5話【別視点】~私の名前はラ・オルテンシアといいます~
私の名前はラ・オルテンシアといいます。西の森――ラウマ大森林から出てきた、もとい半ば追い出された半人前のエルフです。
そんな私ですが、旅立ちの時にもらったお金で宿屋にてごろごろしていたら、気づけばなにもしないまま一ヶ月も経っていました。
ですが、旅立ちの際に族長さんにもらったお金はまだたくさんあります。宿のお姉さんに聞いたところ、あと三ヶ月はこの宿に泊まれると教えてくれました。
「あのね、オルテンシアちゃん。どんな仕事をするかは知らないけど、お金がなくなってから動いても遅いんだよ?」
時々そんなことをお姉さんに言われましたが、外には知らないひとが沢山いて不安でいっぱいです。できることならこのまま一生、宿でだらだらしていたいというのが正直な気持ちです。
と、そんなことを考えて過ごしているうちに、宿から出ないままさらに一ヶ月が経過していました。
「あのね、オルテンシアちゃん、働きなさい」
「ふぇえっ……」
その日、女将のお姉さんの声はなんだか威圧的で怖いものでした。少し前までは森から出てきた不慣れな私を優しく見守ってくれていた瞳が、今では私のことを腐った野菜かのように見てくるのです。
「じゃ、じゃあ……ここで働かせてもうなんて……?」
「無理」
「ええっ! そんなあっさりと!?」
「絶対に役に立たないから無理よ」
「ひどいですっ!」
私の素晴らしい提案をお姉さんは一考の余地もないとばかりに切り捨てました。
どうやら私はそれほどにできない子だと思われているようです。仲良くなったつもりでいたお姉さんにそんなふうに見られていたなんて……私は悲しみのあまり顔を手で覆ってしまいます。
「ていうのは冗談で、現状は人手が足りているのよね。なんなら雇ってる子を減らしてもいいかなってくらい」
「え、そうなんですか?」
言ってはなんですが、そこまで閑古鳥が泣いているようには見えなかったので意外でした。
お客さんが帰ってくる夕食時には一階の食堂の席は半分も埋まっているのに。なによりお姉さんのご飯はそれはもう美味しいのに。
もしかして普通はもっと席が埋まるものなのでしょうか?
私がそんな考えに耽っていると、私達の会話を聞いていたらしい従業員のククルアちゃんが慌てたような声をあげました。
「お、女将さん、嘘ですよね!? わたしのことクビになんてしませんよね!?」
ククルアちゃんは二十歳にもなっていない人間の女の子です。
なるほど、私から見てもテキパキと仕事をこなしているククルアちゃんでさえクビになってしまいそうなら、本当に私はいらない子のようです。くすん。
「まあ、今よりもお客さんが減ったら本格的に考えなきゃとは思っているのは確かね。だからククルアもしっかり働くのよ。この子みたいになるのはいやでしょ?」
「うう、ここをクビになったら私もオルテンシアちゃんみたいな目で見られるのかな……お、女将さん、私、頑張りますから!」
「ふたりしてひどいです!」
好き勝手に言ってくるふたりに私が抗議の声をあげると、ふたりは「だってねえ?」みたいな目線を交わします。
初めてこの宿にきた頃は、世間知らずの私にそれはもう甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたのに。あのときの優しさはどこにいってしまったのでしょうか。
「ほら、そういうわけだから今日こそ街に出て仕事探してきなさい!」
「あ、まって、待ってください! お尻、お尻叩かないで! わ、わかりましたから、いきますからぁぁ……!」
◆1000-2000の挿入。
この街で唯一の憩いの場である宿から追い出された私は、街を区画分けするように伸びる三つの大通りのうちのひとつ、中央通りであるパフィック通りに向かうことにしました。
ここは食品や家具などの日用品を扱うお店の他、外から来たひとに向けたちょっと高い宿屋やお土産屋さんが多く立ち並んでいるところです。
