2話 ~模倣勇者と、優しい世界追放
「はぁ……では話を戻しますね。このたびお呼びしたのは、勇者さまによる大惨事が起き、そのはてに起きうる世界規模の大混乱を防ぐためです。具体的には、現在ド級の争いの火種になっている勇者さまにいなくなってもらおうかと」
「……え」
「いなくなってもらおうかと」……それはもしかしなくとも、神さま直々の処刑宣告なのでは?
ぶるりと背筋が震えた。僕の直感が死を悟る。
僕を見つめる女神さまの両眼が冷酷な光を放ち――。
「私が管理しているもうひとつの世界に移ってもらえないか、という提案のためにお呼びしました」
「あ、はい」
女神さまは穏やかな声でそういった。
ぜんぜん殺意とかなかった。気のせいでした。そういや僕の直感って昔からぜんぜん当たらないほうだった。
「え、というか僕らが争いの火種って、そんな……そんな……うーーーん」
そんなことないでしょうに、と言いたかったが否定することも難しかった。
どうやら僕はいつの間にか世界の危機の原因という大層な人物になっていたらしい。
思い当たるとすれば、直接的な武力の他に、共有の敵という存在で成り立っていた国々の関係性と力バランスの崩壊だろうか。
邪神軍――それは異界の神の加護を受けた侵略者。
そんな者たちの進軍に、真っ向から抗っていた大陸随一の三大国は、邪神軍撃退の立役者である僕……【勇者】に対する扱いを巡って不和が生じていた。
あの勇者は危険だから抹殺しろと主張する国、政治的な優位性のために強引に僕を引き込もうとする国、果てには中立を謳いながらも真っ先に僕の身柄を抑えて、交渉を優位に進めようとしていた国。
確かに僕は火種だろう。しかし、それを薪に焚べて戦火という炎にしようと画策していたのは国のお偉い様方だ。
僕は納得のいかない目で女神さまを見る。彼女もそのことは分かっているのか「うっ」とたじろぐようにモヤが力なく揺れた。
「そ、そう、ですね。私が言っていることは、どれだけ言葉を尽くしても世界を救ったあなたの……勇者の追放。言い訳はいたしません、事実です」
――ですが、と言葉に力を込めて続ける女神さま。
「勇者さまにとっても悪いことではありません。この話を受けてくださるのならば、勇者さまを匿ったことで窮地に陥っているご友人――かの女性とその家族。いえ、勇者さまを匿っていた街の人々にも、信託という形で必ず手を出させないと誓いましょう」
「おお、そうきましたか」
さすが女神さま、的確に僕の嫌なところを突いてくる。モヤ越しでははっきりしないため、可愛い顔……かは分からないが清楚な声をして中々の策士である。
「申し訳ございません。しかし、勇者さまにとって得があるというのは方便などではなく事実です。あれほどに悪評が広まった世界ではとても生きづらそうですから」
それはそう、ほんとそう。
僕らに友好的な態度を取ってくれる小国や街、人々こそいるが、大陸を実質支配している三大国に睨まれた僕らに安住の地はなくなっていた。
これはもうしょうがないってやつだ。
「……はいはい、わかりましたから。それでいいですよ。女神さまが直接出向いてるってことは実質拒否権なんてないようなもんですからね」
「ありがとうございます。それと謝罪を。勇者さまの身内に優しい性格を利用する形になってしまったことを重ねて謝罪いたします」
「いやまあ、情が厚いかはともかく、あんな状況で匿ってくれた友人を見捨てるほど外道じゃありませんってば。それと、仮にも神さまがほいほいと謝るのもどうなんです?」
そもそもこの神様、以前出会ったときもそうだが腰が低すぎる。
それに本当のところ僕だって、女神さまの話が渡りに船だということも分かっていた。
「ふふ、傲慢になるにはまだ神として若いんですよ、私。……ああでも、匿ってもらっている身でありながら、そんなご友人が階段を昇るたびにパンツ覗こうとしていたのは十分ごみくずだと思いますけどね」
「んん~~っ……!?」
いい感じの雰囲気で〆られた……そう思っていたところに、すべてを見ていたらしい女神さまの辛辣が言葉が突き刺さる。口元がキュッとなる。言葉にならない声で喉奥からこぼれ出た。
