第5話 千夏は屋上に侵入したい

 継実に話を振られるのは予想外といってよかった。不意の出来事に、一瞬フリーズしてしまった。


「あぁ。たまたま朝の同じような時間に鉢合わせただけだ。千夏は途中で忘れ物かなにかに気づいて、家に戻った。だよな?」

「そっ! だいたいそんな感じかな」


 嘘八百である。


「でも、うち的には匂いが引っかかるんだよねー」


 まだ折れない様子だった。


「それは……」

「なにいってるの、継実? 鼻がいいだけで、気にしすぎなんだよ。至近距離で嗅いだのも悪いんだから」


 答えに詰まっているのを見て、千夏は助け舟を出してくれた。


「ちょっと意識しすぎた感じかも。でも……」


 継実は、すこし溜めてから口を開いた。


「千夏と颯汰くんとの関係、ただならぬものを感じるってわけ」

「単なる幼馴染なだけよ」

「そーかな? 希少な男子と幼馴染。もはや物語でしか拝めない絶滅危惧種じゃん? いろいろ考えちゃうのは自然なことじゃない?」


 いわんとすることはよくわかった。


 この世界では、異性の幼馴染という関係性に期待を寄せすぎても仕方ない。


「継実の妄想タイムは終了?」

「もーいっかな。つれない反応だったしね。じゃあ、私は席に戻ろっかな」


 継実はこれ以上の追及をやめた。なんとか危ういところを回避できた。


「ひやっとしたね」


 千夏はほっと息をついた。


「間違いない」

「私たちの仲が勘ぐられるのはまだ続くだろうけど、肝心のところはまでは大丈夫だよ」


 護衛官は、不正をしない、私利私欲に従うことのない、潔白な行動を心掛ける……。


 そんなパブリックイメージにより、まさか身近な人間である幼馴染が護衛官、とは思われない。


 千夏は、護衛官というシステムの盲点を突いているわけだ。むろん、判明すれば重い懲罰がくだる。リスクを承知の蛮行である。


「わかったかな、せーくん」

「ん?」

「私たちの本当の関係は、他の人に知られようがない。ふたりだけの秘め事ってこと」


 ささやくような声だった。企みの笑みがそこにはあった。


 千夏の独占意識が、色濃く表れていた。


「ま、そこまで重くは考えてないけどさ、実質そうともいえるよねって話」

「だよな。本気じゃないよな」

「ふふふ」


 どちらともつかない態度を取られた。


 護衛官として初日からアクセル全開である以上、軽い冗談として受け流せない。


「きょうもいつもどおり、頑張ろ?」


 こくりとうなずく。


 内心、なにが「いつもどおり」だよ、と毒づきながら。




 授業は元の世界とほぼ同様に進行している。週の時間割も、教師の名前も基本的には変わらない。


 とはいえ、男女比と貞操観念の極端な変化による影響は、すくなからずある。


 男性中心の歴史は、女性中心の歴史に塗り変わっていた。本来男性が占めていたポストは、似た名前の女性によって埋められていた。


 ノートの中身も、それにともなって若干変わっていた。不思議なものである。


 拭えない違和感にまだ戸惑いは残る。そんななかで、一日の授業は進行した。



 迎えた昼休み。


 俺がトイレのために教室に出ると、後をつけるように千夏が出てきた。


「屋上に集合」


 千夏は後ろからつぶやいた。俺にしか聞こえない声量だった。


 俺を追い越して、千夏は屋上の方へと向かった。


 なんともまどろっこしい伝達手段だ。千夏が俺との関係を秘匿する以上、仕方ないとはわかっているが。


 トイレを出てから、屋上へと向かう。人の波に紛れ、あまり目立たないように。


 埃っぽい階段を抜ける。屋上に繋がる扉の前に、千夏はいた。


「やっほー」

「軽いな」

「いいじゃん、いまさら仰々しく話す仲でもないんだし」

「校則を犯すのに躊躇がないんだなって話だよ」

「屋上の侵入に関する規則だっけ?」


 俺たちの高校では、屋上への生徒の安全を守るという名目で、立ち入りは禁じられている。


「安全に使う分には、問題ないでしょう?」

「掟破りの芦川、とでも異名がつきそうな勢いだな」

「いちおう、いい訳もあるんだ。護衛対象を、周囲の女子から遠ざけるためには不可抗力だった。そういう線が」


 いってることは間違っちゃいない。


「で、屋上への侵入は」

「鍵は針金で開けたから、不法侵入かな」

「凄腕だな」

「護衛官だしね。ま、バレても『元々空いてた』で通すんだけどね」


 護衛官だからって通る話かよ、というのは置いておく。


 我らが千夏のことだ。他の護衛官には不可能でも、千夏ならさらりとやってのける力がある。

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