ここでなら私でも働けるお店があるはずです。……それは間違いないと思うんですが。
「あ、あぅ、ご、ごめんなさい! ああ、あっ、す、すみません……!」
数歩あるくたびに、私のすぐ隣を見知らぬ人間さんが通り過ぎていきます。
気づけば私の身体は緊張でカチカチになってしまっていて、雪崩のように押し寄せる人間さんに肩や足をぶつけてしまいます。
「う、うう、逃げなきゃ……ここにいたら人間さんに押しつぶされてお煎餅になっちゃいます!」
巡る巡る人間さんの波。ぐるぐるまわる頭。
このままではダメだと、あわてて私は避難するように横道に駆け込みました。
そして、胸に手をおいて深呼吸。壁にもたれながらもゆっくりと息を整えると、ようやく落ち着けました。
「ひさしぶりのチャレンジでしたけど、やっぱりダメでした。どうして沢山の人間さんに囲まれるとああなっちゃうんでしょうか。うう、お宿に帰りたいです。でも、このまま帰ったらあのふたりにどんな目で見られてしまうか……!」
沢山の人間さんに囲まれるとちゃんと歩くこともままならなくなる。
これが、私がほとんどお外に出なかった大きな理由のひとつです。
今日は宿のお姉さんに叩き出されたこともあって、久しぶりにチャレンジしたのですが、前と同じ結果になってしまいました。
「やっぱり東のトルティコ通りに行くべきだったのでしょうか。でもあそこは顔がこわいひとが沢山いますし……。で、でも、ここよりも人通りが少なくてお仕事があるといったら、あそこしか……」
東区の街の出入り口から、街の中ほどまで伸びる大通り――トルティコ通りは、通称、冒険者区画とも呼ばれている場所でもあります。
東の未開拓地域に繋がっている街の出入り口付近には、冒険者ギルドが置かれていて、その周辺には武器や防具を売っているお店とともに、冒険に役立つアイテムが置かれたお店が立ち並んでいるようです。
そして、宿のお姉さんいわく、東通りの街の奥側――港側に向かうにつれて、大人のお店というものが増えていくようです。私はもう大人なので行っても問題ないのですねと、宿のお姉さんに言ったところ、怖い目にあっても知らないぞと脅されてしまいました。
とはいえ、じっしつ貴族街でもある西の通りとは違って、東側は冒険者ギルド付近なら比較的お仕事も多いそうです。それに街中のひと達が集まってくる中央通りよりも人の数は少ないようで、前々から目をつけていた働き場でもあります。
「ううっ、ですがあそこもダメだったら、私の最後の希望が潰えてしまいます!」
東通りでなら仕事が見つかるかもしれないという状況は、ある意味私の精神的な支えでもありました。それなのに、もし中央通りよりも人が少ないといっても、私が耐えられるレベルでなかったら歩くこともままなりませんし、当然、お仕事を見つけることも無理でしょう。つまり私はこの街で生きていくすべを失ってしまうのです
正直……怖いです。行くべきかいかざるべきか。本当は宿のお姉さんに養ってもらうのが一番なのですが、今日の感じからして取り付く暇もないのが目に見えています。
「でも……そう、ですね。やれるだけのことをやってみましょう……!」
それに、必死になって頑張ったという証拠があれば、もしかしたらお姉さんの気持ちも変わるかもしれません。
お姉さんに養ってもらうために形だけでもお仕事探しを頑張る――うん、そう考えるとやる気が湧き上がってくる気がします!
「ですが、まずはここからどうやって街の東側に行くか、ですね」
前回、人混みチャレンジをしたとき、帰り道で遭難しかけたことは忘れてはいません。あれは恐ろしい経験でした。
「ふふん、なんて冗談です。あのときと違い、今の私の頭には街の地図が入っているんですから」
(宿のお姉さんに教えられ)頑張って覚えたこの街の地図。
ただ覚えてから一度も復習はしていませんので細かい部分はちょっと曖昧ですが、この街の地形も知らなかった前回とは雲泥の差です。これでは迷子になるほうが難しいというものです!
