エピローグ 英雄になったわたしは娘を甘やかすのを止められない
それから、多くの時が流れて。
気づくと「わたしがステラになってからの年月」が、元の自分──冴えない男性冒険者クライスだった頃の年齢を追い越していた。
「……早いものね。月日が経つのは」
広い天蓋つきのベッド。
窓から届く陽光に右手をかざして、その白さと柔らかさをじっと見つめる。
これが無骨で傷だらけだった頃のことはもう、朧げにしか思い出せない。
寝起きの気だるい感覚の中、感傷的な気分に浸っていると、左腕がきゅっ、と優しく掴まれた。
「わたくしを置いて寝床を出るのは許しませんからね?」
「もう、リリアーナったら。そんなことするわけないでしょう?」
「どうだか。ステラはすぐ他の女に手を出すのですから」
「手を出すって、それは正式な契約に基づくものじゃない」
「それだけではありません。あの子たちまでステラを狙っているではありませんか」
「娘に嫉妬するのはやめて欲しいのだけれど……!?」
王女あらため、王妹リリアーナ。
ちょっとこう、堂々と答えるのがはばかられる年齢になった今でもその美しさはまったく衰えていない。
半永久的に生きられる精霊と、軽く千年を生きる竜の力。その影響なのか、全盛期の美しさを今なお保ったまま精力的に活動している。
一時期、騎士団長候補としても名前が挙がっていた彼女は政治的なしがらみを避けるため、少数精鋭の遊撃騎士隊を組織するとその長に収まった。
見どころのある女性であれば年若い者でも平民出身でも、兵士の地位に甘んじている者であっても引き抜き、魔物討伐にあちこち飛び回る。
兄である国王との仲も良好なことから、彼女の騎士隊は『国王の懐刀』と呼ばれて畏怖と尊敬を受けている。
まあ、そんな彼女もわたしと一緒の時はただの可愛らしい女性だ。
普通、高貴な者は夫婦であっても毎日一緒に寝たりとかしない──ベッドを共にする時はえっちなことをする時だけなのだけれど、わたしたちは同性だしそういうのは無視だ。
お互い忙しいのでいつも一緒に寝られるわけじゃないし。
寂しいと全力で主張する彼女をよしよしと抱きしめ、優しいキスを交わしていると寝室の部屋がノックされて、
「おはようございます、リリアーナ様、ステラ様。入浴とお着替えの準備ができております」
離宮のメイド長となったプラムが恭しく一礼する。
いつもながら、わたしたちがいちゃつくのをある程度見過ごしてから入ってくるのだけれど──逆に言うとこれ、なにをしているか全部把握されているということで。
彼女には敵わない、と、いつもながら実感する。
リリアーナも二人だけの時間が終わりを告げるとすぐにきりっとした表情になって。
「ええ。今日もスケジュールが詰まっているものね」
「あら、あなたたちでも大変な用件なの? だったらわたしも」
「いりません。……ステラこそ、今日も、とっても、忙しいのでしょう?」
「ええ、まあ」
若干言葉に棘があるのを感じつつわたしは頷いて、
「朝食の後は神殿に赴いてお祈りをして、変わったことがないか確認して、みんなの顔も見てくるつもり。
その後は騎士団で指導のお手伝いをして、お昼は学院で魔法の話をしながら食べる予定。
『学園』もようやく軌道に乗ってきたところだから顔を出しておきたいし──時間があれば水浴びをしながら精霊と話もしたいわ」
「ステラ?」
「ステラ様?」
もう少し休め、というダブル攻撃にわたしは「わかってます」といつもの返答。
「ちゃんと夜は寝ているでしょう? 心配されるほどハードワークじゃないってば」
「ステラの活動量が大陸一だったとしてもわたしは驚きません。……それと、今夜ですけれど」
「わかってる。そこだけは死守するから安心して」
微笑んで答えると、リリアーナはようやく安心したのか心からの笑みを浮かべてくれた。
◇ ◇ ◇
「我が学園にようこそ、勇者ステラ様。むさくるしいところだけれどどうぞゆっくり」
「やめてください、エマさん。口元がにやけてます」
「残念。別に嘘は言ってないのに」
漆黒の長髪に深淵を覗くような黒い瞳。
魔法使いエマの美貌もあの頃とほとんど変わっていない。
彼女は特別、妙な血筋とか種族とかではないのだけれど──これはたゆまぬ努力の結果だ。
若返りの秘薬の研究によって「まあ、超お金持ちなら手が出なくもない」程度のコストで再現に成功。
エマの作った薬自体は飲むと一年若返るが、年に一回以上飲むと肉体に危険レベルの負荷がかかるという、どんなに頑張っても歳を取らないのがせいいっぱいの代物。
これに老化を遅らせる魔法や魔道具を併用することで年齢の調整を可能にしている。
そんな彼女は今や、王都にある『王立学園』の初代学園長だ。
「国を平和に導いた大英雄様に敬語を使うのは当たり前」
