リーシャ(7)
「読み聞かせをさせてください」
リーシャの部屋に招かれた俺は「女の部屋だ」と妙な感心をした。
彼女のセンスの賜物か、それとも女性棟の部屋だからか、雰囲気が実に「それっぽい」。まあ、エマの部屋もあれはあれで実にエマっぽかったが。
「読み聞かせ……物語かなにかですか?」
「いいえ。ステラさんが聖典の暗記に苦労されているかと思いまして」
「ああ。そうですね……。さすがに長いのでちょっと」
とりあえずこれくらいは覚えるように、という分量だけで本1冊分。
さらに追加で覚えてもいい内容、となるといったいどれだけあるかわからない。そうした神話を伝えていくのも神殿の役割なのでどうしたって力の入るところだ。
聖典どころか、かなりの量の神話を暗唱できるリーシャは少しわくわくした様子で、
「エマによると、夢現の状態で聞いた話というのは記憶しやすいらしいのです。ですので試してみてはどうかと」
「わたしは寝ながらリーシャさんの話を聞いているだけ、ってことですよね? ちょっと申し訳ない気がするんですが」
「気にしないでください。わたくしはその分、ステラさんの寝顔をじっくり眺めさせていただきますので」
そう言われると若干恥ずかしい気がしてくるが、フレアやエマの要求に比べると段違いで受け入れやすい。ちゃんと勉強のためだし。
俺は「わかりました」と頷いて。
「よろしくお願いします、お姉ちゃん」
「〜〜〜っ♪」
リーシャ専用の「やる気の出る魔法の言葉」を繰り出すと、効きすぎたのかぎゅう、っと抱きしめられてしまった。
「り、リーシャさん! 読み聞かせ、読み聞かせをお願いします!」
そんなアクシデントはともあれ。
ソファに座ったリーシャの膝に頭を載せる。いわゆる膝枕というやつだ。
柔らかい。男の足じゃこうはいかないだろう。ついでにリーシャの匂いも近くなって、自然と心がリラックスしていく。
「眠ってしまっても構いませんからね」
「……わたし、なんだか子供みたいですね」
「いいんですよ。ステラさんはわたくしの妹なのですから」
実際、伯爵家に打診したら養子にしてくれそうな気もする。
というかリーシャの声がすでに優しく、子守唄感があって、自然と瞼が重くなってくる。
「せっかくの機会ですから、しっかり覚えないといけないのに、本当に眠くなってきます」
「きっと『覚えよう』と構えすぎないのが大事なんです。他のことを考えず、聞くでもなく聞くことで頭に入ってくるんですよ」
「そう、なんでしょうか……」
次第にうとうとし始める俺。
くすりと笑ったリーシャは、聖典をはじめから暗唱しはじめた。
地母神を中心とした神々の物語。地母神の教え。信徒のあるべき姿。人の営みの理想的なあり方。
聞いているうちに自然と瞼が閉じて、意識がぼんやりとしてくる。
リーシャの声だけが頭に響いて、深く入り込んで、さらなる眠りへと誘ってくる。
深く、深く、頭の中に聖典の文章が刻まれて、
「お嬢様、ステラ様。昼食の支度が終わりましたので食堂へ起こしください」
部屋のドアをノックするシェリーの声で目が覚めた。
「あら。もうそんな時間なのですね」
「え、あれ。わたし、もしかしてそんなに寝ていたんですか!?」
「ええ。ついつい夢中になってしまったようです」
朝食を終えて少し休んですぐにリーシャの部屋へと移動したので、午前中はただ昼寝をしただけで終わってしまった。
「お金には余裕があるとはいえ、こんなに自堕落に過ごしていていいんでしょうか」
「ふふっ。地母神さまは過剰な労働をお求めにはなりません。木漏れ日の下や、ふかふかの草の上。時にはのんびりお昼寝をするのもとても良いことですよ」
俺たちの服が乱れていないのを確認してほっとした様子のシェリーと共に廊下を歩きながら、「といいますか」とリーシャは続けて、
「これも勉強のためです。夜ふかしをした挙げ句、昼に寝てみたり、あるいは昼間から一人遊びにふけるエマと比べたらよほど頑張っているでしょう」
「魔法使いと聖職者ってやっぱりあんまり相性よくないんですか?」
希少というほどではないが、戦士や盗賊、狩人に比べると数が少なく、1パーティにマジックユーザーが揃っていることは少ない。
俺が今まで経験したパーティでもどちらかがいないケースはけっこうあったし、たいていそりが合っていなかった。
