セリーナ(1)

「ステラさん、相談があるんですけど……聞いてもらえますか?」


 その日、俺は久しぶりにかつての定宿を訪れていた。

 男だった頃の、ではなく、フレアたちと使っていたほうの宿。

 なので「かつての」と言うほど久しぶりではないかもしれない。たまにみんなで飲みに来たりしてたし。

 ただ、いつもと違うのは「俺一人」だということ。

 それから昼の客が落ち着いた午後の早い時間だということだ。


 この宿、および一階の酒場はやや高級店で客層も品がいいため、盛況な時間でも大騒ぎというほどにはならない。

 人の少ない時間帯ならなおさらで、今回の目的にはちょうどよかった。


 俺の目的は看板娘のセリーナと会うことだ。

 俺──ステラの肉体年齢というか、見た目から判断したおおよその年齢とセリーナの実年齢はほぼ同じ。

 体質的に老化が表れにくいらしい──精霊化の進行で余計にその傾向が出てきた──ので、見た目はセリーナのほうがお姉さんになりつつあるが。

 歳が近く、フレアたちに比べると初々しさがあり親しみやすいということで彼女は俺に友情めいたものを抱いてくれている。


 前から「遊びに来てくれ」と個人的にも誘われており、俺としてもそれは無下にしたくないのでこうして暇なタイミングで訪れてみた。


 注文は果実水とデザート。

 別に「昼間から酒を飲んではいけない」なんてルールはないが、たまにはこういうのも悪くない。

 毎日泊まっていたのにほとんど注文したことのなかったそれに舌鼓を打っていると、仕事の落ち着いたセリーナがやってきて、冒頭の台詞を口にした。


 ことん、と、俺の前に置かれたのは果物を漬け込んだワイン──サングリアと、フライドポテトに香草と塩をまぶしたもの。

 これは? とばかりに首を傾げると「私の奢りです」とのこと。ありがたいが、つまりこれは相談料ということか。

 俺は首から下げた地母神の聖印を見て、


「相談くらいならいくらでも聞きますよ?」

「ちゃんとした聖職者様にタダで話を聞いてもらうなんてできませんよ」


 そういうことなら、と、お酒とつまみにも口をつける。

 相変わらずここの酒は美味しい。

 というか、ひょっとしてタダで聞かせるには重い話、あるいは素面相手だと話しづらい内容なのか。

 火の精霊成分が強くなった影響か、酒には前より強くなった気がするものの──俺は気分がいくらか鷹揚になるのを感じつつ、


「あの。私、気になってる人がいるんですけど……っ。その、彼には想い人がいるらしくて」


 頬を染めたセリーナにそんな風に話を切り出された。



    ◇    ◇    ◇



 お相手は、ここの酒場にたまにやってくる同世代の青年。

 本やインクを取り扱うと共に写本や代筆業なども請け負っている老舗の後継ぎで、汗臭くなく物腰の柔らかい男だ。

 俺も何度か軽く話したことがある。良かったら店に、と営業をかけられた程度だが。


「なるほど。セリーナさんはああいう方がタイプなんですね」

「は、恥ずかしいです」


 当人は真っ赤だが、なにも恥ずかしがることはない。

 恥ずかしいのは「あ、男なんだ」とナチュラルに意外に思ってしまった俺である。

 周りの女好き率が異常なので恋愛=同性という図式に脳が冒されつつあった。


「あの。……ステラさんはえっちなこととか、したことありますか?」

「っ」


 いきなりの質問にサングリアを吹き出しそうになった。

 どきどきしつつ「ないですよ……!」と答える。

 嘘は言ってない。男女交際的な意味あいでは俺はまだ未経験だ。

 男相手のあれこれで参考になることは言えない。

 なので、ここは残念がるところだと思うのだが、


「そうですよね。ステラさんにはそういうのまだ早いですよね?」


 それはあれか、お子様にはわからないよねー、みたいな話か?