「エマさんもその『大英雄様』の一人じゃないですか」
俺たちはあれからも冒険者としてかなり暴れまわった。
『駆除する者』等々と協力しての『帰らずの大森林』広域調査。
この国と他国との盗賊ギルド抗争の鎮圧。
『最も古き迷宮』最深部の解放と、機能の停止。
結果、『冒険者の街』は以前ほど危険に溢れた街ではなくなり、新騎士隊の発足などもあって国内はかなり平和になった。
その結果、構想されたのが『学園』だ。
武術も、魔法も、奇跡も、学問も学べる総合的な学び舎。
今のところ運営資金の関係で貴族中心、成人前の貴族が箔付けのために使うような位置づけになっていて、平民に関しては一部の才能を見出された者だけが奨学金で入学しているような形だけれど。
ゆくゆくは広く人材を集められるようになればいいと思っている。
「昔はお酒を飲んでくだを巻いてばかりだったエマさんが学園長……立派になりましたね」
「私をこの立場に引っ張り込んでおいてよく言う」
「だってウィズさんが『絶対嫌』って言うんですもの」
もちろん弟子のほうも嫌がったのだけれど、彼女には押し付ける相手がいなかったので泣く泣く引き受けてくれた。
面倒くさがりな性格は直っておらず、仕事を下に押し付けがちではあるものの、手間を省くために知恵をこらす性質は運営の大きな助けになっている。
「ま、学園の様子を見ていって。それが終わったらみんなと合流」
「そうですね。久しぶりの集合、楽しみです」
◇ ◇ ◇
「久しぶりって言っても、ちょくちょく会ってるんでしょう?」
「それはまあ。でも、みんなで一緒に集まるのは久しぶりですから」
学園をぐるっと回ったところ、色んな生徒からもみくちゃにされてけっこう時間がかかってしまった。
ようやく学園長室の扉の前に戻ってきて。
雑談を交わしながら扉を開けると、銀髪の美女がくすりと笑いながらこちらを振り返った。
「相変わらず大人気なのね、ステラ」
「もう。お姉さままで意地悪しないでください」
「ふふっ。ごめんなさい。あなたたちと一緒だとついつい若い頃を思い出してしまって」
そういう彼女はむしろ若い頃のほうが優しかったのだけれど。
リーシャは今や『聖女』の名を先代から受け継いだ立派な聖職者だ。いや、先代もまだ引退していないので受け継いだは語弊があるか。
今は『冒険者の街』の神殿で長をしている。
神殿の運営に頭を悩ませながら後進の育成に日々力を尽くし、人々からもとても慕われている。
彼女に関しては、特に若返りも寿命の延長も行っていない。
なので『ごにょごにょ』歳ともうかなりの歳なのだけれど、先代がそうであるように、地母神の高位聖職者は大地の息吹をその身に受けられるのか、実年齢よりはずっと若く見える。
さすがに年月を感じさせる容姿にはなっているものの、相応に歳を重ねた貫禄は若々しさとはまた別の美しさを作り出していた。
「聖女様にはもうお会いになりましたか?」
「ええ。ステラとは入れ違いになってしまったけれど。せっかくだから集合の前にこっちへ送ってもらったの」
「でも、これからまた向こうへ戻るの二度手間じゃない?」
「あら。わたくしはあなたたちの腕前を信頼しているもの」
言われたエマは若干むっとしながら『当然』と答えた。
「二代目魔女とか呼ばれるのは心外だけど、私だってあの頃の師匠に並ぶくらいにはなった」
一握りの天才だけが研鑽の末に到達するはずの《テレポート》が、俺たちの周りに限ってはまるで便利な移動手段扱いである。
なおリーシャを送ってくれたのはボクっ娘。
彼女も今はもうとっくに一人称を改め、さらには結婚、五人もの子宝に恵まれた立派なママである。
「それじゃあ行きましょうか、あの街へ!」
◇ ◇ ◇
離宮に馬車で戻ってリリアーナを拾い、《テレポート》。
着いた先はあの頃を思い出す、一件の宿。
「ここもすっかり立派な佇まいになりましたね……」
かつての定宿は改装と改築によって見た目をすっかり変えている。
少し寂しいような、誇らしいような気分に陥っていると、背中から「なに言ってるんですか!」と明るく声をかけられた。
「勇者たちが愛した宿、ってお客さんが増えたおかげなんですから、他人事みたいに言わないでください!」
「セリーナさん、お久しぶりです」
「お久しぶりです、ステラさん! ……相変わらず綺麗で妬ま、いえ羨ましいです」
あのセリーナもお母さんから宿を受け継ぎ、今では立派な女主人。
酒と料理に詳しい男性と結ばれ、従業員と子どもたちに囲まれながら幸せな店舗経営を続けている。
その顔には皺が目立ち始めているけれど、その明るい笑顔を見るとやっぱりほっとする。
「準備はできてますよ! 貸し切りに移行しましたから、たくさん飲んで食べてくださいね!」
