第11話 しれっと同棲を始める千夏
家につくまでの帰路。
千夏の「他の子に心を奪われないでね」といった主旨の発言は、俺の背筋を伸ばすには十分すぎた。
以降、千夏の会話から緊張感が薄れた。ありがたい。
ハイライトが失われた瞳、震えを含んだ声がずっと続くと、恐怖で支配されてしまう。
千夏の暴走の原因が、護衛初日で浮かれていたゆえであれ――と俺は祈っていた。
ねっとりとした、付かず離れずの関係。悪くないかも知れないが、途中で息が詰まりそうだ。
「ようやく帰宅~」
千夏は玄関に入るやいなや、緩んだ声でいった。
「お疲れみたいだ」
「そりゃそうだよ~。護衛ってなかなか気が抜けないんだから。継実が腕を絡めてきたときなんか、特に」
「あれには驚いたよ」
「ほんと、継実は男子に目がないから。想定外なことばかりしてくる」
「警戒しろ、っていうのもよくわかる」
いうと、千夏は継実についてちょっと話してくれた。
男女比の偏ったこの世界で、継実がいかに男子と交流を持っているかについてだ。
誰とでも気安く接している継実は、人脈が広い。
ゆえに、自身と直接繋がりのある男子のみならず、知り合いの
「類は友を呼ぶ、っていうでしょう? 異性に積極的にいける、レアな男子を引き寄せる。継実は天才よ」
「それを知ってて、千夏は俺を呼んだんだ」
「反応を見たかったの。これから、どう戦略を立てるかべき。私を前にしていれば、継実も大胆な行動を起こないはず、と踏んでいたから」
実際には、千夏が側にいようと、積極的にアプローチをかけてきたわけだが。
「ま、きょうは仕方ない! あしたからは、徹底した護衛にするからね」
「よろしく頼むよ」
「任せられましたっ」
浮かれた様子で、千夏は洗面所に向かった。俺もそれについていった。
「そういや千夏って、俺の家に住むってかたちでいいんだっけか」
洗面所から戻りソファに座った俺は、千夏に話題を振った。
「うん。もう、私の部屋も決めたし、荷物も運んできたし」
「え?」
俺はこのだだっ広い家でひとり暮らしをしている。故に、我が家の構成人がひとり増えても、問題はないのだけれど。
「いつの間に全部?」
「そーくんが寝ている間に、こっそりやってたんだ。護衛官の特権をいろいろ使ってね。私、ミニマリストで物もすくないし、意外とあっさりできたの」
「ちなみに千夏の部屋は?」
「空き部屋、あるでしょ? ちょっと掃除して借りてる。そーくんと壁越しの部屋」
「まさか、すぐ近くにいたとはな……」
「へへへっ」
マジで気がつかなかった。
世界改変からけさに至るまで、千夏におかしな様子や動きはなかった。
まさか堂々と我が家に侵入されるとは思いもよらなかったのだ。
「きょうは疲れたし、夜は出前にしない? 私が払うから」
「いいのか? 結構お金、かかるじゃないか」
「護衛官をボランティアと思ってる? 割と実入りはいいんですっ!」
「れっきとした仕事だもんな、そうかそうか」
だとしても、だ。
「俺がヒモみたいで、なんだか気が引けるな」
「いいの。数すくない男子なんだし、なによりそーくんだもん。気にせず養われちゃえ~」
「千夏は俺をダメ人間にするつもりかな」
「生きてるだけで、そーくんは十分立派なんだよ? たとえ私をあてにして生活するようになっても、それは変わりないもの」
「堕落させる気満々じゃないか……」
それも悪くないでしょ、と千夏は続けた。
「幸せな生活は、私が保障するからさ」
「ずいぶんと自信があるね」
「当然だよ? 私は現状、そーくんと一番密接な関わりを持つ女の子だもんね。もはやこの同棲は、新婚後の生活を踏まえたシミュレーション。そういっても過言じゃないよね」
「仮定とはいえ結婚か」
「一概にありえない、ともいえないでしょ?」
千夏の論理に納得しかけている自分がいる。昔から口がうまいとは思っていたが、この世界での千夏はさらに磨きがかかっている。
「それはそれとして、だ。出前をとらないとね」
「だな。どれにしようか」
結局、俺たちは洋風の店を選ぶことにした。
千夏はオムライス、俺はハンバーグにした。
届くまでの間、千夏の荷物を一緒に整理することに。まだ開封していない段ボールがあった。
ミニマリストということもあり、日用品でほとんどだった。あとは、思い出の品がちらほらあったくらいだ。
新聞紙に大事そうに包まれていたのは、家族写真だった。
「これ、大事なんだ。ひとり暮らしを初めて以来、なかなか家族みんなで、ともいかなくなって。写真を眺める時間はかけがえのないものなの」
「大事だな、家族」
「うん。すくなくとも、私たちにとってはね」
部屋の目立つところに、写真は飾られることになった。
部屋の整理をしていると、わりかし時間がすぐに過ぎた。
過去の思い出話に浸った。世界の改変はあっても、千夏の記憶にさほど差異はなかったので、気にせず話せた。
出前が届くころには、腹もずいぶんと空いてきた。
デザートは、夕方購入した例のドリンクとなった。冷蔵庫で冷やしてある。
「ケチャップ、かけなきゃね」
オムライスを前にした千夏の第一声はそれだった。
「冷蔵庫から出すか」
千夏はケチャップを手にすると、るんるんと鼻歌を歌いながらキャップを外した。
「オムライスといえば、ケチャップアートだよね」
ゆっくりとチューブを搾り、描いていく。卵という名のキャンパスは、たくさんの小さなハートで埋め尽くされた。
「そーくんのとこにも、かけちゃうね」
「ハンバーグ……なら、おかしくないか」
「でしょう?」
俺のところには、千夏のオムライス同様にハートが描かれた。
違っていたのは、ハートがめっちゃ大きい、というところだ。
「大きいね」
「大きいよ? だってそーくんだもんっ」
千夏は、継実と過ごした分、より甘い時間を過ごしたいと要求していた。
一緒に荷物の整理をした時間もそれに含まれるだろう。
しれっと新婚のフリをして、その流れでケチャップでハートを描いた姿を見るに、それで千夏は満足したのだろう。
初日の千夏のアプローチは、そんなところだった。
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