リリアーナ(6)
白い素肌、成長を予感させる胸の起伏、丁寧に育てられてきた長い金髪。
初めて見る王女の裸身へのときめきは──リリアーナの背中を見た瞬間に吹き飛んだ。
さっきまでは気恥ずかしさと親しみを覚えていたというのに。
侍女によって一糸纏わぬ姿となった王女もまた、どこか覚悟を決めたような様子でこちらに背を向けていて。
「いかがでしょうか、お姉さま。……その、わたくしの身体は」
傷一つさえ存在するべきではない白い背中には、大きな紋様があった。
色は黒。
今は不活性なのだろう、と、感覚的に把握してから──理性が「つまり、ただの刺青ではないのか」と受け止める。
「……これ、彫られているわけではありませんよね?」
息を呑み、なんとか呼吸を整えてそれだけを口にすると。
「はい。こちらはリリアーナ様が生まれて間もなく刻まれたものです。人ならざる魔力によって、ひとりでに」
「人ならざる、魔力……?」
俺の意識がようやく紋様の『形』をしっかりと捉えた。
抽象的な形をしているせいで分かりづらいが、よく見るとその全体像はとある生物を表している。
この世で最も強い生命体。
生態系の頂点に君臨し、人の営みなどひと息で破壊する存在。
震える声で、リリアーナが告げる。
「わたくしは『竜の花嫁』なのです、ステラお姉さま」
◇ ◇ ◇
せっかくのお風呂だというのに楽しむどころではなくなってしまった。
俺が伝えられたのは「後で詳しく教えて欲しい」ということと「今の時点であなたになんの悪感情も抱いてはいない」ということだけ。
後は少しの言葉を交わしただけでお風呂からあがって、身体の熱を冷まし、清潔な下着とドレスを纏って食堂へ。
すると、そこには銀髪のハーフサキュバスにして世界最高峰の魔法使いが仲間たちと共に待っていた。
「こうなると思って先にこの子たちを集めておいたわ」
……これで、
「師匠。真面目な話をするならもう少しそれらしくして」
「いいじゃない。私にとってはとっくに知ってる話だし、堅苦しくしてたらみんな疲れるでしょう?」
「どうでもいいけどさっさと教えなさいよ。いったいなんの話なわけ?」
「リリアーナ殿下になにかご事情があるのは察しておりましたが……」
「簡単に言うと、リリアーナは『竜の花嫁』なのよ。……これだけ言えばエマとリーシャには理解できるかしら?」
その言葉どおり、二人は一気に表情を引き締め、同時に納得のため息をついた。
フレアだけは「?」と首を傾げて、
「なんか聞いたことはあるような気がするけど、なんだっけ?」
「ごくごく稀にね、人がドラゴンのお嫁さんに選ばれることがあるのよ。そういう子には、生まれた直後にしるしが刻まれる」
リリアーナの背中にあったのがそれだ。
「『竜の花嫁』は十六歳の誕生日、正式に花嫁としてドラゴンに攫われるわ」
「攫われるって……それで、どうなるのよ?」
「夫婦の契りを交わすことでその身をドラゴンへ変え、つがいとなる」
「人間がドラゴンに変わるっていうの!?」
「別にそれ自体はわりとある話よ? ドラゴンになることを目指して修行を重ね、身体の一部を、そしてやがては全身を変える、そんな奴らもいるところにはいるしね」
ドラゴンプリーストだのドラゴンシャーマンだの呼ばれている一派だ。
『竜の花嫁』はそれとは別の事象だが、
「問題なのは、リリアーナが十六になる日──夫となるドラゴンがここへ迎えに来るってことよ」
「あ……っ! って、それ大問題じゃない!?」
本気で暴れられたら都が壊滅しかねない。
「そ。だから陛下も困ってるのよ。なんの手も打たずに時を待ったら『花嫁を迎えるついで』で城が壊れるかもしれないし」
「……被害を受けたこの国を狙って他国が攻めて来るかもしれない」
しん、と、食堂が静まり返った。
ごくり、と、フレアが唾を飲み込んで。
「あたしたちが呼ばれた本当の目的って、リリアーナ様を選んだドラゴンを殺させるため?」
「まさか。さすがにあなたたちだけじゃ不安が大きいわ。侮ってるわけじゃなくて、最強の相手には最大の戦力をぶつけないと」