「え、あの、まさかセリーナさん、その人と……?」

「ま、まさか。彼とはたまに話をするくらいですし、私のことをどう思っているかも……」


 言ってうつむく彼女。これはかなり本気っぽい。ただ、片思いでまだ進展はしていないというところか。


「うーん……とりあえず仲良くなってみるしかないのでは? 告白するのはそれからでも遅くないですし」

「でも、どうやって声をかけたらいいのか……」

「さりげなく軽いものを差し入れてあげるとか、そういうのもいいきっかけになると思いますよ?」


 実際、俺も奢ってもらって嬉しかったし。


 ……というかまあ、男だった経験を元に言わせてもらえば、セリーナみたいな身元のはっきりしたまともな女、しかも可愛い子に好意を寄せられて嬉しくないはずがない。

 現状意識してるかどうかは別として、話していけば十分称賛はある。

 なのだが、セリーナは素直に俺のアドバイスを「なるほど」と聞いていて、


「……その人、実はもう交際中っていうことはないですよね?」

「はい。お店に来る頻度はいつも通りですし、来る時はいつも一人なので」


 それは、この店に意中の相手がいるってことじゃないか?

 意外と脈があるかもしれない、と、俺はサングリアをちびちび飲んで、

 からんからん。

 新しい来客。ちらりと視線を向けると──派手さはないし腕っぷしもアレだが知的で落ち着いた好青年。近くで書店の後継ぎをやっていそうな……。


「彼ですよね?」

「……はい」


 飛んで火にいる。

 これはなにかの縁、あるいはチャンスか。


「セリーナさん。せっかくですからわたしが彼から聞き出してみましょうか? 意中の方が誰なのか」

「ええ!? で、でも、そこまでしてもらうのは──お願いします!」


 どっちだよ!? いや、いいけども。

 迷ったのも一瞬、すぐさま頭を下げてきた彼女に微笑みを返してから、俺は青年に視線を送って──。

 目が合った。


「お久しぶりです、ステラさん」


 向こうから近づいてくる。セリーナが慌てて服や髪を気にしだすけど、青年が見ているのは俺で……って、なんか雲行きが怪しくないか?

 思いつつ「こんにちは」と笑顔で返答。

 すると彼は俺の前で立ち止まると「あのっ!」と上ずった声を出して、


「突然で失礼ですが、今お付き合いされている方はいますかっ!?」


 お前の意中の相手って、よりによって俺かよ!?



    ◇    ◇    ◇



「で、それからどうなったの?」


 蒸留酒の入ったグラス片手にフレアがけらけらと笑う。

 人ごとだと思って……。


「わたしには結婚を誓いあった相手がいると言ってお断りしました」

「ああ、リーシャのことね」

「フレアさんたちだってそうじゃないですか……!」


 付き合ってるかと言うと微妙だし初体験もまだだが、ある意味恋人以上に親密な関係だし、将来結婚することを前提としている。

 なにも嘘は言っていない。相手が同性なのはもちろん内緒にしたが。


「怒涛の展開ねー。そいつもびっくりしたんじゃないの?」

「それはもう驚いていました。見るからにがっかりして心配になるくらいで」

「で、そいつその後どうしたのよ?」

「わかりません。わたしは邪魔になると思って店を出てしまったので」


 セリーナは「本当にありがとうございました」と何度もお礼を言ってくれて、「今度はもっとしっかりご馳走します」と囁いてくれた。

 がっくりと肩を落とした彼は、さっきまでセリーナが座っていた席について、なにやら酒を注文していたようで。


「お客さんもあんまりいませんでしたし、セリーナさんがやけ酒に付き合ってあげたんじゃないでしょうか」

「へー。じゃあそれをきっかけに仲が進展するかもね?」

「そうなるといいですね。……わたしに会うのが気まずくて店に来なくなる、とかないといいんですけど」


 その辺りは話が進んでみないとわからない。

 でもまあ、彼と彼女がうまくいってくれればいいと──。


「でもさ、ステラ? 二人とも後継ぎ同士でしょ? 結婚したとして店どうするのかしらね?」

「あ」


 世の中、好き同士になっただけでうまくいくとは限らない。

 なんとなく、力仕事の苦手そうなあの青年が宿に入るのは無理そうな気がするのだが。


「あ、愛さえあればなんとか」

「ならないでしょ」


 お前、優男に興味ないからって冷たくないか。

 いやまあ、もし上手く行かなかったとしても経験全てが無駄になるわけじゃない。

 なにかあったらまたセリーナの相談に乗ろうと、俺は心に決めるのだった。

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