第1話 ひょいひょいメット②

 学校へ行くみちすがらに見える街並まちなみは、二つの姿を持つ。ビルの壁一面かべいちめんを使った色鮮いろあざやかなCMや広告、曲に乗せて新商品やセールの街頭がいとう宣伝せんでん、飛び出すギミックの付いた看板かんばん、といったPR活動がにぎやかなウェアブルデバイスを通して見る世界と、全てが白にめ上げられ、整然せいぜん淘汰とうたされた無機質むきしつな風景が持つ、静寂せいじゃくに包まれた本当の世界。

 今、この区画くかくが協力している主な製品テストは、ウェアラブルデバイスに連動れんどうしたARのインフラ設備の試験と、テスターを使った運用テストを行っている。

 ARとはAugmented Reality(オーグメンティッド・リアリティ)の略であり、拡張現実かくちょうげんじつと訳される。メガネやコンタクトレンズの形状をしたウェアラブルデバイスを通して見る拡張現実かくちょうげんじつは、視界にうつる風景にデジタル情報を投影とうえい融合ゆうごうさせ、新しい世界をつくり上げる。

 例えば、矢印やじるしが地面に投影とうえいされ目的地に誘導ゆうどうする道案内みちあんないや、デジタルのまくやのぼり等の広告が、実在するかのように利用者の視界にうつり込む。現実の風景に仮想世界かそうせかいのデジタル情報をかさね合わせ、現実世界げんじつせかい拡張かくちょうする事がARである。これらの恩恵おんけいは一般生活にかぎらず、精密機器せいみつききのメンテナンスを行う技術者への援助えんじょ、医療分野では手術支援しゅじゅつしえんなど様々さまざまな所でARは役立つとされている。

 リアルタイムで投影とうえいされるAR情報は、一見いっけんリアルではあるが、良く見れば違和感いわかんおぼえる。意識しなければ分からないレベルまで到達とうたつしているが、影の表現が厄介やっかいなのだ。室内のような限られた光源ならまだしも、屋外となると複雑な反射拡散はんしゃかくさんを繰り返し、全方向から飛んで来る光の計算をまえた上で、影の形や濃度のうど輪郭りんかくのボケ具合ぐあい算出さんしゅつしなければならない。これをリアルタイムでみちびき出す事は困難こんなんなので、AR情報が投影とうえいされる周辺の明るさを分析し、飛んで来る光を疑似的ぎじてきにシュミレートして陰影いんえいを生成する。この手法をオクルージョンマップというそうだが、簡単に言ってしまえば、ARは陰影いんえいかげを注意深く観察すれば見分けることができるのである――例えば、目の前にある看板やお店ののぼり、宙に浮かぶ広告用のバルーン、優雅ゆうがに空を飛んでいるあの女性にも、やはり違和感いわかんを覚え…る? んんっ、人が……空を飛んでいる!?

 思わずデバイスをはずして裸眼らがんでそれを確かめる。間違いなく、それは現実で、女性は空を飛んでいた。ジェットパックのようなガジェットは見当たらず、どうやって飛んでいるのか見当けんとうも付かない。頭の上を通り過ぎるそれを、呆然ほうぜんと見上げながら目で追うと、こちらの視線に気付いたのか、女性は手を振りこたえる。見失みうしなわないように小走りに追い掛けながら、デバイスを装着して、彼女の装備を検索する。服のブランドと詳細が次々に表示されるも、肝心のガジェットは詳細不明と表示された。

 ――かせいでいるのか。

 あれを見た誰もが検索をするだろう。そうすれば、ブランドの宣伝をしたとして広告料が彼女に入る。空を飛ぶあの道具の試験者に選ばれた上に、小遣いまでかせげるなんて、運がいい事この上ない。

 不意ふいに、側面からの気配を感じて目をると、眼前にせまる自動車にはじめて気付いた。咄嗟とっさ身構みがまえ硬直する身体、反射的に強く目を閉じた。

 大きなブレーキ音が響き渡り、身構みがまえたままゆっくり目を開けると、鼻先で止まっていた無人の自動車は、自動制御にしたがって何事も無かったように、へたり込む男を避けて走り去って行く。へたり込んだまま歩道に戻り、呆然ほうぜんと走り去る車を無意識に目で追った。ウェアラブルデバイスが鳴らす警告音けいこくおんに全く気付かずに、いつのまにか車道に出ていたのだ。あやうく引かれて死ぬ所だった。

 このシステムには欠点がある。虚構きょこうと現実の境目が曖昧あいまいになる――と大層たいそう事柄ことがらではなく、視界にあふれる情報が多すぎて、注意散漫ちゅういさんまんになるのである。そのために接触、衝突事故が後をたないのだ。この欠点こそがAR問題と言われる課題である。

 車にかれず安堵あんどするのもつか、突然背中に強い衝撃と痛みが走った。

「邪魔なんだけど」

 道の真ん中とは言え、へたり込んだ人間の背中を容赦ようしゃなく蹴り倒す、この女こそ、因縁深いんねんぶかきあの女 ―― 大元おおもと 静香しずか

 色の白いスラっとした長身、腰まで伸びた髪はうっすらと明るい栗毛色くりげいろで、を受けると柔らかいこがね色の光をびた。いつも型の古い大きなヘッドフォンを着けていて、かたくなに耳を隠している。めた眼差まなざしを向けはするが、視線を合わせる事を決してしない。いつもし目がちに、周囲をけている。

「痛ってぇな。まだそんなモン着けやがって、似合にあわねぇつってんだろ、取っちまえよ!」

 立ち上がり、バツの悪いタイミングを誤魔化ごまかすように啖呵たんかを切る。

「うるさい」

 歯牙しがにもかけず、立ちろうとする女に

「明日、試合(しあ)え!」と言いはなつ。

 女は肩越かたごしに一瞥いちべつし、鼻で笑い去って行く。

「今回は簡単にはいかねぇからな!」

 遠ざかる背中にまけしみに似た言葉を投げながら、目に物を見せてやると固くちかった。

 

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