焔竜ヴォルケイノ(3)

『おお、素晴らしい……! 花嫁、我が花嫁よ!』


 ヴォルケイノの声が理解できるのはドラゴンに近づいたせいか。

 《シェイプ・ドラゴン》はかなり高位の竜語魔法ではあるが到達点ではない。人の姿に戻ることが可能な一時的な変身。

 その上には永遠にその身を変える魔法も存在するのだが、俺にもリリアーナにもその気はまったくない。


 身も、心まで重ね合わせた俺たちは意思を伝え合う必要もなく「彼に従う気はない」と心を決めて。


『わたくしは、あなたのものではありません……!』


 焔龍──リリアーナの口から生まれた焔弾が次々とヴォルケイノに着弾する。

 今の焔竜に炎でダメージを与えるのは困難だが、戦う意思はこれでもかと相手に伝わった。


『ならば……我らの関係を力付くで知らしめるまで!』


 隻眼となった焔竜が傷ついた前足を伸ばして俺たちを掴もうと挑んでくる。

 龍の尾と同化した魔剣がその腕に突き刺さり、引き抜かれるとどす黒い鮮血を吹き出させる。

 ヴォルケイノが無理してブレスを放っても、半精霊の龍である俺たちには効かなかった。


 上空へ高く舞い上がってしまえば、片翼を痛めた今のヴォルケイノに残された術はほとんどなく。


 やむなく彼は手近な岩に尾を巻き付かせて投擲することを選択。


『その時を、待っていました!』


 剣から槍へと変化した魔剣──龍の尾がヴォルケイノの尾に深く突き刺さって。

 再び剣へと変化しながらその肉をざっくり切り裂くと、焔竜は己の纏った炎によって自身の尾をこんがりと焼き尽くしていった。


『何故だ! 何故、我を拒む!』

『力づくで思い通りにしようとする殿方に、思いを寄せろというほうが無理な話ではありませんか……!?』


 なおも伸ばされる前足をかいくぐり、俺たちは焔竜に身を絡みつかせた。

 竜の巨体を強烈に締め付けながら、その身に大きくかぶりつく。

 絶叫を上げたヴォルケイノの喉に尾を突き立て、穴を開けて。ブレスが復活したとしてもまともに収束させることを不可能として。


 満身創痍の焔竜にはもはや、振りほどく力は残されておらず。


「動きを止めたわね、焔竜」

「こうなったらもう、ドラゴンだろうとただのでかい的」


 魔力の矢が、戦乙女の槍が、これでもかと突き刺さって。


「一人で相まみえたい気持ちはあったが、許せ、焔竜」

「貴様が王国に仇なす前に……いや、我らが殿下に呪いをかけたのが貴様の運の尽きだ!」

「ほうら、女の意地を甘く見たこと、あの世で後悔するんだね!」


 半巨人の剛剣が、国宝の魔剣が、竜の首を左右からざっくりと切りつけて。

 猛女の戦棍が竜の鼻先を思いっきり、骨ごと割り砕いた。


 その間に、フレアとヴォルカが俺たち──焔龍リリアーナのところまで到達して。


「さ、仕上げよリリアーナ!」

『ステラちゃん、残ってる魔力全部使っちゃいなさい!』


 四人分の残存魔力すべてを使った炎が、突き立てられたままの龍の尾を通して、内側からヴォルケイノを焼いた。


『お、おおお、おおおおおお……っ!? 我が、この我が、ようやく見出した花嫁に、討ち滅ぼされるというのか……!?』

『その通りです! 一方的に求婚をするのであれば、一方的に拒否される覚悟を持ちなさい、焔竜!』


 俺たちも相当にボロボロになっていた。

 大精霊に聖女、猛女、騎士団長の協力を借りてなおこの有り様、融合なんていう奥の手を駆使してようやくの勝利なのだから、むしろ焔竜の強さが想像以上だったとしか言いようがないが。

