リーシャ(8)
次の日、目が覚めると『月一の不調』が起きていた。
「……また来てしまいましたか」
呟き、よろよろと身を起こす。
下着に被害。前もってわかっていれば『それ用』の下着に穿き替えられたのだが。
昨日一昨日と興奮することが多かったのでそれどころではなかった。それとも、あの熱のいくらかは『これ』のせいだったのか?
経験上、血を綺麗に洗い流すのは無理だ。
調子が戻ってから浄化の奇跡を使ったほうがいい。とりあえず今は汚れ物用の袋に下着と、寝間着の下のほうを入れて服を着替える。
漏れてくる血の対策もして、
「おはようございます、ステラ様。昨夜はよく眠れましたでしょうか?」
「おはようございます、シェリーさん。どうやらあれが来てしまったようでして……」
起こしに、というか起床の確認に来てくれたシェリーは「それは大変」と表情を変えて、
「では、朝食はこちらにお持ちしましょうか? 本日はお休みになられていた方が──」
「いえ、食堂に行きます。リーシャさんにお願いしたいこともあるので」
「……かしこまりました。では、少し軽めの食事もご用意いたしますね」
「なにからなにまですみません。とても助かります」
食堂に行き、仲間たちに報告すると、
「あー、また来たんだ。ステラもほんと大変よね」
半精霊ゆえ生理という現象そのものがないパーティーリーダー、フレアの言動にわりと本気でイラッとさせられた。
不可抗力の不調を馬鹿にされると一瞬、殺意さえ覚えるな……。
「それは大変、ステラ、薬はいる?」
「いえ、まだ製薬は教わっていませんし、自分用の調合を覚えられるようになってからにします」
それよりも、と、うちのパーティの女神官、伯爵家の次女にして聖なる銃の使い手、銀髪青目の美女、リーシャを見て、
「リーシャさん。これを和らげる奇跡を教えていただけませんか? 今後のためにも覚えておいたほうが便利だと思うんです」
これにはリーシャも「そうですね」と頷いてくれる。
「特殊な奇跡ですので習得は遅らせていましたけれど、今後なにがあるかわかりません。近いうちにお教えいたします」
それはそれとして、今日のところはリーシャが俺にかけてくれた。
それだけで身体がすっと軽くなり、気持ちもだいぶ落ち着く。
「ありがとうございます。これでなんとか乗り切れそうです」
「いいえ。困った時はいつでも言ってくださいね?」
「にしても、初回に比べるとステラもだいぶ慣れたわね? あの時は動くのも辛そうだったじゃない」
「今も辛いのは辛いんですけど、まあ、気合いでなんとか」
この状態で戦えと言われたら「慣れと気合いでなんとかなるわけねえだろ」と今でも言うが。
まあ、初体験に比べれば諦めがついたというか、気合いの入れどころはわかってきた。
「もう何度も経験していますし、寝込んでばかりもいられません」
「頼もしいです。でも、今日はお休みにしましょうか? 孤児院にはいつでも行けますし」
「いえ、みんなも待っているでしょうし、行きましょう」
今日はリーシャと孤児院に行く約束をしていた。
奇跡のおかげで身体はだいぶ軽くなったので荷物運びくらいなら問題ない。
ちょっとその、ちゃんばらごっことかは勘弁してもらいたいが。
「奇跡を覚えたら、今度からはわたしがリーシャさんの痛みを和らげますね」
「あら。それはとても嬉しい申し出ですね?」
「む。……考えてみるとリーシャはいつも自分で奇跡使ってたの? すごい集中力」
「大したことじゃないわ。わたくしはステラさんほど症状が重くないもの」
そうか、精神集中乱されまくるほど辛いのは俺だけなのか。
俺はげんなりした気持ちになりつつ、シェリーの作ってくれた軽い朝食を胃に詰め込んで外出の支度を始めた。
◇ ◇ ◇
「孤児院に行くのも恒例になってきましたね」
「そうですね。伯爵家に本格的に帰ってしまうとここにも来づらくなりますし、できれば腰を落ち着けるにしてもこの街にしたいところです」
「もう、リーシャさん。気が早いですよ」
「ふふっ。ごめんなさい。つい想像してしまいまして」
お土産を買い、孤児院へと運びながら他愛ない雑談。
……それにしても、将来の話とか。
わりと何気なく返せたものの、リーシャが腰を落ち着けるとしたら結婚という話になるわけで。相手はその、俺の可能性が高いわけで。
深く考え始めると沼に入り込みそうだ。
「あ、ステラねーちゃん!」
「リーシャお姉ちゃんも!」
孤児院の子供たちは今日も元気だった。
お久しぶりです、と話しかけようとした俺は前にした約束を思い出して、
「こんにちは。みんな、いい子にしてた?」
敬語なしで子供たちに話しかけた。
男子の一人が「覚えてたか」とばかりに笑って、俺の袖を引っ張る。
「ねーちゃん、さっそく剣の相手してくれよ! 俺、また強くなったんだぜ!」
