ウィズ(1)

「久しぶりね、エマ。すっかり食べ頃になって……。どうせ不毛な一人遊びを続けているんでしょう? 私が『先』の快楽を教えてあげる」

「間に合ってる。私にはステラがいるから」

「あら、残念。じゃあ、この子ステラのほうを誘惑しようかしら」

「人のものを取ろうとするのは師匠の悪い癖」


 屋敷に連れていき、エマと引き合わせるなりこの騒ぎである。

 フレアはジト目で『魔女』を睨み、


「なによこの痴女。こんなのがエマの師匠なわけ?」

「フレアが言うことではないと思うけれど」


 いいぞリーシャ、もっと言ってやれ。

 と、フレアがこのところ肌身離さず持ち歩いている剣が声を発して、


『ウィズちゃんじゃない、久しぶり。エマちゃんの知り合いだったんだ?』

「ああ、ヴォルカ。こっちこそ、あなたがこんなところにいるとは思わなかったわ」

『不思議な縁もあるものねー。やっぱり人の多いところだと出会いも多いのかしら』

「え、あの、エマ様のお師匠様は大精霊様ともお知り合いなのですか?」

「昔ちょっとね。山で会って、一週間くらい話をしたわ。その頃にはまだその子はいなかったけれど」

『あの人と会ってフレアちゃんを産むより前だったわねー。懐かしいわー』

「ふふっ。案外、あなたの心を奪ったその男ともどこかで会っているかもね」


 いや、フレアを産む前ってことは二十年近く前の話か……?

 ヴォルカの年齢は飛び抜けているとしても、やっぱりこの『魔女』もとんでもない。

 と、リーシャが不意に進み出て、


「お初にお目にかかります。わたくしは伯爵家の次女で、名前は──」

「リーシャでしょう? 知っているわ。あなたたちのことはある程度調べてから来たもの。……それと、かしこまった態度は不要よ。今の私はただの流れ者」


 いや、学院から一目置かれている凄腕魔法使いはどう考えても「ただの」じゃないが。


「あれ? リーシャも師匠のこと知ってるの?」

「お目にかかるのは初めてだけれど、もちろん噂は聞いているわ。……というか、むしろエマが知らないのが驚きなのだけれど」

「師匠は自分の話をあまりしないから。たまに喋りだしたかと思ったら役に立たない自慢話か、夜の相手の話ばかり」


 完全に駄目人間なんだが。

 はあ、と、息を吐くリーシャ。困った、というように頬へ手を当てて、


「この方は公爵家出身のご令嬢よ。お母上は降嫁された王族だし、公爵家にはそれ以前にも何度か王家の血が入っているから、実質的に王家の遠縁」

「待ってリーシャ。それいつの王族の話?」

「昔の話よ。当時の名前はとっくに捨てたわ。呼ぶのならヴォルカと同じように『ウィズ』とでも呼んでちょうだい」


 いや、王家の遠縁ってとんでもないな……!?

