第20話 王子様と護衛官様

「乙女になりたい、と」

「ないものねだりなのかな。王子様なんて呼ばれ方をするボクが、かわいさを求めるなんて」

「いいに決まってるじゃないか」 


 はっきりといった。たとえ渚の素性が見えなかろうが、これは正しいことだと信じているからだ。


「やはり君は強い。重森くんなら、私の悩みなんてすべて吹き飛ばしてしまいそうだよ」

「ありがたいお言葉だ」


 なにも特別なことはしてないんだが、渚にとっては大きな意味合いを持っていたらしい。


「私が見込んだ男子というだけあるね。実に素晴らしい!」

「本人の前でいうことなのかな」

「褒め言葉というのは、思っているだけでは伝わらないんだ。自分でも、傲慢な上から目線の発言とは自覚している。それはそれとして、君は讃えられるべきなのさ」

「ほぅ」


 そんな、頼らない反応を返すことしかできなかった。


 脳内では、渚に対する疑念の意がふつふつと沸き立っている。


 たとえここが貞操逆転世界だからといって、なぜ俺なのか。


 自分を貫く強さといっても、改変前の世界同様に振る舞っているだけだ。渚の記憶のなかにある重森颯汰という人物像は、俺の知っている俺ではない。


 いきなり彼女候補スタートという距離感の詰め方にも違和感がある。


「君という男子に受け入れてもらえるというのは、私もここまで生きてきた甲斐があったというものさ」

「渚は恋愛対象なんぞよりどりみどりと思っていたんだが」

「ただでさえ競争率が激しい中、女子人気の方が高い僕に、勝ち目があると思うのかい?」

「厳しいってか」

「男子と付き合うなんて、周りの同性が許してくれないだろうね」


 いわんとすることはよくわかる。


 ただ。

 

 これは罠なのだろうか。疑いたくなる気持ちは捨てきれない。


 世界が変わってから、俺の周囲がいきなり動きすぎである。警戒するほかない。


 仮に罠じゃないとしても、俺が渚と懇意にしていると、どうなるか。


 千夏が病む。これは揺るぎない事実。厄介なことになることはいうまでもない。


 だというのに俺は話を受け入れた。さぐりを入れたかったからだ。うまいところで引き際を見つけ、フェードアウトというのが理想系だ。成功すれば、の話ではあるが。


「しかし、だよ。いま、周りに屈したくない。私にだって、ワガママを押し通す権利くらいあるはずじゃないか」

「それはそうだ」

「権利があるなら行使するってものだろう?」


 いうと、渚は俺のグラスを取り上げた。


「どうしたいきなり」

「いや、アイスコーヒーが飲みたいなぁって」

「だったらなぜ俺のグラスを」

「仮とはいえど恋人なんだし、飲み物共有くらいおかしくないだろう?」

「いや、その様子じゃおかしいといわざるをえないな」

「嘘だよそれは」


 グラスに刺さったストローを、少々息を荒立てながら見つめている。


 まごうことなき変態である。


「私はいたって正常さ。単にアイスコーヒーを欲しただけであって、それ以上もそれ以下もない」

「じゃあその似つかわしくない鼻息は」

「こ、これは生理現象だ! じゃあ君は、しゃっくりを自分の意思で止めろというのかい?」


 だいぶ無理のあるいい訳を通そうと必死になっていた。


 この貞操逆転世界では、あまりにも男子がすくない。身近で会える機会はさしてない。


 溜まりに溜まった欲望が、歪なかたちで表に出てしまっているのだろう。


 だとしても、節度をわきまえてほしいものである。顔が整っているから許されているようなもので、俺がやったら即警察行きだと思う。


「んな状態で飲まれたら困る」

「等価交換だ。私のグラスも差し出す」

「違うんだ。このストローを明け渡したら、渚が危険な一線を超えてしまうんじゃないかってね」

「思い込みだよ。さぁ、たったの一度きりじゃないか」


 必死になるものだから、対処に悩んでしまった。


 早々にかっこいい渚さん像という幻想は砕かれてしまった。残念極まりない。


 これが「冷める」とか「萎える」とかの類かもしれない。


 渚の場合は、ギャップ萌えあって面白みがあるから、そこまで強い抵抗感があるってわけじゃないんだが。



 俺が思考を巡らせているとき。



 思考は、突然に中断された。


「楽しそうね、そーくん」

「……あえっ!?」


 背後から優しい声で語りかけてきたのは、幼馴染で護衛官の千夏。


 俺の脳内に電流が駆け巡る。


 ……これはまずいのではないか。いわゆる修羅場の予感というやつではないか。


 優しい声、そう感じた。あれは不十分な感じ方だった。


 思い返すと、ちょっと震えていたし、なにより笑顔がわざとらしかった。


「奇遇だね、千夏くん。こんなところで会うとは」


 そうね、と千夏は答えて。


「重森くんと食事?」

「あぁ、そうさ。というのも彼は……」


 俺が本当にいうのか、と渚に表情で訴えかけたのだけど通じなかった。むしろ、俺をからかい苦しめるかのように、続けた。


「きょうからボクとさしあたりカップル?みたいな関係でね」

「あっ?」


 千夏のドスの効いた声が、俺の心臓を突き刺すようだった。

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