第3話 悲しみの湖と優しい人

とても悲しかった。

悲しくて悲しくて涙が止まらない。

悲しみの海に溺れて死んでしまった。


時は傷を癒すけれど。

悲しみの海から上がる方法が分からなかった。

涙でできた湖の底から、差し込む光を見つめていた。


時は傷を風化させるけれど。

湖の底から出ようと光に手を伸ばした。

湖に浮かぶものを掴んでは沈め、掴んでは沈めた。


自分を浮かばせてくれるものが見つからないまま、

ふと、自力では出られないことに気づいてしまった。

気づいた途端息が苦しくなった。

溺れるように闇雲に手を伸ばし、触れるもの全て引きずり込んで、

湖は底なし沼になった。


上も下も分からない真っ暗な泥の中。

突然、偶然、光が差した。誰かが掬い上げてくれたようだった。

ぐちゃぐちゃでまぶたも開けられなかったのに、

その誰かは温かいお風呂で全部洗い流してくれたようだった。

久しぶりに息ができるのを感じながら、暖かい光に抱かれて意識を手放した。


目が覚めた時、その人に恋をするのは至極当然な成り行きだった。

その人の側はとても暖かくて、もう冷たい水の中に戻りたくはなかった。

ずっと側にいさせてほしいと願うのは当然だった。


「ずっと一緒にいてもいいですか」

「いいですよ」

この巡り合わせは奇跡のような二度とない偶然。

絶対にこの手をはなさない。


とは思ったものの。世の中そんなに甘くない。

「お前なんかが隣にいるのは相応しくない!」

「そいつを解放しろ!そいつはもっと幸せになるべきだ!」

そんな素敵な人に、幸せを願う友人の1人や2人いないわけもなく。

歓迎されていないことは明らかだった。


その人は何も気にしていない。

どんな子供も見捨てない親のように優しく、拾った子猫の世話をするように甘く、

外野の声など気にせず、自分の良心を信じて何の見返りもなく、

ただただ一緒にいてくれる。


それでも事実自分が返せるものは何もないし、

その人の幸せを願う気持ちは外野も自分も同じだった。

この手は離したくない。絶対に離したくない。

でも自分じゃこの人を幸せにできない。


そんなこと気にしないでって言うだろう。

自分の幸せは自分で決めるものだから、関係ないよって言うだろう。


でも、私は、守ってもらうだけじゃ嫌なの。

いつかあなたの隣に立ちたいの。

あなたと同じ目線で一緒に生きていきたいの。

今のままじゃダメなのは分かってる。


そうしてしばらく悩んだ後、

湖の魔女は、優しい人を掴んで離さない自分の腕を、切り落として、逃げた。


あなたは優しいからきっと悲しむだろうけど、

いつかその未練の腕を回収しにくるよ。

その時はあなたの隣に胸を張って立てる自分になってるから。


さあ、ここからは1人だ。

自分で選んだ道だ。

もう泣かない。


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