 リーシャも伯爵令嬢だが、公爵家だの王族だのはさらにレベルが違う。

 って、そういう話になると、


「……どうしてそんな高貴な方が半分サキュバスなんていうことに?」

「旅をしているといろいろあるでしょう? 半分淫魔化するくらい大したことじゃないわ」

「いえ、そんな特殊な事態はそうそうないと思うんですが」

「あるじゃない。ステラ、あんた自分のこと棚に上げてない?」


 おいフレア、俺が元男なのは秘密だろうが──と一瞬思ってから、何割か精霊化してるほうの件か、と納得する。

 ……なるほど、確かに冒険者なんてやってるといろいろある。


「あなたたちも名前には気をつけたほうがいいわよ。『真の名』を知られるとやっかいな呪いをかけられたりするから」

「うん。私もエマは本名じゃない」

『私とフレアちゃんも大丈夫かな。精霊には「命名」っていう概念がないから。私たちの名前は通り名みたいなものだし』

「そうすると……困るのはわたくしとステラさんだけですか?」


 まあ、冒険者なんて流れ者も多いから偽名も珍しくはないが。

 眉を寄せたリーシャが俺をぎゅっと抱き寄せたところで、


「あら、その子の『ステラ』も本名ではないでしょう?」


 魔女ことウィズが爆弾発言。

 なんだ、こいつには何が見えていやがる。俺の本名なんてフレアしか知らないはずだが──と。


「うん。ステラは記憶喪失だから本名は不明」

「っていうか伯爵家のご令嬢のくせに本名名乗ってるリーシャが迂闊なのよ」

「そう言われても……わたくしは家出したわけではありませんし」

「まあ、あなたは神官なんでしょう? 神の祝福が呪いを跳ね除けるはずだから、ある程度の備えにはなっているんじゃないかしら」


 解呪を担当するリーシャが呪いに弱いってのも若干不安だが……俺が頑張って代役を務められるようになるべきか。

 と、ひとまず話が収束の方向を見せたところで。

 エマが半眼になってウィズを睨み、


「というか師匠、急にどうしたの? まさか私やステラにちょっかいをかけるのが目的じゃないはず」

「路銀が尽きたそうですが」

「この人はその程度で私を頼ったりしない。適当な男に声をかけて一晩寝るだけで当面の生活費くらいは稼げるから」

「て、適当な男って……不潔です!」


 うん、シェリーはどうかそのままの感性でいて欲しいが……半分サキュバスってのも案外便利なものだな。


「サキュバスが混ざっていると食事も、その、そっちの行為で代用できるんですか?」

「ええ。もちろん普通の食事もできるけれど、やることやっていれば食べなくてもそれほど困らないわね」

『ステラちゃんだって炎からエネルギーを補給できるはずだよー? フレアちゃんが傍にいるとお腹の減りが遅かったりしない?』

「そういえばそんな気も……?」


 あれか、じゃあ俺は暖炉の前でじっと座り込んでみたり、焚き火の番をしているだけでも空腹を抑えられるのか。それはそれでなかなか便利だ。


「まあ、私の用事はいろいろあるんだけど。とりあえず野暮用が片付くまで、せっかくだから愛弟子のところで世話になろうかと思って。ステラちゃんたちにも会ってみたかったし」

「む。……ステラ、リーシャ。この女は男でも女でも見境なくほいほい食い散らかす危険人物だから十分に気をつけて」

「はい。でも、あの、エマさんはよく無事でしたね……?」

「この子は実戦よりもおもちゃに興味を示したからかしらね。おかげでおもちゃがないと生活できなくなっちゃったけど」

「師匠のせいで私の人生は大幅に狂った。反省して欲しい」

「あら。私があなたの人生に彩りを添えてあげたんでしょう?」


 完全に「この師匠にしてこの弟子あり」である。


「私としては師匠と話すことなんてない。危険だからさっさとどこかへ行ってほしいんだけど」

『私は久しぶりにウィズちゃんと話したいなー。あの頃は恋バナ一方的に聞くだけだったし、私の惚気も聞いて欲しい』

「もちろんいいわよ。……ふふっ。それにステラちゃんにも、魔法や薬学についていろいろ教えてあげられると思うわ」

「エマさん、お師匠様にちょっと意地悪しすぎなんじゃないですか?」

「ステラ、簡単に買収されすぎ」


 いや、だって師匠は多い方がいいし。

 ヴォルカから魔剣の真の力を教えてもらったみたいになにか新しい発見があるかもしれない。


「もちろん身の危険は全力で回避しますから」

「そういうことならまあ、構わないけど」

「決まりね。それじゃあさっそくステラちゃん、二人きりでお話しない? そうね、お酒でも飲みながら」

「師匠。ちょっとそこの床に座って」


 というわけで、エマの師、ウィズがしばし屋敷に滞在することになった。

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