第3話 イーリスとリーン

「あ、イーリス! ちょうどいいところに」


 食堂から部屋への帰り道、貴族寮のラウンジでイーリスとアイシャは声を掛けられた。


「おはよう、イーリス」


「ごきげんよう、リーン」


 ゆるりとウェーブのかかった金髪に紫の瞳、まだ幼いが将来を約束された美貌をもつ少女が分厚い本を開きソファーに腰を落ち着けた状態で顔を向けていた。

 イーリスの後ろに控えているアイシャもすっと顔を伏せ、頭を垂れる。


「ねえ、いま少しだけ時間もらえないかしら」


「うん、構わないよ。どうかした?」


「イーリスって失伝魔法についての研究してるのよね。」


 つい先ほども同じように声を掛けられたので、イーリスはぱちぱちと二度瞬きをした。

 リーン・パイシース。

 パイシース家の次子にして、昨年から魔法学校に通うイーリスのひとつ年下。

 召喚士としての適性があり、お世辞にもあまり成績が良いとは言えないがイーリスによく付いてくる可愛い後輩だ。

 召喚士としての適性はあるが、まだ意思を持たない小妖精しか召喚できない子だ。

 ブランズと同様。こちらも失伝魔法に興味を抱くようには思えない。

 内向的な性格であまり他貴族とは話をしたがらないが、イーリスをはじめ、兄弟のような友人たちには心を開いて我儘を言う小さな暴君でもある。


「失伝魔法はたしかに僕の研究だけど……。」


 ちらりとリーンがもつ本のタイトルに目をやると、『太古の属性魔法』というもっと年上の研究生しか見ないようなものが目に入った。リーンが普段読むような、恋愛小説とは違うことにイーリスは違和感を感じる。


「うん……、あのね……。」


 と、ラウンジにつながる廊下の扉をガチャリと開けて、他の学生が入ってきたのを見るやリーンは口をつぐみ、困ったようにイーリスを見る。


「話は……そうだな。じゃあ僕の部屋に来てもらおうか。」


 それにリースはぶんぶんと首肯し、相変わらず人がいると話ができなくなる後輩にふっと笑みを浮かべた。

 ちらりと後ろのアイシャを見、アイシャがこくりと頷いて先にイーリスの部屋に向かう。


「今日はよくなにかを聞かれる日だな。」


 ――――


 イーリスがリーンの手を引いて部屋に戻り、すでに部屋ではアイシャが紅茶の準備を済ましていた。

 二人が部屋に入るとふわりと紅茶の香りが漂ってきて、テーブルには白磁の茶器と彩り豊かな星形の砂糖菓子がきれいに並んでいる。星形の砂糖菓子には見覚えがあった。先日とある実験で精製されたものだ。

