リリアーナ(7)
その日の夜、俺は王女の私室を訪れた。
俺の訪問を知ったリリアーナは部屋の入口に立って、
「お姉さま? どうして……」
「以前、一緒に寝ようと言ってくださったでしょう? ……お言葉に甘えてもよろしいでしょうか?」
大きく見開かれる瞳。
数秒の沈黙の後、少女は微笑んで「はい」と答えた。
「どうぞ中へ。……歓迎いたします、お姉さま」
プラムが就寝前の紅茶を淹れてくれる。
香りを重視した一杯。楽しみながらそれを味わっていると、向かいに座ったリリアーナが「ごめんなさい」と呟いた。
「どうして謝るんですか? リリアーナ様はなにも……」
「いいえ。わたくしの問題にみなさまを巻き込んでしまいました。わたくしの我が儘で、多くの人を苦しめてしまっています」
ずっと我慢してきたんだろう。
大粒の涙が落ち、少女は身を震わせる。
プラムはそんな彼女を支えようとはしない。ただ歯がゆそうに、苦しそうに、表情には表さないように悲痛を殺しながら立っている。
侍女の役割は主のサポートであって、主の依存先になることじゃない。
けれど、俺はそんなこと知ったことじゃない。
「いいんです。リリアーナ様は我が儘を言っていいんですよ」
笑って、彼女の苦しみを吹き飛ばそうとする。
「……ステラお姉さま」
「もちろん、我が儘を聞いてもらえるかはわかりません。どのくらいの人が話を聞いてくれるかもその人次第です。……でも、だとしたらリリアーナ様は誇っていいんです。だって、たくさんの人があなたを助けようとしてくれているんですから」
国の損失だけを考えるなら国王は生まれたばかりの王女を闇に葬れば良かった。
あるいは『竜の花嫁』であることを隠したまま十六を目前に他国へ嫁にやってもいい。
そうしなかったのは、ひとえに愛情。
侍女や騎士が、そしてあのウィズが協力し尽力しているのは、すべてリリアーナがそうするに足るだけの優しさとカリスマを備えているからだ。
俺は、人が平等だなんて思わない。
生まれや才能によって人には大きな格差がある。
やりたいこともできないまま、周囲すべてに疎まれて死ぬ人間だっているだろう。
だけど、リリアーナは違う。
「足掻きましょう。最後の最後まで。大丈夫です。……わたしもフレアさんたちも、もちろん城のみなさんも、そんなに弱くはありませんよ」
冒険者になってでも生き延びようとするこの少女を、俺たちをすごいと言ってくれたこの少女を、俺は見捨てられない。
「……はいっ。ありがとうございます、ステラ姉さま」
上手いこと言えた自信はない。
けれど、リリアーナは泣いてくれた。泣いて「ありがとう」と言ってくれた。
俺の言葉で少しでも彼女の心のつかえが取れたのなら、それはとても嬉しいことだと思う。
◇ ◇ ◇
「……申し訳ありません。子供のように泣きはらした後、こんな顔をのままベッドに入るなんて」
「気にしないでください。わたしたちは女の子なんですから、泣きたいときは泣いていいんですよ」
王女のベッドは広く、二人で並んで寝ても寝返りで落ちる心配なんてまるでなさそうだった。
もちろんリリアーナと同衾できる人間なんて普通はいない。
実の姉妹ですら警戒されるレベルで──本来俺を止める立場のプラムは「特別です」と念を押してきた。
俺としても、自分から誰かの部屋に押しかけて「一緒に寝よう」なんてものすごく恥ずかしいのだけれど、なんだか特別なイベント感がすごくて素直に楽しい気持ちもあった。
「あの、お姉さま? では、わたくしが男の子だったら、泣いてはいけないのですか?」
「そうですね。男の子は『泣くな』と教えられるのが普通ですから」
本当に、男子というのは損な生き物である。
泣くことを禁じられ、危機に瀕しては矢面に立たされ、愛する人と結婚してもそれが強く逞しい母親に化けたりする。
……まあ、望まない結婚を強いられたり子供を産まないといけなかったりする女子は女子でまた大変なんだが。
寝室からはすでにプラムも退室している。
なにか異変があればすぐに駆けつけてくるだろうが、今は暗い部屋に俺たち二人だけだ。
「あの、リリアーナ様。『竜の花嫁』は具体的にどうしたらドラゴンとの結婚が成立するんでしょうか? なにかご存知ですか?」
せっかくなので尋ねてみると、リリアーナは暗闇の中こくんと頷いて、
「竜のねぐらに連れ去られた後、誓いの口づけを交わすと聞いています。それによって刻印が活性化し、身体が徐々に竜へと変わっていくと」
「他の相手と口づけを交わしてもだめなのですよね? 相手のドラゴンでなければ」
「はい。……意中の殿方と結婚式を上げ、子供を儲けた方も関係なく連れ去られたそうです」
ちなみにその時の結婚相手は街ごと消し炭になったらしい。
花嫁を穢されたことがドラゴンにもわかったのかは定かではないが……。
「そうですか。簡単に逃げられればと思ったのですが……誰でもできる方法なら成功している人がいますよね」
なら、そうそうできない方法なら?
