第14話 推しと、キス。

 降り注ぐフラッシュ。鳴り響くシャッターの音。

 その中央に座った霞は、ゆっくりと息を吸っては、吐き出した。


 ――運命の記者会見が、始まる。




「どう思う」

「どうって……何がですか?」

「霞の今後のことだよ」


 マスコミを切り抜けて、ようやく訪れた束の間の平穏。遥のそんな問いに、俺はバックミラー越しに難しい顔をした。


「ただ否定するだけじゃ……足りないと思う。〝疑惑〟って形で残されて、これからもパパラッチが纏わりつくかもしれない。それじゃあ霞の印象も悪くなったままだ」

「そうだな……何か一つ、話題を大きく逸らせるようなインパクトが必要だろう」

「インパクト……」


 正面を見つめながら、俺はうんうんと唸り思案する。霞のために俺が出来ることと言えば、こうして考える以外にはないのだから。


「……お前って、本当に霞のことが好きなんだな」


 そんな俺を見兼ねてなのか、遥はぽつりとそう呟いた。


「……え?」

「いくら推しアイドルっつったって、あの写真はお前にとってもショックだろ。それなのに、こうして親身になって考えて……」

「ハグされた瞬間を俺は見てたんですよ? 不可抗力だってことくらい分かっています。……それに」


 車を止め、俺はくるりと遥の方へ振り返る。その瞳には真剣な色が滲んでいたことだろう。


「……霞のことを誰よりも愛しているのは、俺だから」


「……ふぅん? この俺という存在がありながら、よくもまぁそんなことが言えたな?」

「えっ……あ、そういう意味ではなくて!」

「ははは、分かってるよ。いいから行こうぜ……このタイミングのバラエティ収録となりゃ、何を言われるものか分かったもんじゃないけどな」

「……大丈夫そうか? 遥」


 車から降りた遥は、俺の方へ振り返りにっと笑ってみせた。




「任せとけよ。お前の第二の推しを舐めるなよ」




 ――プロというものは、すごい。収録中の遥の手腕に、俺は終始圧倒され続けた。

 共演者は、遥を腫れ物のように扱った。皆今日の報道を知っていたのだろう。しかし――そんなことで動じない遥はその空気感を逆手に取り、自分の世界へと共演者を巻き込んだのだ。

 そこにはいつも通りどころか、遥の姿があった。


「お疲れ様……すごかったな」

「おう。何が?」

「いや……全部だよ」


 収録を終え帰ってきた遥に、俺は本心からそう告げた。これまでは霞の現場にばかりついていて、遥の底力というものを知らなかった気がする。

 そして同時に思い出した。霞には、遥という相棒が居る。二人は別々の個人ではなく、Spring Sunset という一つのユニットだ。

 だからこそ。彼らがユニットだからこそ、できることがあるのではないか――?