 長く生き、擬似的な精霊魔法さえも操る大いなる焔竜は、さすがにもう、持てる力のすべてを使い果たしていた。


 内と外から文字通り命を燃やし尽くされて。


 ずん、と、地面を揺らしながらその巨体を地面に横たえると、体内の血を海のように流し尽くしていく。

 片方だけになった眼に剣が突き立てられ。

 尾も、足も、ぴくりとも動かなくなり。

 声も、最初とは比べ物にならないほど弱々しくなって。


『認めぬ。我を拒否することなど、認めぬぞ花嫁よ』

「……ならば、どうするというのですか。そんな姿になってもなお、わたくしを求めるのですか、焔竜」


 融合を解除したリリアーナは、俺に肩を支えられながら竜を真っ直ぐに見据えた。

 返答は、僅かな間を置いてから。


『我は死ぬ。生物はみな死から逃れられぬ。しかし、我には未練がある。……ならば、邪なる生を選んででも花嫁、お前だけは手に入れる!』

「……なっ!?」


 ぞく、と、背筋が寒くなるのを感じた。


「この期に及んでまだ、リリアーナを諦めないなんて……!」


 もう、焔竜の命は尽きる寸前。

 それでも彼に取れる手段が一つだけ残されている。

 《屍竜転生イビル・リボーン・ドラゴン》。

 死に瀕した竜が己の生命と引き換えに邪なる生を手に入れ、自らアンデッドと化す、最上級の竜語魔法。


 いや、原理としてはもはや悪しき神の奇跡に近いのかもしれない。

 焔竜を取り巻いていた炎が消え、代わりに禍々しい負のオーラがその身を包みこんでいく。


 ……俺は、かつて戦ったドラゴンスケルトンを思い出した。

 あいつも決して油断できる相手ではなかった。

 当時の俺たちが他の冒険者の協力を得てようやく倒した相手。

 けれど、これから誕生する屍竜はそんなレベルの相手ではない。

 ゾンビでも、スケルトンでもない。

 強いて言うなら上位のアンデッド──リッチやヴァンパイアがドラゴンという圧倒的な存在の身体を操っているような、そんな存在。


 それを葬り去るには、もう。


「肉体そのものを破壊し尽くすしか──」


 今の体力ではかなり絶望的だが、今ならまだ竜がアンデッド化するまでに間がある。

 すぐに攻撃を始めれば、と、右手に戻ってきている魔剣を握りしめて。


「その必要はありません」


 ゆっくりと、けれど着実に、こちらへ歩んでくる者たちがいた。

 あの戦いの後だというのに衣に汚れひとつつけていない──最後の最後まで、味方の生存に責任を持つために、敢えて魔晶を用いた治療のみに専念していた協力者。

 地母神の『聖女』の後ろには真摯な表情を浮かべたリーシャ、それから戦神の歌を歌い終えた戦神の神官がいた。


「殿下の身柄を求めた悪しき竜と言えど、一個の生命。不死の化け物へと変えさせるつもりはありません」

「わたくしたちの力をもって、完全にアンデッドへ変わるその前に、負の力を祓います」


 冒険者パーティにとって、同行する聖職者が力尽きることは絶望と同義だ。

 負の生命を退け、味方を癒やし、戦いでささくれだった気持ちを和らげてくれる彼女たちは、最大にして最後の命綱。

 魔力を使い果たしてしまった俺では協力できないのが残念だが──。


「微力ながらお手伝いいたします、聖女様」

「ありがとう。……では、始めましょう」


 三角形になるように焔竜を取り囲んだ聖女たち。

 彼女たちを中心に聖なる光が生まれ、清らかな光の輪を作って、一帯を包みこんでいく。

 光は地面に流れ出した竜の血、さらには俺たちの服の汚れまでも巻き込み、悪しき力のことごとくを浄化して。

 立ち上る負のオーラはしばらくの間、それに拮抗しようと蠢いていたものの──やがて根負けしたように霧散して。


 嘘のように綺麗になった地面には物理的な破壊の痕だけが残っていて。

 地に伏せた焔竜の亡骸は、綺麗に骨だけの状態となってそこにあった。


「……終わった、のですね」


 亡骸となった焔竜をじっと見つめながら呟くリリアーナ。

 彼女が抱くのは喜びか、怒りか、それとも哀れみか。

 俺はただ「はい」と答えて。


「終わりました。……あなたが生まれてからずっと囚われていた運命は、今日ここで終わったんです」

「……ステラお姉さま」


 金色の髪に翠色の瞳を持つ王女は、俺のパートナーにして後輩である少女は、涙を浮かべて俺を振り返って。


「ありがとうございました。……あなたが、みなさまがいなければ、わたくしはなにもできないまま運命に破れていたでしょう。あなたがたのおかげで、わたくしは自由を手にすることができました」

「いいえ。わたしたちがしたことなんて大したことじゃありません。……全部、リリアーナが望んで、足掻いたからこそ、この結果が生まれたんです」


 参加した者たちは誰一人として死んでいない。

 傷は奇跡によって癒やすことができる。焔竜を討ち取った俺たちを襲ってくる魔物もそうそういないだろう。

 魔力と体力が厳しい今、すぐに引き返すのは難しいかもしれないが。

 その場にいる誰もが達成感と喜びを表していて。


 今、ここに、俺たちの最大最高の戦いが、終わった。


 後は無事に帰り着くだけで──。

 俺たちのそばまで歩み寄ってきた魔女が勝利の余韻を残したままに笑って、


「ふふっ。一時はどうなるかと思ったけれど、最高の結果ね。新鮮な竜骨が一匹ぶん丸ごと。このために収納アイテムをたくさん持ってきてよかったわ」


 うん。ぶっちゃけこの骨を売るだけで一生遊んで暮らせるだろうけど、そういう俗な話はもうちょっと待って欲しい。


「さすが師匠。私も、せっかくだからこの骨を酒に漬けてみたい」

「あら。味はともかく、値段は最高級になるでしょうね。面白そうだわ」


 だから待てって言ってるのに!

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