リーシャ(3)

「ごきげんよう、リーシャお姉様」

「ええ、ごきげんよう。今日もお疲れ様」


 白い石で形作られた地母神の神殿は今日も美しい姿を保っていた。

 掃除こそ行き届いているし、石の量を考えればかなりの贅沢ではあるものの、壁や柱の装飾は最低限。神殿によっては豪華さを重視しているところもあるので、ここは比較的質素と言っていい。

 入り口付近に立って挨拶や案内を行っている下位聖職者の衣もシンプルかつ清楚だ。


 白いワンピースを纏った俺は、リーシャが顔パスで、しかも他の者から敬われているのを見て、ほう、と息を吐く。


「リーシャさんはやっぱりすごいんですね」

「わたくしなんてまだまだです。信仰の道は一生が修行ですから」


 リーシャの後について中へと入る。

 神殿のエントランスは広く、一般開放部分ということもあって人の数も多い。

 一般の信者たちは正面にある広い祈りの間へと吸い込まれていくようだ。

 魔法使いマジックユーザーと広く言えば魔術師も神官も含まれるが、その拠点の雰囲気はずいぶん違うものである。

 さすが、聖職者の集まる場所は清らかで落ち着いている。一般人がいてもなおそう思うのだから相当だ。

 なお、昨日行った学院は掃除こそされていたものの、本を抱えた魔術師が歩いていたり、二日くらい寝ていなさそうな奴が普通にいたり、喧嘩腰に議論する二人組がいたりした。


「神殿への登録はどうすればいいんですか?」

「登録、という言い方は少し違いますね。入信、と言うのが正しいかと」


 信者にはいくつかの段階がある。

 信心深いだけの一般人。これは誰かに認めてもらう必要もない。ただ心のままに神に祈ればいい。

 平信者。聖印を購入し、信者である証を示している一般人。

 聖職者。神殿から正式に認められ、衣を与えられた者。

 神官。一定以上の信仰心を認められ、神と人々のために尽くす者。

 さらに神官も神殿での役職によって区分されていたり、神官の上に大神官なる者がいたりするが、そこは割愛。


「ステラさんには聖職者として──」

「あら、リーシャ。どうしたの? そっちの可愛らしい子はあなたの妹かしら?」

「お姉様」


 姉、と来たか。

 二十代前半と思しき女性神官は俺たちに微笑むとゆっくり歩み寄ってくる。

 なかなかの美貌と体型──ではなく。

 姉と言っても神殿内での上下関係のようなものだろう。リーシャも特に気負うことなく微笑んで、


「はい。この子をわたくしの妹にしたいと連れて参りました」

「え」

「あら。それじゃあ、聖印を授かるのではなく衣を希望なのね?」


 俺の内面を探るように、瞳が覗き込まれる。


「……綺麗な瞳ね」

「そうでしょう? ステラには素質があると思うのです」

「そういうことなら奥へ行きましょうか。詳しい話はそっちで」


 先輩神官は俺たちを先導するように歩き出した。

 決して急がない、落ち着いた歩調についていきながら、俺はリーシャを見上げて、


「あの。聖職者の位を得たら、わたしもリーシャさんの『妹』になるんですか?」

「ええ。ですので『お姉様』と呼んでくださっていいんですよ?」

「リーシャさん。まさかそれが目的ですか……?」

「まさか。それは理由の三分の一くらいで」

「相変わらずね、リーシャ。まあ、他者を慈しむのは悪いことではないけれど」


 一般に公開されていないエリアに踏み込むと、神殿の様子はより一層静かに、かつシンプルになった。

 なんだかあっさりと、かなり深いところに踏み込んでしまった。


「談話室でいいかしら」


 木製のシンプルな家具の並ぶ空間には何人も、衣を纏った者たちがいた。俺たちの入室に気づくと会釈してくるので、こちらもそれに合わせる。

 手早くお茶が淹れられると、空いている席に誘われて、


「神官位にある者には、新たな聖職者を推薦する権利があるの」


 俺はちらりとリーシャを見た。


「そう。リーシャにももちろん権利があるわ。通常、衣をいただくには神殿に申し出て、聖職者『見習い』として住み込みで修行を行うの」

「どのくらいの期間修行するのですか?」

「年齢や修行の仕方によってまちまちね。若いうちからの修行だと最低限の礼儀から教えこまれるし、飲み込みの早い者は短期間で済むわ。……まあ、長くて十年といったところかしら?」