「あ、ごめんなさい。わたし、今日はちょっとあまり動けなくて」
いきなり来やがった。
当然彼は「えー! なんでだよ!」と来るものの、大きな声で「生理です」とも言いづらい。
別にタブーというわけでもないはずだが、男にはこの辺の感覚はわかりづらい。
男だった頃の俺だって知識として知っていただけで実感はなかった。
加えて、詳しく説明しようにも自分の身体のことなので若干の気恥ずかしさがある。
「お、女の子にはそういう日があるの」
こんな台詞、俺が口にする日が来るとは。
猛烈な羞恥を感じていると、女子のうち年長の何人かが察してくれた。
「無茶言わないの」
「お姉ちゃんたちも冒険で疲れてるんだから」
同性の連帯感というやつか。
目線でお礼を言うと「いいのいいの」とばかりに微笑まれる。
……これじゃ完全に女子の仲間だな、俺。
男子となにも考えずに走り回れないというのは妙な寂しさもある。
「次。次はちゃんと相手してあげるから。ね?」
「……むう。わかった。絶対だぞ、ステラねーちゃん!」
「うん。絶対。嘘ついたらなんでも一つ言うことを聞いてあげる」
来月同じ状態になったらエマから薬をもらおう。
「あ。花遊びとかお絵かきならできるよ? 一緒にやらない?」
「やらねーよ。ねーちゃん、こいつらみたいな事言うなよなー」
「……わたしも女の子なんだけど?」
うん、今日はなんかもう調子が狂いっぱなしだな。
と、不調のせいでたじたじの俺を見て、リーシャが助け舟を出してくれた。
「では、今日はわたくしが剣のお相手をしましょう!」
「え、リーシャねえちゃん剣使えんの?」
「わたくしだって冒険者の端くれです。みんなには負けませんよ?」
歓声を上げる男子たち。
棒切れを持ってやんちゃ坊主の相手をするリーシャは、確かになかなかの身のこなしだった。
剣の心得自体はなくとも戦闘経験が違う。
培った感覚で相手の攻めを的確にいなし、相手が防ぎきれるくらいの攻撃を適度に繰り出す。
「……さすがリーシャさん」
感心しつつ、俺は女子たちの相手をした。
体力的にはこっちのほうが断然楽である。元男としては代わりに気力を持っていかれる……はずだったのだが、孤児院通いも何度目かになるとこれも少しずつ慣れてきた。
むしろ癒やされる部分さえあって──。
「ママ」
「え? えええ……!?」
小さい女の子の一人が、あろうことか俺を「ママ」と呼び、抱きついてきてしまった。
◇ ◇ ◇
「……本当に驚きました。まさかこの歳でママと呼ばれるなんて」
「ふふっ。そうですね。でも、ステラさんくらいの歳なら出産を経験している子もいると思いますよ?」
結局、あの子は「お姉ちゃんがママになればずっと一緒にいられる」という意味で言ったらしく、すぐに離れて聞き分けてくれた。
ただし、そのやり取りをきっかけに他の子も「お姉ちゃんがママだったら」と言い始めてしまい──半ば冗談ながら何度も「ママ」と呼ばれてしまった。
「わたしにはまだ早いですよ……。リーシャさんだってそうでしょう?」
俺たちくらいの冒険者になると引退によって街に影響が出かねない。
魔物の増加。討伐が追いつかなくなり、街に危機が及ぶ可能性もある。
そう考えると、せめてなにか、今までよりも大きなことをやってから引退したい。
あるいは後進を育てて「抜けても代わりはいる」と言えるようにならないといけないという気持ちがある。
地母神の信徒として使命感を抱いているリーシャにそう思って話を振ると、彼女は意外にも沈黙した。
「…………」
「……リーシャさん?」
「……いえ、ごめんなさい。わたくしの中にはその、この手で自分の子を抱きしめたいという欲求もあるものですから」
人一倍母性の強いリーシャだ。それは、確かにそうなのだろう。
俺だってまあ、自分が産むとかはともかく、子供の我がままに振り回されるのも悪くはないな、とかは思わなくもないし。
とはいえまだ、彼女に引退されては困る。
「じゃあ、わたしが子供の役をしましょうか? リーシャママ、なんて言ってみたりして──」
「もう一回言ってください」
「え」
「もう一回言ってください、ステラさん。……いいえ、ステラちゃん!」
目がマジだった。
冗談で言ってみただけなのに、リーシャときたら大興奮。
瞳をらんらんと輝かせながら往来で俺を抱きしめてくる。
「リーシャさん! ここ外ですから! 周りを見てください!」
「大丈夫です。……ほら、ステラちゃん? ママ、って、わたくしの耳に囁いて?」
あ、これだめだ。
ここ数日で一気に大人の階段をのぼってしまった俺だが、もしかすると一番恥ずかしかったのは今日この時かもしれない。マジで。
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