女神さまは盛大に顔を逸している僕を捨て置いて、まあそれはさておきと、仕切り直すように呟く……。
「勇者さまを送り出す先は、世界の名を【ヒューズ】その広大な海に根付く六つの大陸のうち二番目の大きさを誇る【デタラント大陸】――その南東に位置する【ランケル民王国】の三大都市のひとつ【臨海都市オーロン】となります」
「臨海都市オーロン……」
「きっと勇者さまも気に入るはずですよ? 北には国の王都があり娯楽品なども十分に入ってきますし、南に広がる大海原で取れた海鮮品は味も鮮度も良く絶品です。大陸での脅威ともいえる魔王軍領と面している西の森は、古くからエルフの住処となっていて決して破られることのない緩衝地帯として、民王国ひいてはオーロンを守ってくれています。そして、オーロンは陸路だけではなく海路からも多くの商人が訪れて賑わっている街でもありますが、それだけではありません。東には膨らむ遺跡群と未開拓地域には魔物や豊富な資源が眠っており、安全性はともかく荒事を得意とする人も実力さえあれば仕事に困らないでしょう」
前の世界では組んでいた仲間が仲間なだけにもっぱら冒険者家業で稼いでいた僕だ。今さら堅気の仕事でコツコツと稼ぐのも性に合わないから非常に助かる。
「それはおあつらえ向きというか、でも、魔王……? もしかして勇者案件な脅威が迫ってる感じですか?」
唯一不安を煽ってくる単語に小首をかしげる。
すると彼女は少し慌てた口調で、
「い、いえ、それはお気になさらいでください。確かに前の世界での邪神軍と類似した存在ではありますけど、オーロンに滞在している限りよほどのことがなければ魔王の脅威と直面することはないはずです。あの、ですので、ほんと、魔王軍と積極的に絡んでまたお尋ねものになるとかはやめてくださいね?」
「わかってますよ女神さま」
「――ああ、良かった」
「仲良くなった旅芸人に聞いたことがあります」
「はい……?」
「それって暗にやれっていうやつですよね」
「違いますからねっ!?」
重ねて僕が「わかってますから」という軽い口調で言うと、椅子のうえに鎮座するモヤが女神様の感情に呼応するように激しく揺れる。
「いや、冗談ですって。もう本気にしないでくださいよ」
「ほ、本当に冗談なんですか? もう他に管理している世界はないので、こんなことは今回限りなんですからねっ?」
「そ、そんなに本気で慌てないでくださいよ。ほんとに冗談ですから。……てか、そもそも僕が勇者って呼ばれるようになったり、ましてや邪神軍と戦ったりしたのだって、ルーシャンが“仲間”だったからって女神さまもわかってるでしょ? 僕自身の力なんて大したことないですから」
僕が【勇者】と呼ばれるほどの偉業を成せたのは、ふたつの理由がある。
まずは僕の持つ、“特異な能力”……ギフトと呼ばれる力。
ギフトは産まれてすぐ、または第二次成長期に発現する特別な力のことで、役に立つものからそうでないものまで様々だ。力の種類や強さもまばらな……さながら『神の気まぐれ』というべき才能であり力である。
とはいえ、百人にひとりくらいが授かっているもので、大きな街にいけばギフト持ちなど珍しくもないのだけども。
そして、僕が勇者に成れたもうひとつの理由かつ最大の要因は、僕のギフト――【模倣】を最大限に発揮できる“仲間”の存在だった。
「卑屈そうに言ってもダメですよ。勇者さまの『仲間の力を模倣し行使できる能力』はそれこそ神が仲間であればその力さえ行使できるとても強力な力なのです。以前の世界で強大な力を持った者――ルーシャンに見初められたときと似たようなことがヒューズでも起きないとは限りません」
「うぇ……いやなこと言わないでくださいよ。結局、邪神軍を撃退したのにあんなことになったんです。僕だってできるなら新しい世界では適当に稼ぎながらゆったり暮らしたいなって思ってますから」
「そ、そうですか。ほっ……よ、良かったです。世界の平和は使命を帯びたものに任せ、勇者さまは静かに……ほんと静かに暮らしてくださいね……?」