「……十年」


 途方もない年月である。年齢的に、ここにいる二人はそこまでの年月はかからなかったのだろう。確かに人によってまちまちだ。


「今のは見習い期間を置く場合。神官によって才能を見出された者は『試し』に合格すればすぐにでも衣をいただけるわ」

「『試し』というと……?」

「言ってしまえば試験です。祈りの作法、神話の一節の暗唱、複数の神官による面接、そして神に身を捧げるという宣誓で構成されています」


 最低限の必要事項を押さえてさえいれば修行をパスできる、というわけか。


「でも、それを覚えるにはやっぱり修行が必要なんじゃ……?」

「もちろん、住み込みで修行することもできるわ。その場合でも推薦があればいつでも『試し』を受けられる。そうでなくとも、あなたの場合はリーシャから教わることができるでしょう?」

「ええ。わたくしがステラさんにお教えいたします。手取り足取り」

「お姉様だものね」

「お姉様ですからね」


 先輩の人、あんまりこいつを調子に乗せないでくれませんか。


「本当に、学院とは対照的ですね」

「あら。あなたは学院に登録しているの?」

「ええ。ステラさんは奇跡、古代語魔法、精霊魔法すべてに素質を持つ勇者ですから」

「勇者」

「勇者ですって」

「り、リーシャさん」


 勇者の称号は誇らしくもあるが、大して活躍できていない状態で目立つと申し訳なくもある。

 リーシャの先輩は「なるほどね」と頷いて。


「勇者と巡り会い、導くなんてまるで英雄譚ね」

「お願いですからそれ以上持ち上げないでください」

「……ふふっ。謙虚なのね。確かに、あなたには素質がある気がしてきたわ」


 どこまで本気なのやら、彼女は俺をじっと見て、


「でも、覚悟はあるの? 神に仕えるということは、学びを力に変えることとは本質的に異なるわ。それをちゃんとわかっている?」


 確かに、エマとリーシャでは普段の振る舞いからしてまったく違う。

 どちらが優れているということではないが、知識を集め魔法に長けてさえいれば他はわりと自由なエマに対し、リーシャの振る舞いはわりと窮屈だ。

 本人がそれを苦にしておらず、むしろ楽しんでいるのであまり感じないだけ。

 彼女の奔放な部分といったら姉を名乗りたがることとスキンシップが多いことと世話焼きなことくらいで──くらいとはなんだったのか。


 それでも。


「はい。覚悟しています」


 俺はしっかりと頷いた。

 自分なりにそこは考えたつもりだ。前の俺ならこんな面倒なことはしなかっただろう。

 だが、ステラになってリーシャについてより深く知り、他の冒険者の弔いを見届け、寿命を迎えた人間の葬儀を経て、さすがに思うところはあった。

 地母神なら「人は死んだら腐っていくだけだ」という庶民の認識ともズレは少ない。正義を貫く至高神や常に学びを求める知識神など、他の神よりも俺に合っていると思う。


 なにより、できることはすべてやってみたい。


 俺はフレアたち三人に追いつきたい。彼女たちの力になりたい。正体を明かすことはできなくとも、俺だってやればできるのだと、他でもない俺自身に証明したい。


「そう。そういうことなら私も応援するわ」


 とりあえず、今日のところはと聖印を購入させてもらった。

 安いものなら木彫りや銅、鉄製もあるが、どうせならと祝福の施された銀製を選ぶ。

 銀はこまめな手入れが必要、と聞いて尻込みしたものの、こういうのは形から入ることも必要だろう。


「良い聖印を持つことも信仰を表す一つの形よ。……それから、神話を記した書も必要とする者に提供しているんだけど」

「こ、この際ですからいただきます」

「良い心がけね」


 両方合わせたら学院の登録料をぽんと超えていった。

 神殿もなかなか侮れないというか、聖職者を養うのにも金がかかるんだな、と実感させられた。

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