「――そうだ!」


 ――全てがつながったような気がした。「なんだ?」と訝しげな顔をする遥の手を取り、俺は「いますぐ事務所に帰ろう!」と短く告げる。


「急にどうした、急ぎの用か?」


 走り出した俺を追いかけながらの問いに、俺は振り返りつつ告げた。


! 思いついた……!」




 ――これが本当に上手くいくかは、分からない。もしかしたら悪い方向へ転ぶ可能性だってある。

 だが、俺のこの提案は社長が、実が、そして霞たち二人が了承したことだ。

 二人が下した決断ならば、必ず良い方向へ転ぶ――記者会見現場の袖で一同を見守りながら、俺は胸の前で拳をギュッと握った。


「――本日は、お集まりいただきありがとうございます。質疑応答の時間は最後に設けさせていただきます。まずはどうか、僕の話をきいてください」


 霞が話を切り出した。シャッター音が急激に加速する。眩しさに目を細めることもなく、霞は凛とした眼差しで取材陣を見ていた。

 そうして彼は語り出す。今問題となっている彼女との出会いや、収録中の出来事。パパラッチを受けた日の経緯。

 そして――熱愛報道は事実無根であることを。


「彼女にご迷惑をおかけしてしまったこと、そして皆様に混乱を与えてしまったことを、心からお詫び申し上げます」


 深々とした、謝罪。フラッシュが一気に焚かれる。


「その証拠はあるんですか? 事実無根であるという証拠は!」


 質疑応答のタイミングを無視して、野次のように質問が飛んできた。霞は顔を上げる。その眼差しに、動揺の色はない。


「証拠はありません。ですが……同時に、皆様に公表させていただきたいことがあります」


 袖から出てきたのは、マネージャーの実、そして相棒たる一条遥。二人が左右に座ると、霞は深く息を吸い、目を開いた。




「僕には、お付き合いをさせていただいている方がいます」




 会見会場がざわつく。あちらこちらから驚きの声が滲み出る。それに動じることなく、霞は更に畳み掛けた。


「それと、もう一つ。僕はバイセクシュアルです」


「彼とお付き合いをしている方については、事務所も公認をしています」

「俺もよく知っている奴だ。俺はこいつの性的指向も、全て理解した上で一緒にアイドルをやってる」


 実と遥がそれに加勢する。俺は息を呑み、じっと会見の行く末を見守り続けた。


「彼女と交際していない証拠はありません。しかし、本当にお付き合いをしている方のこと、そして僕という一人の人間がどんな想いで人を好きになるのかについてであれば、いくらでもお話することができます。お相手にもプライベートがありますから、身分の公表だけは出来ませんが……質疑応答に時間制限は設けません。いくらでも、どんなことでもお聞きください」


 司会者も動揺を隠せない様子のまま、「これより質疑応答に入ります」と静かに口にした。一斉に上がる取材陣の挙手。霞は臆することなく、一つ一つの質問に答えていく。

 時には遥や実にも質問が及んだ。霞の付き合っている人について、二人はどう思っているのか――その質問に対しても、彼らが動じることはなかった。


「誠実なやつだ。俺は霞の次にそいつを信頼している」

「若いですが仕事も丁寧にこなしていることを知っています。信頼して霞を委ねられる方です」


 今まで聞いたこともなかったその言葉に、堪らず顔が赤くなる。そして、何よりも衝撃が大きいのは――霞が語る、俺への愛。

 赤裸々で裏表のない霞の想いに、俺はへなへなとその場で座り込んだ。質問内容のほとんどが俺の話題になっているのは思惑通りではあるが、はっきり言って、心臓が持たない。

 現実から目を背けるように、俺はYのトレンドを確認する。

 最早見慣れてしまったトレンド総舐めの状態。はじめは、いわゆる〝ガチ恋勢〟や性的マジョリティによる悲鳴がこだましていたが、会見が進むにつれて霞の誠実な愛にポジティブな感想を抱くファンが増えつつあった。アイドル活動も恋路も応援したい! そういう想いで世論は統一されつつある。

 俺は端末を静かに閉じる。未だに続く記者会見を聞きながら、深々としたため息を吐き出した。


 ――上手く、いった。俺の考えた作戦が、見事に功をなしたんだ。




「……本当にありがとう、誠」

「ま、今回ばかりはこいつの功績だな」

「熱愛報道は影も形もありません! 上手くいきましたね!」


「え、えっと、その……よかった、です」


 会見を終え、事務所に戻ってきた俺たちは、軽い打ち上げと称して酒を飲み交わしていた。佳境を無事に切り抜けた事実に、一同はどこかほっとした様子だ。


「しっかし驚かされましたよ。まさか霞くんと井上さんの関係を公表するだなんて!」

「ついでに俺に関する疑惑も、上手く煙に巻けたしな」

「君への愛も本物だからね? 遥」

「うっせ」


 公表されている内容が全てではない。蓋を開けば三角関係、いつか何かが綻ぶ可能性だって少なからずある。

 けれど――。


「……誠? どうしたの?」


 霞と遥を交互に見る俺の眼差しに、霞が振り返る。遥もまた、ぐいっと煽ったグラスを置いて俺を見た。


「いや……俺、霞たちと一緒なら……どこまでだっていける気がして」


「あはは、なんだそれ!」

「決めた、今夜は3Pな」

「さん……はぁっ!?」


 動揺のあまり声を裏返した俺の肩を、がしっと掴む霞の手。振り返れば――果実酒の匂いの口付けが、俺に深く注がれて。


「愛してるよ。誠」

「俺も……愛してる」




 ――それは久々に訪れた、安寧のひととき。




 俺と霞と、遥。三人の複雑なようで濃密な関係が再構築された、節目の一日だった。

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推しと、キス。 黒詩ろくろ @kuro46ro

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