どこか懐かしい音と共に扉を開けると「遅いわよ!」と威勢の良い声が聞こえた。
中央の大テーブル。
その椅子のひとつにどっかりと腰をかけて足を組んでいる、ミニスカートの美少女、もとい美女。
その傍らに立てかけられた剣から大精霊が姿が投影されて『やっほー』と手を振ってくれる。
リリアーナはヴォルカにぺこりと頭を下げつつ、はあ、とため息をついて、
「まったく、フレアは相変わらずですわね?」
「当たり前じゃない。まだまだ老け込むような歳じゃないわよ、あたしは」
言って蒸留酒のたっぷり入ったグラスを軽やかに煽る彼女。
紅の髪と瞳は翳るどころかますます輝きを増し、肌は若々しさと艶を両立させて強烈な魅力を放っている。
仲間はともかく、従業員には男性もいるというのにスカートの中が見えても気にしないのは、これだけ時間が経っても変わっていない。
「それよりさっさと注文しなさい。今日は朝まで飲み明かすからね?」
「いえ、あの、フレアさん? 別に同窓会で集まったわけじゃないんですよ?」
「なによ。別にまたあの山にドラゴン退治に行くだけじゃない。歩きながら二日酔い治せばいいのよ」
「さすがフレア。よくわかってる」
「あのね、フレア? ……あなたたちは良くても私はさすがにもう二日酔いは辛いのよ? あと、本当に二日酔いになっても奇跡で治療はしないから」
「ぐっ……。さすがリーシャ、何年経ってもそういうところは厳しいのね。いいわよ! 酒ってのは二日酔いになってこそだもの!」
「さすがフレア。よくわかってる」
「ああもう、仕方ありませんわね……」
はあ、と、ため息を吐きつつ笑みを浮かべるリリアーナ。
「かの山に住み着き、我こそはヴォルケイノの後釜だと名乗る竜語魔法使い。奥義によって竜と化したその者と交渉するその任務も、フレアにかかればいつものことなのね」
「大人数だといたずらに刺激するからとわたしたちだけでの任務……。戦力で言えばあの時よりも少ないのにね」
「なに言ってるのよ。強くなったあたしたちならヴォルケイノだって五人で倒せるわよ」
ヴォルケイノ、か。
あの竜を倒した時のことは今でもはっきりと覚えている。
確かに、わたしもみんなもあの頃よりはるかに強くなった。
けれど、自在にあの魔剣を操り、次々に他人と融合し、竜の眼光に怯まず張り合ったあの頃の勢いが今のわたしにあるだろうか。
今はもう『腰に装着されていない』あの剣を思って苦笑して、
ばーん!!
店の扉が勢いよく開かれた。
驚いて振り返れば、乗り込んできたのは二十代前半から十代前半くらいまでの女の子たちだ。
先頭の子はかつて伯爵家の魔剣と呼ばれていた『
「あなたたち、どうして……!?」
立ち上がったわたしに、『娘たち』は笑顔を見せて、
「お母様が忘れ物をしたから届けに来たの。ついでに竜退治に加えてもらえないかなって」
「だからって……みんなしてわざわざ来るなんて」
あれか、ウィズあたりの差し金か。
別に魔剣は忘れたわけじゃなくて、娘に譲ったから使うつもりがなかっただけだというのに。
剣を渡す口実で飲み食いしたかっただけの子、冒険に行きたかった子、いろいろいるんだろう。中にはものすごく申し訳無さそうな顔をしている苦労人もいる。
みんな、わたしの大事な子供たちだ。
お腹を痛めて産んだ子も、相手に産んでもらった子もいるけれど、定期的に会って話をしたり訓練に付き合ったりしてきたつもりだ。
つもりだったけど、会ってあげられる時間が足りなかったか。
それとも単に、じっとしていられない性格がうつったのか。
ただでは帰ってくれそうにない彼女たちを見て、わたしは深い溜め息をつき、
「セリーナさん。この子たちも一緒でいいですか?」
幸い、宿の女主人は快諾してくれた。
貸し切りにあたって有り余る謝礼を渡してあったおかげのようだ。
持つべきものはお金、もとい親友である。
「みんな、店の人たちに迷惑にならないようにするのよ?」
歓声を上げて席につく娘たち。
なんだかんだ言いつつ礼儀作法ができているのは躾の成果か。
フレアが「やれやれ」と笑って、
「なんだか賑やかなことになったわねー」
「そうですね。でも、わたしたちらしくていいじゃないですか?」
わたしたちの冒険は、まだ終わらない。
《END》
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本編はこれで終了です
ここまでお読みいただきましてありがとうございました
この後は各主要キャラに一話ずつくらい個別話ないとアレだよね、ということで何話かおまけが続く予定です
もしよろしければお付き合いくださいませ
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