「なら師匠が殺してくれればいいのに」
「馬鹿言わないでくれるかしら? こんなか弱い私をドラゴンの前に立たせるなんて」
いや、まあ、ウィズがか弱いかどうかはともかく、魔法使いが単騎で挑むのはさすがに怖いものがある。
メテオが落ちるまで足止めできて、かつ、落ちたら自力で逃げられる前衛でもいれば別だが。
「殺しに行くのなら十分な戦力を用意する。その際の主力として私たちが見込まれているのは事実だけれど、そうなった場合は他にも人を集めるでしょうね」
「騎士や兵士──それから冒険者、ですね?」
「そ。例えば『
だが、ウィズの口ぶりからするとそれが主目的ではないらしい。
俺は、さっきから一言も喋らずに座っているリリアーナを見て、
「じゃあ、わたしたちの役割はいったい……?」
「歴史上、花嫁の刻印を取り除けた例はないわ。ただし、ドラゴンの来訪を回避することなら簡単にできるの」
「簡単? ならそれをすれば──」
「その方法が『花嫁を殺すこと』でも?」
「そんなこと、できるわけないじゃないですか!」
思わず大きな声で言うと、再び場が静まり返ってしまった。
俺は「すみません」と謝ったものの、この気持ちが間違いだったとは思えない。
ウィズも「そうね」と頷いて、
「陛下もそう思った。だから次善の策を打ったのよ」
「次善の、策?」
「リリアーナをここから逃がすこと。ドラゴンはリリアーナを迎えに来る。だから彼女をどこか遠くへやってしまえばいい」
「あっ……!?」
ようやく、本当の意味で繋がった。
冒険者になりたがる風変わりな王女。
成長を恐ろしいことのように語っていたいつかの彼女。
自分で自分の身を守れるように、剣まで習いたがっていたのは。
「あなたたちが選ばれた本当の理由は『リリアーナの話し相手にするため』じゃないわ。いざという時、リリアーナを預けるためなの」
同性で、腕が立ち、身分が確かな冒険者一行。
城から離したところで一つの場所に留まっていてはそこにドラゴンが来るだけ。となれば旅をして逃げ続けないといけない。
……逃げ続けながら腕を磨き、やがて追ってきたドラゴンを撃退することができれば。
「国外にでも逃げてくれれば、少なくともこの国の被害は防げるしね」
「待ちなさいよ。さっきのドラゴンを殺す話はどこに行ったわけ?」
「なくなったわけじゃないわ。逃がすか、殺すか、それはまた陛下も決めかねている。あるいは両方を試みる手もあるしね」
十分な戦力でドラゴンを迎え撃ち、失敗したなら俺たちがリリアーナを逃がす──確かにそういう手もある。
ここで、王女は初めて口を開いて。
「みなさまにそこまでお願いするのは申し訳ないと思っています。ですので、せめて、わたくし一人でも逃げられるように力をつけさせていただくか──せめて、死ぬ前に思い出をいただければ、と」
「リリアーナ様」
俺の顔を見た王女は「そんな顔をなさらないでください、お姉さま」と微笑んだ。
そういう彼女も涙を浮かべていて、とても覚悟できているようには見えない。
はあ、と、フレアが大きなため息をついた。
「なによそれ。……あたしたちがそんな頼みを断ると思ったわけ?」
エマもこれに頷いて、
「本当。断ってほしいならもっと早く言って欲しい」
伯爵令嬢であるリーシャもきゅっと唇を結んで、
「望まぬ結婚は時に降りかかるもの。……だからと言って、異形と添い遂げよなどと、そんな不条理は許せません」
「そうよね。……そうでしょ、ステラ?」
フレアの問いに、俺は「はい」と答えた。
「まだ時間はある。……確かにその通りです。なら、頑張りましょう。どんな策を打つにしても成功するように。そして、もっと良い方法を見つけるために」
それを聞いたウィズが笑む。
「やっぱり、あなたたちを選んで正解だったわね」
そこで、俺はふと疑問に思った。
……本当に、用意されている策は語られたので全部なのか? 本当はまだなにか、別の方法があるんじゃないのか?
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