才能のない哀しみ

紫鳥コウ

才能のない哀しみ

 カーテンを閉めても雨音は容赦なく耳を侵してきた。緑と白の格子模様のカーテンは、下の方だけ口が開いたままで、黙らせようにもすぐにあくびをする。


 神経がイライラしているときは、この間抜けな感じに腹を立ててしまう。実際、昨日の夜だったら、蹴飛ばしていたかもしれない。


 一夜を経てなんとか怒りが鎮まったものの、青山純あおやまじゅんはノンアルに気焔を吐いていた。


「自信作を投げてもかすりもしないんだから、嫌になるね。昨年は一つだけ結果が出たから良かったけど、今年はまだなにも成し遂げてない。昔の知り合いが入賞をしていたりすると、自分のスタンスが間違っているような気がしてしまう。それが余計に、僕を苛立いらだたせてまない」

「自分のスタンス?」


 このままでは、一方的に弁じ立て続けられると思ったのかもしれない。長野均ながのひとしは言葉を挟んだ。


「もう、むかしは知り合いだった物書きの人たちと縁を切って、ひとり黙々と創作をしているんだよ。その人たちと付き合っていると、なんだか、自分の時間が取れなくなるような気がしてね。お互いの小説を読み合ったり、メッセージを送り合ったり……一言でいえばコミュニケイトすることを止めて、自分のことを第一にするようになったと言えばいいかな」

「あちらからしたら、気分は良くないだろうね」


 そして長野は、アルコールフリーのワインを一口飲んでから、さらにこうたずねた。


「なにか、イヤなことをされなければいいけど、大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ」


 まるで、そんなことは分かりきっていると言わんばかりの、どこか横柄な口ぶりだった。


「向こうは、僕のことを気にしてなんていないよ。そんなうぬぼれは、持っていない。それにさ、元から、僕の小説なんてちゃんと読んでいないから。適当に目を通したり、義理で同人誌を買ったりするひとが、ほとんど。同人誌なんて、部屋のどこかに置いたまま、という感じだろう。実際、関係が切れてからは、ブースに来なくなったし」

「ちょっと、言い過ぎだろうよ」


 苦笑をしながらも、もっと言ってくれという野次馬のような気持ちもあるらしかった。しかし、青山の口調は段々と鎮まっていく。そして、こんな独白をした。


「僕は、僕の小説を読んでくれる人だけを、大切にしたい。その人たちのためだけに、小説を書き続けたいんだよ……」


 青山はとうとう泣き出してしまった。この熱意につられたのか、長野も目頭が熱くなっていることに気付いた。


     *     *     *


 二時間に及ぶ、オンライン飲み会が終わったあと、長野は、身体にアルコールを入れていった。


 酔いに目をとろんとさせ、スルメをかじっているとき、そういえば青山は、ノンアルしか飲んでいないということを思い出した。シラフであれだけ感情を爆発させられる、彼の創作への想いというものに微笑をせずにはいられなかった。


     *     *     *


 深夜、長野は目を覚ました。時計を見ると、青山との「飲み会」は、今日のことではなかった。だが、昨日と言い切るには、まだ鮮明な記憶として脳裏に焼き付いている。


 踏み外しに気を付けながら階段を下ったところで、ふと、気まぐれを思いついた。台所の電気をけて、水を一気に飲み干すと、ポケットからスマホを取りだそうとした。だがどうやら、枕元にあるらしい。


 舌打ちをした長野は、苛立たしい気持ちのなか頬杖をついた。折角だから、青山の小説を読んでやろうと思い立ったのに、これでは興ざめだ。


「僕は、僕の小説を読んでくれる人だけを、大切にしたい……」


 あの青山の言葉が脳内で反芻はんすうされる。感傷に陥ることは滅多にない長野だが、彼のこころからの気持ちには思わず共鳴してしまった。小説を書いているわけではない。しかし、その結論に至るまでの格闘のことを想像すると、まるで自分事のように思えるのだ。


 長野は、むかし、詩を作っていたことがある。物語を紡ぐことはできないが、ポエムを考えるのが好きだった。だから高校生のとき、少しだけ文芸部に在籍していた。


 しかし自作の詩を笑われているところを目撃し、その次の日には辞めてしまった。それ以来、詩を書いていない。


「俺の詩を笑うやつらは、放っておけばよかったんだよな」


 いたかどうかは分からないが、自分の作品と真剣に向き合っているひとのためだけに、詩を作ればよかったのだ。青山のあの言葉を、過去の自分に聞かせてやりたい。感傷に浸りながら、長野は、外の暗がりを透かせたりガラスを見つめ続けている。


 思い切って立ちあがり、きっちりとカーテンを閉めると、落っこちないように手すりを持って、寝室へと戻っていった。流し台に置いたコップは、月の光の届かぬ底の方に、少しだけ水を残していた。蛇口からぽとりと雫が落ちた。



 〈了〉

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