第2話

 喉が渇いた。


 だから飲んだ。


 腹が減った。


 だから食った。


 それを食った。黒男はそれを食った。


 化け物を食った。


「殺してやる。絶対、殺してやる」


 次々と食った。襲い掛かってくる化け物どもを殺して食った。


 荒野には化け物があふれていた。獲物には不自由しなかった。


 理性などどこかへ消えてしまっていた。黒男は本能に従い化け物を食い散らかした。

 

 どこにそんな力があったのかわからない。なぜ自分よりも巨大な化け物を殺して食うことができたのか。


 何もわからない。何も考えられない。


 とにかく渇くのだ。渇いて渇いて仕方ないのだ。


 そうやって化け物を食い続けているうちにある変化が現れた。


 黒男は腹が空かなくなっていった。しかし、それでも化け物を食った。


 黒男は眠ることがなくなった。だから眠ることもなく殺して食い続けた。


 黒男は疲れることがなくなった。だから休むことなく食い散らしていった。


 黒男はだんだんと人ではなくなっていった。けれど、そんなことなど気にもならなかった。


 黒男は正気を失っていた。


 どれだけの時間が経ったのかわからない。黒男は昼も夜もなく化け物を殺して食い続け、その果てにある場所に辿り着いた。


 そこは荒野の真ん中にある草木の生えぬ高い山の上だった。黒男はそこで『それ』に出会った。


 それは巨大だった。おそらく50階建てのビルよりも背の高い化け物だった。


 その化け物は見るからに化け物だった。一言で言うと五つの黄金の目を持つ青紫色のタコと血のように赤いドラゴンを合体させたような異形の化け物だ。


 その化け物はドラゴンの口から炎ではなく黒い雷撃を吐き出した。その化け物は太く長いタコの足のような触手で黒男に襲い掛かった。


 まるで災害と戦っているようだった。災害が化け物の姿をしているようだった。


 そんな化け物を黒男は食った。タコの足にかじりつき、ドラゴンの鱗を剥いで噛み砕いて飲み込んだ。


 力がみなぎってくるのがわかった。しかし、まだ足りなかった。まだまだ足りなかった。


 どれだけの時間が経ったのか。長い長いその化け物との戦いは意外な形で決着がついた。


 化け物が白旗を上げたのだ。だが、その声は黒男には届かなかった。


 化け物は黒男に何度も声をかけた。自分の負けだ、もうやめろ、と何度も何度も呼びかけた。しかし、理性を失った黒男にその声は届かなかった。


 それでも化け物は声をかけ続けた。言語を変えて。


 化け物の言葉には黒男の知らない言葉もあった。そして、知っている言葉もあった。


 そう、知っていたのだ。


「負けじゃ負けじゃ。いい加減止まるのじゃ!」


 黒男は動きを止めた。動きを止め、化け物を見上げた。


「……日本、語?」

「おお、通じたようじゃな。ということは、お主、異世界人じゃな?」


 日本語だった。そのドラゴンとタコの化け物は日本語を話したのだ。


「なんで、お前が」

「昔、お前と同じような異世界人に教わったのじゃ」


 知っている言葉を聞き理性を取り戻し始めた黒男は自分の姿を認識していく。


 ボロボロだった。衣服などほとんど意味を成していないような状態だった。憧れて夢見てやっと手に入れたゲーム機はどこかへ消えていた。


「落ち着いたかのう?」

「ぼく、は」


 何が起こったのか。何をしていたのか。


 黒男は少しずつ思い出す。自分がどんな状況に置かれているのかを。


「さて、異世界人よ。主はなぜここのおる?」


 なぜ。黒男はその原因を思い出し、再び怒りに支配されそうになる。


「あの、あのクソ野郎。絶対に、絶対に、絶対に」

「これこれ、無視するでない」


 黒男はハッとして顔を上げる。顔を上げて改めてそれを見る。


 本当に化け物だ。化け物としか言えない化け物が目の前にいる。


「落ち着いたか?」

「……うん」

「そうか。なら、まずは謝ってもらおうかの」


 化け物は座り込んだ黒男に顔を近づける。


「ここはわらわの縄張りじゃ。主はそこに許しなく土足で踏み込んで暴れまわりわらわに怪我を負わせた。ほれ、主が鱗を剥いだり食いちぎった痕が見えるじゃろう?」


 黒男は化け物の体に目を向ける。確かに化け物は傷だらけで、触手の数本は先端がちぎれている物もあり、化け物のその姿が戦いの激しさを物語っていた。