「個人によるのはもちろんですけれど、あまり相性が良い、とは言えませんね。魔法使いは賢者も兼ねていることが多く、理屈っぽい方が多いので」
賢者とは知識を蓄え、さらに追い求める者のこと。魔法使いと同一視されることも多いが、魔法の使えない賢者もいる。
「とはいえ、知識神の信徒には賢者も多いですし、やはり宗派や個人の性格次第ですね」
「リーシャさんとエマさんは仲がいいですもんね」
話を振っておいてなんだが、二人の場合は互いをわかりあったうえで言いたいことを言っている面が強い。
別に本気で嫌っているとか「こいつやりづらいな」と思っているわけではない。
リーシャは恥ずかしそうに頬を染めて。
「あらためて言われるとこそばゆいですけれど、そうですね。フレアもエマも、もちろんステラさんも、わたくしの大事な仲間です」
反撃を受けた俺は「そうですね」と控えめな返事で応えたのだった。
◇ ◇ ◇
翌朝、俺はさらにリーシャの『秘蹟』を獲得。
『地母神の寵愛 ランク:C(A)
あなたの魔力を+1(+3)する』
読み聞かせの効果は思った以上にあったらしく、苦戦していた暗記はあれから一気に進んだ。
もともと
まあ、読み聞かせはどうやら「リーシャの声」でないと効果がないようだったが。
こんなに効くのなら、と、エマに古代語魔法の講義をしてもらったところ「やだ。面倒」とさんざんゴネられた挙げ句、眠れもしなかったし暗記もまったく捗らなかった。
安心できる相手、安心できる声があって初めてあの、トランス状態に似た心地に入れるのだろう。
というわけで、あれからも何度か読み聞かせをしてもらって、
「ようこそ、ステラ。『試し』への挑戦を歓迎するわ」
俺は、聖職者として認められるための『試し』に挑んだ。
祈りの作法、神話の一節の暗唱、複数の神官による面接、そして宣誓。
聖職者としてのあれこれがするっと身についたのは、もしかするとリーシャの『秘蹟』をコピーしたことも影響しているのかもしれない。
鶏が先か卵が先か。
努力が神の寵愛を齎したのか、神の寵愛を受けたから努力が功を奏したのか。
作法、暗唱を俺は順調に通過。
面接は思ったよりもずっと素朴で穏やかな空気の中行われた。
てっきり「あなたを動物に例えるとなんですか?」だの「ここにひと粒の種があります。これを短い期間でたくさんに増やすにはどうすればいいと思いますか?」だの抽象的な質問をされたり、やたら覚悟を問われたりするかと思ったが。
冒険者としての展望や仲間との関係、さらには好きな食べ物や枕の硬さのこだわりまで、それ関係あるか? ということまで聞かれた。
「不思議そうな顔ですね。地母神の神殿では、『試し』の面接を試練とは考えていないのですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。ここで確かめているのはあくまでも、あなたが私たちの仲間として、リーシャの妹としてやっていくのに好ましいかどうか、それだけです」
他の神殿はそれを確かめるのにあれこれ聞いてくるのだと思うが、地母神の信徒は比較的緩いというかおおらかなのだろう。
その度量もまた、神官としての資質ということか。
「問題ありません。では、宣誓をもってあなたを新たなる聖職者として認めましょう」
俺は、地母神の像の前で跪くと、たくさんの聖職者が見守る中で誓った。
「ステラ。あなたは我らが母の愛し子として。私たちの妹として、自然を愛し、人を愛し、邪悪を退け、より良い営みのために尽くすことを誓いますか?」
「誓います」
心が澄み渡るような感覚。
不思議な気分だが、悪くない。この気持ちは魔物と戦う時にもきっと役に立つ。神官に凄腕冒険者が多いのはなにも神聖魔法の腕だけが理由ではないのかもしれない。
「良いでしょう。では、今、この時をもってあなたを聖職者として正式に認めます」
たくさんの『仲間』からの祝福。
それに恭しく応えながらも、俺はその温かさに泣きそうになった。
ああ、本当に悪くない。
こうして俺は地母神の聖職者となり、リーシャの妹として認められた。
そしてこれが、癒やし以外の奇跡を練習する契機となるのだった。
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