ウィズ(2)

「エマったら、まさか誓約までさせるなんて。よっぽどあなたたちが大事なのね」

「あはは……。お二人の仲が良いのもよくわかりました」


 俺の部屋。

 喉に刻まれた地母神の紋章を撫でながらウィズがぼやく。

 エマがリーシャに頼んで彼女へ施した『誓約』のしるしだ。

 神への誓いを形として残す奇跡。違反すると、しるしの刻まれた箇所に激痛が走る。


 誓約の内容は「ステラ、リーシャ、シェリーに性的な手出しをしない」だ。


『フレアとは相性が良さそうだから別に構わない』

『あたしだって相手くらい選ぶわよ!?』


 まあ、服の好みは合いそうだし、フレアに無理矢理しようとしたら最悪ヴォルカが出てくるし。


「エマさんはすごく警戒していましたけど、ウィズさんは嫌がる相手に無理矢理するほど悪い人じゃないでしょう?」


 椅子に腰掛け、手酌でワインを味わいながら、金髪の半淫魔は「あら」と笑った。


「どうしてそう思うのかしら?」

「夜の相手なんてその気になればいくらでも見つかるからです」

「ふふふっ。そこでそう来るとは思わなかったわ」


 まあ、自由奔放なようでいて大事な一線は守る人だと思うのも本当ではある。

 エマは前に対人経験はない、という意味のことを言っていた。

 であれば、少なくともこの人に「最後まで」されてはいないわけだ。


 ……食べ頃になるまで待っていた可能性は否定できないが。


 つまみの、薄く切られたチーズが指でつまみ上げられて。


「でもね、ステラ? 私はね、本当に欲しくなった時は構わず奪う人間よ?」

「誓約があっても、ですか?」

「強い意思の力があれば抵抗は可能よ。……まあ、疲れるからできるだけやりたくはないけれど」


 要するに、エマが思っているよりは安全というわけだ。

 というか、ある程度安全と思っていなければこうして俺の部屋に来るのをスルーするわけがない。


「あの、ウィズさん。わたし、調合のほうはエマさんからほとんど教わっていないんです。さわりだけでも教えていただくことはできませんか?」


 俺がウィズの同行を認めたのはこれが目的だ。

 懇願されたウィズは「なるほどね」と唇を歪めて。


「構わないけれど。……言っても、薬学には早道がほとんどないのよね。知識と研鑽、そして資金力。ただそれだけの世界だから」

「独学でも大差ないってことですか?」

「効率的な学習にはなるけれど、要は舗装された街道を行くだけの話。才能のある者ならば、荒れた獣道から宝物を見出すかもしれない」


 理論を学び、薬の種類を学び、実践を繰り返すしかないということか。


「……そういえば、エマさんが薬を使っているところもあまり見ませんね?」

「それは、リーシャみたいな子がいればだいたいの治療は間に合ってしまうもの。媚薬でも使うなら話は別だけど」

「び、媚薬って」


 いわゆる惚れ薬か、それとも興奮や感度を高める薬か。どちらにしてもいかがわしい。


「ウィズさんはそういうのも作れるんですか?」

「むしろ得意分野ね。娼館に売り込むこともあるし、男に飲ませたこともあるわ。手持ちも何本かあるけれど、使う?」

「いりません」


 いらないが、そもそも荷物なんて持っていたのか? ……と思ったら。

 ウィズがマントを脱いで──余計に痴女っぽい格好になり──内側についている小さなポケットから次々と物を取り出し始めた。


「え、そのポケットって、もしかして」

魔法の鞄マジックバッグと同じようなものね。見た目よりもずっと物が入るわ」


 薬品の入った細長い容器が複数、保存食に水、酒、下着に宝石、その他もろもろ。


「本格的な収納道具は置いてきたから大した物は持ってきていないけど」

「置いてきたって、どこかに家が? それとも宿に?」

「いいえ、置いてきたのは城よ。あそこなら安全だろうから預かってもらったの」


 ……マジでスケールが違いすぎる。


「宝石まであるなら、本当に『路銀が尽きた』は方便だったんですね」