 リーンがわあ……!と目を輝かせ、アイシャが引いた椅子に腰を落ち着ける。


「こちらはイーリス様が先日作り上げた砂糖菓子です。珍しいものですので、ぜひご賞味ください。」


 イーリスも向かいの席に腰を落ち着けると、間を置かず紅茶が用意されていく。

 すでに温められていた茶器には、イーリスが話した覚えのない、最近よく飲む色合いの紅茶が満たされ二人の前に並べられる。

 仕事が終わり次第すっと離れ、イーリスに控えるアイシャは、まさに給仕といったところだ。


「アイシャ、ありがとう。」


 イーリスが声をかけてもアイシャは目を伏せ、すっと頭を下げるだけ。


「それでリーン、なにを聴きたいんだい?」


 一口、紅茶に口をつけてイーリスがリーンに尋ねる。

 きらきらと輝く色とりどりの砂糖菓子を数個口に入れ、その甘さに目を輝かせていたリーンは問われてはっと目を開いて、手に持っていた本を机に音を立てて置いた。


「あのね、まずは聞いてほしいことがあって!」


「うん、言ってごらん。」


「私、闇の魔法に開眼したみたいなの!」


「うん……、うん?」


 数度瞬きをし、目の前できらきらと目を輝かせる妹分を見やったイーリスは、数舜空中を見つめたのちに、あぁ、と合点がいった表情でリーンに向き直った。


「……おめでとう?」


「あのねちがうの! そういう妄想と現実が付かなくなった人を見るような眼をしないで!」


 顔を赤くし、必死に捲し立てるリーンだが、たいしてイーリスは冷静だ。


「君のお兄様も、私に似たようなことを話してくれたことがあるよ。」


「ちがうの、お兄様の若気の至りでお話ししていた創作のお話ではないのよ!」


 顔を赤くし、必死に否定するリーンを見て、主従ともにほっこりとしたものを見る目をしていたが、それであれば、とイーリスが続けた。


「闇の魔法に開眼したというのは、どういうことなんだい?」


 少し落ち着いた様子のイーリスを見て、リーンもまだ若干顔を赤くしながら、あのね、と小さく続けた。


「今朝ね、夢を見たの。ずいぶん前からあるあの預言の夢……だと思う。」


 預言。

 いまこの国で預言というと、多くの人にとってはひとつしか心当たりはない。

 『魔王が降臨し、世界は変革の時を迎える』というものだ。


「預言の夢、ねぇ。」


「うん、私が見たのは……。」


 と言ってリーンがぽつぽつと語り出した。


「明るい光と黒い光が遠い空に見えるの。それが左右からばーっと伸びているんだけど、空でぶつかって、砕けるの。砕けたときにそれぞれが何個かに分かれて……多分、5個や6個、ううん、もっと多いくらいかな。大きな塊になって散らばっていくんだけど、黒い光がまっすぐこっちに落ちてきて、そのまま私の中に入って……。」


 そういって、話しながらリーンは右手を机の上の見える位置に挙げる。


「夢から覚めた後、私の魔力が前までと違う感じで……。」


 言いながら、左手で右手をそっと包み、深刻そうに眉根を寄せる。


「小妖精とのつながりが感じられなくなったの。なにか、別のものに置き換わってしまったみたいで。」


 召喚士は契約した使役の証に、体に召還紋・使役紋と呼ばれる文様が浮かび上がる。

 イーリスが目をやったリーンの召還紋は、なるほど確かに以前まであった可愛らしい数本の線で象られたモノとは違う形を浮かべている。


「つながりが消えた?」


 召喚士の魔法は、自身の魔力を呼び水に異世界から生き物や超常のものを呼び寄せるものだと聞く。

 呼び寄せた後、それとの対話や契約など、使役の魔法で自身の力とするのが召喚士としての在り方だ。

 つながりが消えるというのはつまり契約が切れたか、契約した生き物が亡くなったことを表すはずだ。

 召喚士ではないイーリスだが、文献によって知識としてのそれらは備えている。


「その夢を見てから、なにか召喚した?」


「……してないわ。怖いもの。」


 まっすぐにイーリスを見つめ、臆病さを隠さずに少女は答えた。


「うん、賢明だと思うよ。ちなみに今の話では預言に関係があるようには思えないけど。まだ続きがあるのかな。」


「うん……夢のなかでは……。」


 と言いながら、カップを片手に一口、飲み下してリーンが続ける。


「黒い光と明るい光が砕ける前に見えるの……。」


「見える?」


「うん、左右から伸びた白と黒の光の交差に真っ暗で大きな……たぶんあれが魔王、だとおもう。」


 魔王というのは創作の世界の話ではない。

 王国の始まりは勇者と魔王の話でもある。

 ヒューマンの最大の国であるゾディアックでの建国神話だ。

 始まりの12貴族、勇者と魔王、かつての世界の話。


「おもしろい解釈だね。通説では失伝した闇魔法を極めたものを魔王と呼称していた、とあるけど。」


「あのね、たぶん……光と闇はそれぞれ特別な属性ではあるけど、魔王とは違うんじゃないかな。わ、わたしが闇魔法に目覚めたからっていうんじゃないけどね! その、夢の中では……まったく別のなにかに、白い光と黒い光が砕かれているように見えた……っていうか。」


 ぽつりぽつりち言葉をこぼしながら、リーン自身もそう纏まっていない胸中を吐露している。

 イーリスは聞き届けながら笑みを浮かべる。


「そう。たしかに、リーンの言うように属性に関係なく、そもそも魔術師じゃなく魔装師だった、いや召喚士だった、という話はいくらでも残ってる。」


 紅茶に砂糖を1匙いれ、くるくるとスプーンで溶かしながら続ける。


「失伝した属性の話を研究する中で、そういった話は僕もよく知っているよ。リーンが聞きたかったことっていうのはそういう内容の話?」


「それもあるんだけど、あのね……。」


 カップを見つめながら数舜言い淀んで、しかしイーリスの目を見ながらリーンは告げた。


「これから召喚に付き合ってほしいの。あと、こういう時に便利な道具ってないかな?」

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