第1話 ひょいひょいメット④

 ――翌日。

 例の道具を装着したまま、いつもの空き地で待ちかまえていると、あの女が颯爽さっそうと姿を現わした。

 それを目にした瞬間、自然に口元がゆるんでいく。よだれをらして獲物えものを待ちかまえる獣のような心境をおさえる事は出来ず、なるままに口の両端りょうはしは上がり、歯がむき出る。緊張と興奮とで唇は乾き、したなめずりを無意識に繰り返していた。

 こちらの不敵ふてき様相ようそうおくすることなく、女は堂々と歩き近づいて来る。女の異様いように早い踏み込みを警戒して、咄嗟とっさかまそなえれば、相手も歩みを止めてかまえを取った。

 言葉なき開始の合図。

 二人の間にある空気がめ、緊張が走る。

 女は半眼はんがんでこちらを見据みすをうかがう。それは、視界に敵をとらえつつ、視覚以外の感覚をもまし、全神経を使って敵の挙動きょどうを探ろうとしている、そんな風に感じた。

 間合いをはかりつつ、リズミカルにステップをみながら、次第に距離をめて行く。時に素振そぶりを見せては、出鼻でばなくじいて主導権しゅどうけんにぎろうと牽制けんせいする。だが、そんな安いフェイントに動じる事なく、女は取ったかまえから微動びどうだにしない。

 ――ならば……こちらから仕掛しかけるか?

 と、み込もうとした刹那せつな、女が瞬時に距離をめ、すべるようにふところもぐむ。逡巡しゅんじゅんが生む一瞬のすきかれ、押さえ取られる間合い。突然の窮地きゅうちに、あせ戸惑とまどい判断が遅れる。

 ――迎撃げいげきしろ!

 意表いひょうかれ硬直こうちょくする筋肉をあわてて動かす。が、意識と身体がバラバラのままにり出される正拳突せいけんづきは、相手に簡単にかわされてしまう。くわえて、しんに置くべき重心じゅうしんが前方へとおよいでしまい、こぶしを打ち出すままに身体が流れてしまった。

 ――打たされた!

 バランスを崩しながら思い知る。手の平で踊らされる猿によろしく、敵のえがいた戦術にまんまと乗せられた。それが証拠しょうこ準備万端じゅんびばんたん、女は強烈な殺意を放ちながら、がら空きの顔面にねらいすまし、今にもこぶしを打ち込こまんとしている。

 ――やられる!

 そう覚悟して、硬く目を閉じた。

 空気の壁を突きやぶる、ボッと言う音とともに打ち放たれた鉄拳てっけんは、

 ――くうる。

 女は驚きを隠せない。

 こちらも驚きを隠せない。

 態勢たいせいを立て直す間を与えず、女は続けざまに拳を打ち込んでくるが、何かに操られているかのように、身体が勝手にかたいて全ての攻撃をかわしてくれる。

 本能的に離れようとするこちらの動きを察知さっちして、女は瞬時に追って間合いをめた。今度はフェイントをぜ、上下に散らした連係技れんけいわざり出してくる――右中段突みぎちゅうだんづきから側頭部そくとうぶねらった左裏拳廻ひだりうらけんまわち、右上段突みぎじょうだんづきと見せかけて、前突まえつりでみぞおちをねらい、うしまわりへとつないで、最後に空中で一回転する変則的へんそくてき胴回どうまわりをはなつ――が、それらの攻撃を全てかわしてしまう。

 ――そうか、そうだった!

 自分が今、何を身に着けていたかを思い出す。はやる気持ちで我を忘れていた。

 糸でられたあやつり人形のように、不気味ぶきみかたむまががる身体をそのままにしながら、めまわすように女をながめる。冷静をよそおってはいるが、動揺どうようの色をかくせていない。初めて戸惑とまどう女を目の辺りにして、こみ上げて来る笑いをおさえる事などできなかった。

「んひっ、くひっぃ、ふひぁはははははははははあぁ、あーっはっはっはっはっはっはっはっぁはははっはっはははははっはあぁぁ。言っただろう! 今回は簡単にいかなねぇってなぁ!」

 がった身体をゆっくりと元に戻し、確実となった勝利への愉悦ゆえつひたる。そして、かまえなどおかまいなしに両手を広げ、ゆっくりと女に近付いて行く。まるで打ってこいと言わんばかりに。

 女はひるむことなく、みぞおちに前蹴まえげりをはなつが、身体が勝手に『く』の字にがり当たらない。

「当たらない! 当たらない! 当たらないぃぃいぃ!」

 目の前にぶら下がった勝利の二文字によって、テンションはどこまでもがりたかぶって行く。

「当たる訳がないんだよぉぉ!」

 ―― そう、当たる訳がないのだ。この道具を着けている限り。こっちには未来という科学の力が付いているのだから!

 AR問題を解決すべく【新興技術しんこうぎじゅつセンター開発局かいはつきょく】から届いたこの道具は、装着者の危険を感知して、強制的に回避行動かいひこうどうを取らせる。

 搭載とうさいされた人工知能が周囲の状況を把握し、危険と判断すれば耳の後ろに取り付けた電極から二ミリアンペア程の微弱な電流を流す。電流は平衡感覚へいこうかんかくつかさど三半規管さんはんきかんや脳の前庭部ぜんていぶ作用さようして、人の意思とは関係なく電流が流れた方向へと身体をかたむかせ誘導ゆうどうする。その仕組しくみにより装着者は危険を回避かいひするのである。

 ARが引き起こす注意散漫ちゅういさんまんによる障害 ―― いだパジャマですべってころんだり、椅子いすに足の小指こゆびをぶつけたり、気付かず車道に出てしまったりしても ―― 人工知能が危険を察知さっちして、全自動ぜんじどう回避行動かいひこうどうを取る夢の道具。ひょいひょいメット。

 そんな未来の力を手に入れているとも知らず、女は無駄な攻撃をりずに繰り返す。が、ひょい、ひょい、と全てかわしてしまう。

 繰り返される不毛ふもう攻防こうぼうにもき、そろそろ楽にしてやろうと、女の攻撃に合わせて背後に回り、完全な死角に入る。そして、十年以上もの間、鬱積うっせきし続けた屈辱くつじょくこぶしに込めて打ち込む――が、女はまるで舞をおどるかのように、するりとけて反撃にてんじた。

 ――馬鹿な! 

 するどくキレのある回転裏拳かいてんうらけんほほのキワをかすめ、チリッとした感触を残す。一瞬、産毛うぶげの焼けげた匂いが鼻腔びこういた。

 死角から放った、見えないはずの攻撃をかわすなんてありえない。完璧に捕えていた。間違いなく当たるはずだった。にも関わらず、まるで見ているかのように、軽やかにかわしてのけた。

 信じがたい現実を目の辺りにして、女の二つ名が脳裏のうりぎる。

 ――幻影げんえい舞姫まいひめ。目にしてもれる事はかなわない。

 その名が伊達だてではないと、肌で知り、ゆるんでいた気持ちを引きめた。

 ――油断ゆだん禁物きんもつだ。

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