◆
「迷いました」
それはもうすっかりと迷ってしまいました。
ここが街の東か西なのか、それとも中央なのかもわかりません。つい先ほど勇気を振り絞って、道行く人間さんに「ここはどこですか?」と問いかけたのですが、「ここはオーロンですけど……」とだけ言って、私のことを訝しげに見ながら早足で去っていってしまいました。
そうじゃありません。知りたかったのは、ここが街のどのあたりに位置するかだったんです。
「すんすん、心なしか潮の匂いも強くなっていますし、いっそ視界のひらけた港側に出るのもひとつの手でしょうか……」
私はそう呟きながらすがるように空を見上げました。
ここではそうすることくらいでしか遠くのものを見る手段がありません。辺りを見渡しても目に映るのは建物ばかり。以前迷子になったときもそうですが、まるで大きな牢獄に閉じ込められている気分です。空のひとつくらい飛びたくなります。
「さて、次はどの道をいきましょう」
軽く見渡すだけでも、三つもの道が確認できます。
ですが、そうしてキョロキョロしているのが悪かったのでしょうか、少し離れた位置にいた見覚えのない人間さんが私のもとに近づいてきました。
「なあ、エルフの姉ちゃん、こんなところでなにしてんだい?」
話しかけてきたのは私の顎くらいまでの背丈をした小柄な男性の人間さんでした。
人間さんは私のことを覗き込むように首をひねりながらこちらを見てきます。
「え、えっ、えっ、わ、私ですか……?」
「そりゃそうだろ。どこにあんた以外のエルフがいるんだ」
確かにこのひとの言うとおりです。
唐突に話しかけられて動転したせいではありますが、分かりきったことを問いただした自身が少し恥ずかしいです。
あ、でもちょうどいいかもしれません。この人間さんがどうして私に話しかけてきたのかは分かりませんが、ここが街のどこらへんなのか教えてもらいましょう。
――と、思って、私が口を開こうとしたときのことです。
「ひひ、まあいい。なあ、エルフの姉ちゃん、イイ仕事があるんだが興味ないかい? エルフなんて珍しいからよ、姉ちゃんならしっかりと稼げると思うぜ?」
「いえ、あの、私は道を聞きたくて……って、し、仕事ぉ!? い、今、仕事っていいましたかぁ!?」
「おわっ! な、なんだよ姉ちゃん。だけどそうだな、仕事探してたのならちょうどいい。興味あるならついてきてくれよ、上のやつを紹介してやるよ。ひひっ」
「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」
背を向けて歩きだした人間さんの後を追いながら感謝を述べると、彼は「どうも」とでも言うように片手をあげます。
正直、人相が良いとは言えない方ですが、私に仕事を紹介してくれるなんて、じつはとっても優しい人なのではないでしょうか。私自身、そうした差別的な考えはあまりもっていないつもりでしたが、やはり人間さんを外面だけで判断するのは良くないのだと思い改めます。
「あの、ちなみですけど、ここって街のどのへんか分かりますか?」
「あ、そういえば姉ちゃん、さっき道がどうとか言ってたな。もしかして迷子なのか?」
「うぅ……すみません」
「いや、俺に謝られても困るんだが……まあ、いい。ここは街の東側だな。そんでもって冒険者街と港のちょうど境あたりだ。これでいいか、エルフの姉ちゃん」
「あ、はい、ありがとうございます!」
私は感謝とともに頭を下げます。やっぱりこの人間さんは良い人でした。
だけど、そうしているうちにも人間さんはどんどん歩いていってしまいます。私は慌てて小走りで追いかけました。
その後はひたすらに人間さんのうしろをついて行く時間が流れていきました。人間さんが言うには、街の東のさらに東側に向かっているとのことですが、だんだんと見慣れない店構えが増えてきて、おのずと緊張感が高まります。
