らの元に戻れば、貴方は助かる術があるはずなので」


 私をおぶるルクスが震えて俯いた。迷っているのだろうか……?なら、その一歩を押してあげよう。



「さぁ、このベッドシーツを解いてください。私が非常階段を降りてコークスに捕まるまで隠れていてください」


 少し間が空いた。それからルクスは俯きながら答えた。



「……わかった」


 

 私は心のどこかで期待していたようで、その答えに寂しさを覚えたけれど、その感情にはまた気付かないフリして作り笑顔を浮かべた。



「ありがとう。どうかご無事で。では、早くこのシーツを……」



 すると、何故だろう、しんと沈黙が降りた。何故かルクスは動こうとしなかったのだ。言葉も発さないまま、ルクスの体温だけが上がっていく。


 疑問に思いながらも、私はルクスを急かす。



「ルクスさん?さぁ、早く……」


 すると、おもむろにルクスが顔を上げて、アンティークっぽいライフル銃を地上に向けて構えた。


 私は慌ててルクスに尋ねた。



「えっ、ちょっ?!どうしたんですか?早く解いてください!もう時間がないのでしょう?早く解いてください」

「いやだ」

「へっ?でも、さっき『分かった』って……。あの、人の話聞いてました?私を置いて逃げてって言ったんです!」

「あぁ、聞いてたよ。だから、分かったんじゃないか」

「はい?」


 私は言葉の通じないこの青年に初めて苛立ち、首を傾げた。ルクスは真剣な顔で私に目だけ向けて言い放った。



「だーかーらー、わかったんだよ。君は助けなきゃいけない人だって」


「えっ……?」



 私は込み上げる嬉しさに、頬を赤らめた。しかし、急にそんな事を言われても、出会ったばかりのこの人に私の何が分かるというのか。

 熱くなった私は持ち前の反骨心と猜疑心でルクスに食ってかかった。



「そんな。出会ったばかりで私の何が分かるというのですか?」


 ルクスは微笑み答えた。



「君、ずっと嘘吐きだろう?今も本当は助けて欲しいくせに、迷惑をかけたくないからって嘘ついた。本心を隠して『帰れ』なんて言う優しい人なんだ、君は。

 そんな人『はい、そうですか』って見殺しにはできないよ」



 私は固まった。図星を突かれて、私の頭は混乱してしまったのだ。感情がルーレットのように目まぐるしく入れ替わる。


 私の心をわかってくれた事が嬉しい。

 でも、家族じゃなくて赤の他人に当てられたのが悔しい。


 助けてくれることが嬉しい。

 でも、巻き込んでしまうことに罪悪感を覚える。


 色んな感情が渦巻いてしまう。そんな私に向かってルクスは落ち着かせようと微笑んだ。



「だから、オレに任せてほしい」



 ルクスは私の目を真っ直ぐに見つめた。瞳に月光が反射して、瞳が青く輝いていた。それはあまりにも綺麗で、あまりにも優しい光だった。


 私の目に涙が溜まり出し、嗚咽が漏れ出る。


 本当は、あんなところに戻りたくない。


 でも、それを言ったらルクスを巻き込むことになる。何も知らない他人を巻き込んでしまうことになる。

 

 でも……だけど……。



 ルクスが私の背中を押すために一言言った。



「言ってくれ、君の望みを。一言で良いんだ。君がオレに重荷こころを分けてくれるなら、オレも君に命を賭けられる」



 私は目を閉じて、俯いた。


 もし許してくれるなら、無理なことは百も承知しているけれど、私の……我が儘を聞いて欲しい。

 私は涙を流し、小声で独り言のように呟いた。



「……生きたい。ちゃんと生きたい。分かっているけれ——」



 言葉が詰まる。いつもの癖が、それに続く言葉を飲み込もうとする。だけど、私はルクスの目に励まされて、言葉を紡いだ。



「無理はわかっているけれど……助け……助けてルクス。私、本当はあんなところに……戻りたく……ない」



 ルクスが満面の笑みを浮かべた。



「じゃあ、行こう。銀河の果てまで。ふふっ、"月の王様"と一緒に逃避行なんて、こんなエキサイティングな旅はないな」



 ルクスはオリヴァーが言った言葉「王様」という例えと「月の民」という単語が混ざり、勘違いしていることに気付いていなかった。

 ルクスは私に楽しそうに告げた。



「さぁ、王様!今から始めるよ!宣戦布告の一言をどうぞ!」

「えっ?!はっ?えっと、コークスをやっつけろー!」

「オッケー!任せてよ!」



 そして、ルクスはミナを王様と勘違いしたまま、オリヴァーが込めてくれた星燈を全てその一撃に乗せて、銃を撃ち放った。



 それはビルも飲み込むほど巨大な青い流星に見えた。綺麗な、綺麗な、澄んだ色の流星。


 地球に遊びに来た無邪気な流星が、尾を引き地上を駆けていく。そんな風に見えた。



 私にはそれが希望の光に見えた。


 そして、それを放った張本人——青く照らされたルクスの横顔を見ると、嬉しそうに笑っていた。

 ルクスは星燈の光を見ながら囁いた。



「ねぇ、アンデルセン。この光が届いている?」



 ルクスの優しい口調からそれはきっと大切な人だったんだと分かり、私も釣られて少しだけ微笑んだ。


 そして、その瞬間見間違いかと思うほど微かに、ルクスの目から青い燐光が迸った。

 

 瞬きしたら、その光は消えていた。


 だから、それが見間違いだったのかは分からない。


 けれど、もしかしたら——。


 ルクスの身体に力が入る。ルクスは言った。



「さぁ、行くよ!ちゃんと掴まっててよ!」



 私はルクスに体を預けた。

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