「わらわは主に謝罪を要求する」

「……ごめん、なさい」


 黒男は頭を下げる。まったく記憶にないが、おそらく自分がやったことなのだろうと素直に謝る。


「うむ、謝罪を受け入れよう。で、主はなぜここにおるのじゃ?」


 黒男は最初は少し戸惑っていたが、化け物に自分が異世界人であるとバレているならと、黒男は化け物にすべてを話した。


「なるほど。タチの悪い神もいるものじゃな」


 化け物は黒男に同情的だった。そんな化け物に黒男は味方ができたようでうれしくなり、無意識に涙を流していた。


「泣くな泣くな。大の男が情けない」


 そう言うと化け物は太い触手の先で器用に黒男の涙を拭うと黒男に話を促した。


「で、主はどうしたいのじゃ?」

「あのクソ神を、殺す」

「ふむ、神を殺すとは物騒じゃの。かなり難しいと思うぞ」


 確かに、と黒男もそう思った。神を殺すなどとんでもないことだ。


 だが、そうでもしないと気が済まない。自分の気が済まないのだ。


「難しいのはわかってる。でも、だとしても、殺せないとしても」


 黒男はグッと拳を握り、言葉を吐きだす。


「一発ぶん殴りでもしないと気が済まない」


 そう、神を殺すのは難しい。そんな大それたことができるとも思えない。


 だが、それじゃあ気が治まらない。だったらせめて、せめてあの神の顔面を思い切り殴り飛ばしてやりたい。


「……面白い」


 化け物が笑う。楽しそうに笑う。


「神を殴り飛ばすか。うむ、実に面白いのう」


 化け物が笑っている。けれどそれは黒男を馬鹿にしたり嘲ったりして笑っているわけではなかった。


「いいじゃろう。お主に力を貸してやる」


 こうして、黒男に仲間と目標ができた。


 神をぶん殴る。その顔面を殴り飛ばす。


「お主、名前は?」

「五木、黒男」

「クロウ? 確かお主の世界の言葉で爪かカラスか」

「違う。漢字、わかるか?」

「簡単なものなら」


 黒男は地面に自分の名前を書く。


「五、木、黒、男……。なんだか、あれじゃな」

「……それ以上言ったらぶっ殺す」

「ゴキブリ」


 黒男は化け物に殴りかかる。


「冗談じゃ冗談。悪かったのう……。しかし、決まった」


 何かが決まったのか。


「今、この時よりお主はネロ・ウルフを名乗るが良い」

「……は?」


 意味が分からない。


「一応、偽名じゃ。どうじゃ、カッコいいじゃろう?」

「いや、なんか、ダサい」

「なんじゃと? ならコックローチじゃ」

「それ、どういう意味?」

「ゴキブリじゃ」

「ふざけんなよ」


 その後、少しばかりの言い合いが続き、結局、黒男はネロ・ウルフを名乗ることとなった。


「では、ネロよ。わらわと契約を」

「契約って」

「血の交換じゃ」

「うわ……」


 なんだか、少し抵抗がある。


「なんじゃ今更。散々食いちぎっておいて」

「まあ、そうだけど……」


 まったく自覚はない。自覚はないが食ったのだろう。


 化け物は自分の触手の一部を噛みちぎる。黒男改めネロも自分の指を噛んで血をにじませる。


 その傷口を互いの傷口に合わせる。血が混ざりあい、淡く光り、何かが体の中にずるずると這いこんでくる。


 そして、頭の中に何かが入り込む。


 それは記憶と、知識と、力。


「……契約は成立じゃ」


 ネロは呆然としていた。頭の中に流れ込んだ大量の情報に脳がオーバーヒートし、半ば意識を失っていたのだ。


 そんな呆けたネロを見て化け物はニヤリと笑う。


「改めて名乗ろう。わらわはリドラビオーク。この地の主である」


 リドラビオークは邪悪に笑う。


「神を殴り飛ばすなら、それ相応の力がいる。呆けておるヒマはないぞ」


 リドラビオークが叫ぶ。空気が震え、大地が揺れる。


「さあ、喰らうのじゃ。喰らって喰らって、喰らいつくせ」


 そこは荒野。『神住まぬ果ての地』。その地には世界を破壊する力を持つ化け物たちが封じられていた。


「目覚めよ、災いの獣たちよ! わらわを喰らいに来るがよい!」


 荒野に禍々しい気配が満ちてゆく。その気配に世界が気づく。


 絶望がこの世界に現れたのだと、その世界に住むすべての者たちが感じていた。

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