なんだかセクシーな感じの女の子のイラストが書かれた張り紙や、うっすらと薄ピンク色をした少し大きな建物。道行くひとも、肩を寄せ合っているカップルさんらしきひとが増えていて、気のせいでなければ妖しくてえっちな雰囲気がしてきます。
「あ、あの、なんだか雰囲気が……ここってどういうところなんですかっ」
ですが私の気のせいに決まっています。そもそもそういったお店を今まで一度も見たこともないのです。私が勝手に勘違いしていると思うべきなのでしょう。
「ああ? まあ、ここは連れ込み宿も多いからな」
「つれこみ……?」
連れ込み宿……なんか一度だけ聞いたことがあります。
たしかあれは、うーん、思い出せそうで思い出せません。
「まあ、簡単にいえば娼婦が男を連れ込んだり、逆に色男が口説いた女としっぽりやるような場所ってことだ」
「――ええっ! そ、それってまさか」
も、もしかして、そういうことなのでしょうか。
そういう、いわゆる、エッチなところってことでしょうか。
……ということはつまり、人間が紹介する仕事ってまさか……。
「あ、あの、そういえば紹介してくれる仕事ってどういうやつなんでしょうか」
「んあ? どういうやつ?」
「えっと、その、事務系とか、に、肉体労働系、とか、そ、そういうのです」
もしかしたら緊張で声が震えていたかもしれません。
本当は今すぐにでも逃げ出したい気持ちでいっぱいでしたが、今までのことを思うとこの人間さんは悪い人に思えませんでした。いえ、思いたくなかったのです。
そして、人間さんはなんでもないかのようにひどくあっさりと答えました。
「まあ、そういう区分けでいったら、肉体労働の類なんだろうなぁ」
「そ、それは身体をつかった仕事……ということですかっ!?」
「あぁ? 今そう言ったばっかだろ? って、ちょっとまて、エルフの姉ちゃん、どうしてあとずさる?」
やっぱり、やっぱり間違いなさそうです。この人間さんが紹介しようとしているのはエッチなお仕事です!
そういえばこの人間さんは、エルフなら稼げるだろうとも言っていました。確かに私達エルフはあまり森から出てこない種族ですし、いわゆる希少価値的なものがあるのかもしれません。
どどどどどどうしましょう。一応、現在地も分かっていますし、ありがたいことに人通りも多くないので走って逃げ出すことはできそうですが、正直、運動不足の私ではあっさりと捕まってしまいそうです。
「あ、あの、じつは私って、お、おとこなんですけど……」
「はあ? 別にこちらからすれば、男だが女だかはどうでもいいんだが? てか、どうみても女だろ、エルフ姉ちゃんよ」
「ウウッ……!」
人間さんは私のおっぱいを一瞥すると呆れたように言ってきます。無理でした、簡単にウソがバレてしまいました。
それに、男性といえば諦めてくれるかと思えば「どっちでもいい」とは、まさかの解答です。それはつまり男女問わずエルフであれば問題ないということでしょうか。人間さんはエッチな種族だと聞いていましたがこれほどとは思いませんでした。
というか、私を見る人間さんの目つきがどことなくイヤラシイものに感じます。お尻やおっぱいにねちっこい視線を感じる気がするのです。
宿のお姉さん、やっぱり外は怖い場所でした……!
「ああ、あのの、あの、あの、わ、わたたたし……!!」
すると人間さんも私の様子がおかしいことに気がついたのか、なにかハッと気がついた顔をして手を伸ばしてきました。
いけません、今すぐに逃げなければ!
「お、おい、待て」
「わ、私――」
「待てって言ってんだろぉ!?」
「――初めてのちゅーは結婚するひとにって決めてるんですぅぅぅー!!」
それはもう久しぶりに、私は全力で駆けたのでした。
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