俺はしばらく考えてから「そうだ」と思う。
「若返りの秘薬はどうでしょう? 一歳若返ったら準備期間は一年伸びるんでしょうか?」
エマとウィズが研究用に一本ずつ持って行ったが、ヒドラを倒した時に得た薬がまだ一本ある。
というか、ウィズがこのために一本確保した可能性もあると思うのだが、
「……わかりません。契約からの年月が鍵なのか、それとも身体の成熟を待っているのか……」
確証は得られない。
いざとなったら試してみるのもアリだが、失敗した時のことを考えるとむしろ「いつ来るのか」わからなくなる分だけ失策かもしれない。
やっぱり、そうそううまい手なんて思いつかない。
花嫁に選ばれる娘は貴族や王族であることが多いと伝承にあった。
やっぱりドラゴンも相手を選んでいるということなのだろうが、そんな立場にある娘たちでさえうまい逃れ方ができていないのだから、相当特殊な方法でないと駄目なのだ。
若返りの秘薬ならまだ金を積めば手に入らないこともない。
ごくごく稀に発見され、売れば三代は遊んで暮らせると噂される『
……本当に、俺たちが選ばれた理由がまだあるとして。
俺やフレアたちの中の誰かでなければできない、裏技のような攻略法があるとしたら?
例えば俺が何分の一か精霊になったように、リリアーナを精霊の身体にしてしまえば竜に変身できなくなるんじゃないかとか。
まあ俺の場合は『秘蹟』の効果だしそう簡単には──『秘蹟』?
「あの、それじゃあ、例えば花婿役以外のドラゴンと先に口づけした場合は相手を変えられるんでしょうか?」
「え、ええ? ええっと……わかりません。試した例はないと思いますし、あったとしても相手が変わるだけで意味がないと思います」
確かに。その相手が人間に有効的なドラゴンでもない限りは意味がない。
ただ、ドラゴンなら人間よりは可能性がありそうだ。
仮に種族、あるいは魔力によって条件が設定されているとして。
『
特別な資質を要する状況において本来の資格者の代替となる』
……またしても、という気分にはなるが、ひょっとして、使えるんじゃないのか?
「リリアーナ様。これを見ていただけますか?」
「輝く文字……これは、ステラお姉さまの『秘蹟』ですか?」
俺はリリアーナに『万能鍵』の効果を見せ、そして提案した。
「わたしと先に口づけして契りを交わしてしまえば、もしかしたらドラゴンからリリアーナ様を横取りできるのではないでしょうか?」
「…………」
反応にはやや時間的な遅れがあって。
「え、えええ、ええええーーっ!?」
お姫様らしい上品さをかなぐり捨てた悲鳴が上がり、プラムが秒で部屋に飛び込んできた。
なんか両手にナイフを構えているうえに人殺しの目をしていてめちゃくちゃ怖かったんだが……なんだよ、この人戦えるのかよ知らなかったよ!
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