過去との和解

「美香、今までごめんね」


 私を守ってくれたであろう兄の魂に思いを馳せていると、母が居ずまいを正して詫びてきた。


「やだ、どうしたの? 急に改まっちゃって」


「聡の事故はあんたにかまけて目が届かなかったせいだって、心のどこかで思い込んでた」


「そうね。はっきり言われたわけじゃないけど、お兄ちゃんの事故は私のせいって責められてる気がしてた」


「だから帰って来るのを嫌がってたのよね?」


 悲し気な顔の母に、私はかぶりを振った。


「それだけじゃなくて、桜が怖かったの。記憶はなくても、無意識に事件を連想させるものを避けてたのね」


「そう……そんなことにも気が付かなかった。私はあなたの何を見ていたのかしら」


 自嘲気味に笑う母を哀れに思えるようになったのは、全てを思い出したからだろうか?

 ……いいえ、私が大人になったから。自分の感情だけでなく、相手の感情も理解できる、一人の自立した大人に。


「仕方ないわ。あの頃はみんな自分の悲しみを抱えることでいっぱいいっぱいだったもの」


「でも……もし本当に事故だったとしても、あんたのせいじゃない。分っていたのに、聡の死をどうしても受け容れられなくて……八つ当たりしてた」


 人は弱い生き物だ。

 理不尽な悲劇を受け容れられない時、それを誰かのせいだと思い込んで恨むことで、心を守ろうとする。

 ……周囲の大人たちのひそひそ声に惑わされて、両親に心を閉ざしていた私のように。


「私はなんてことをしてしまってたんだろう。美香だってまだ幼い子供だったのに」


「うん、辛かったよ。なんで死んだのがお前じゃなかったんだ? って言われてるみたいで」


 気にしてないよ、と気休めを言う事は簡単だ。でも、それは母の罪の意識を軽くするどころか、かえって自責の念を強めるだけだろう。

 だから、私は率直にぶつけることにした。幼かったころの私の辛さや悲しみを。


「そう、そんな風に思いつめさせてたのね。母親失格だわ」


 俯き、力なくつぶやく母の姿はとても小さく、頼りない。


「すぐ許せる訳じゃないけど、母さんたちの気持ちもわかる。私も、もう子供じゃないから」


「美香……」


 母の手を取り、しっかりと目を合わせて微笑みかける。

 そう、私はいつまでも子供ではない。自分を見てくれない両親を恨んでいじけているばかりの子供では。


「ゆっくり親子になっていこうよ。一人の大人と大人として」


 今さら子供時代には戻れない。だから、大人になった今だからこそできる形で、もう一度親子の絆を作っていこう。


「本当に、いい大人になったね」


「ええ、この春から先生ですから」


 泣き笑いの母に、にっこり笑って胸を叩いて見せる。


「あいたたた」


「もう、何やってんの」


「はぁい、反省してます」


 顔を見合わせて噴きだした母と、これからは笑いあえる日も増えていくのだと思う。

 それが、私を見守ってきてくれた、兄の魂に報いる道だ。

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桜吹雪に消えゆく面影 歌川ピロシキ @PiroshikiUtagawa

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