「別にそういうわけでもないんだけどね。お金自体は本当に尽きたし、宝石だと換金の手間があるのもの」


 ウィズが客ならたいていの古物商は即金で買い取りそうだが。……だからこそ困るのか。無駄に高額を付けられたり、今晩どうかと言い寄られたりしかねない。


「エマの腕がどのくらい上がったか見るついでに軽く『指導』もしておきたいし、ステラも同席したらどう? レベルが違うとは言っても参考にはなるでしょう?」

「そうですね。お邪魔してもいいですか?」

「ええ。あなたみたいな可愛い子なら大歓迎よ」


 うん、やっぱりこの人はそんなに悪い人じゃなさそうだ。

 ……前の俺なら頭から疑ってかかり、できるだけ関わらないようにしたと思うが。

 リーシャあたりから「人を見る目」を受け継いだのか、それともエマとの関係性が変わったから師匠相手でも冷静でいられるのか。


 なんにせよ、こういうトップクラスの存在とやり取りできるのはありがたい。

 恐れたり見上げているだけでは一生追いつけないし、自分の糧にもならないだろうから──。


「ところでステラ、エマたちとはどこまで行ったの?」

「っ、いきなりなにを言い出すんですかっ!?」

「いきなりって、そこが一番重要でしょう? まさか『単なる仲間です』なんて冗談は言わないわよね?」

「それはまあ、その……将来は約束しましたけど。でも、別に大したことはしてません! キスとかもまだですし……」


 そう考えると俺たち、順番がいろいろ違いすぎないか? リーシャなんて恋人通り越してママになりたがってるぞ。

 ウィズはこれに「ふうん?」と首を傾げて、


「じゃあ性欲はオナニーで発散してるのね?」

「わたし、だんだんエマさんの気持ちがわかってきました」

「あら。エマから聞いていない? 性欲の解放は魔法の力を高めるのにも役に立つのよ」

「聞きましたし実践もしましたけど、わたしは一人遊びなんかしてません!」

で自由に楽しむことに負い目でも感じているから?」

「っ!?」


 やっぱり、知ってるのか……!?


「な、なにを」

「だいたいわかるのよ。相手がどんな『秘蹟ミスティカ』を持っているのか。どんな影響を受けたか。前のあなたがどんな姿だったかはわからないけど、今とは違う姿をしていたんでしょう?」

「それは」


 やりづらい。自由奔放なくせに奥まで見通していて、好き勝手言っているようでいてある程度、相手のことも考えている。

 赤いワインを口にする彼女の唇が妙に艷やかで、


「その身体はあなたのものよ。入れ替わりの形跡は感じられないしね。なら、負い目なんて感じる必要はない。むしろ、あなたがあなたとして、よりあなたらしくいるために、オナニーは必要よ?」

「もっともらしく言ってますけど、わたしのいやらしい姿た見たいんですよね?」

「見たいに決まってるじゃない。それに、私ならあなたにいろいろ、やり方を教えてあげられるわ」

「う」


 こんな美女に手ほどきを受けられるなんて、なかなかないチャンスだ。

 残念なのは俺が男ではないことだが。


 ──困ったことに、俺は少しずつこの魔術師を尊敬し始めている。


 洞察力。知識。エマに一目置かせる存在感。弄ばれるのはごめんだが、この人に近づきたい、とは思う。

 なら、


「……その、お話を聞くくらいなら」

「やっぱり。ステラ、あなたって口では嫌って言いながら興味津々なタイプよね。いいわ、それじゃあ、私が実演してあげましょうか?」

「え、あの、えええ……!?」


 うん、でもやっぱりこの人はとんでもない。

 その夜、俺の純潔は完璧に守られたものの──男だった時でさえ知らなかった色々な知識が一気に増えて。

 なんだか精神的にはだいぶいろいろあったというか、良くも悪くもよりエマたちに近づいてしまった気がする一夜だった。

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