女神さまは安心したようにそう呟いたあとも、すぐに不安がぶり返したのか、「本当に大丈夫ですか?」「できることなら目立たず強者に目をつけられないようにしてくれると……」などとしつこく念を押してくる。あんまりに言ってくるものだから、
「女神さまそれって」
「だから違いますからね!?」
そんなふうに女神さまと楽しくお喋りしていると、女神さまは会話の流れを断ち切るようにコホンと咳払いをした。
「さて、あまり長々と勇者さまの魂をこの場に留めておくのもよくありませんね。すでに魂が浄化され、三、四年ほど若返っているようです。旅立ちを急ぎましょうか」
「そうですね、そろそろ、ん?」
今、女神さまはなんと言ったのか。
僕の耳が壊れていなければ若返るなどという世迷い言を口にした気がするのだが。
「あ、あの、女神さま、今なんて……? た、魂が浄化? 若返るって……?」
僕が恐る恐る問いかけると、彼女はなんでもない世間話をするような様子で語りだす。
「ええ、ちなみに異世界に移っていただく際に魂を参照して肉体を再構築しますので、この場所で時を過ごせば過ごすほど新たな世界では若返ることになるんです。まあ今のところは誤差のようなものですからお気になさらずとも」
「えぇ……」
「えっと、なにか問題でも? ああ、もしかして勇者さま……!」
女神さまは僕の困惑した様子が目に入っていないのか、からかうような声色で、
「もしかして上手に利用していい感じの年代まで若返ろうとか考えていますか?」
「い、いや、そんなことは……」
正直、少しは頭をよぎった。
とはいえ、数年ならともかく、ひとり歩きもままならない子供までは戻りたくはない。
「勇者さまがお望みなら好きなだけ若返っても構いませんけれど、肉体が大きく若返ると、引きずられる形で精神も……。元々が二十歳ほどの勇者さまですから、四、五年ならともかく、十年近く若返ってしまうと様々な影響も出てくることでしょう。あ、ちなみに私のおすすめは勇者さまが十二歳の頃ですね、どうですか?」
「どうですか? じゃないですから! そんなの聞かされて素直に頷けませんよ!」
というか、十二歳といえば僕にギフトが発生する一年前だ。
当然、背丈も低く、手足も細く短い。本当になんの力も持たない子供だった時期である。そんな状態で違う世界に放り込まれては、新たな世界で生きていける気がしない。
「ダメ、ですか……。冒険譚がなによりも大好きだった純粋な頃の勇者さまを見てみたかったのですけど残念です。あ、でも、こうして話を長引かせていればそうなる可能性も」
「や、やめてくださいねっ!?」
「うーん、どうしましょう。先ほどは勇者さまに散々からかわれたので、ここで仕返しというのも……ふふっ」
まさか本当にそんなことをしないとは思うが、イタズラっ子な声で笑う女神さまに肝が冷える。
女神さまの言う通り、十二歳の頃の僕は冒険譚が大好きな子供だった。
だが、なによりも恥ずかしいのは、本気で冒険譚の中のカッコいい英雄に憧れ、将来はそれに似たなにかになれると信じていたことだ。
「め、女神さま、あの、そろそろ異世界いきたいなーって。あの、いま何歳!? どれくらい若返りましたか!?」
「さあ、どうでしょうか。なにぶん女神の私でも正確に把握するのは難しいので」
先ほどまでとは打って代わり、すっかり会話の主導権が逆転していた。
焦燥感に駆られる僕の懇願に「どうしましょう」と仕返しとばかりに楽しげに笑う女神さま。だが、本気で僕を困らせるつもりはないのか、女神さまはすぐに「冗談ですよ」と楽しげな声で囁いて……。
「最後に」
「え?」
「もうひとりの問題児……ルーシャンさんについてお話しておきましょう」
そう言葉を切り出しながら、女神さまは、モヤの一部を腕のように伸ばして、真っ黒な空間をノックするように三度こずいた。
「結論から言えば、彼女はすでに勇者さまとは別の大陸の街に転移してもらっています」
「ま、まあ、そもそも始めから同じ場所に転移させられるとは思ってませんでしたから」
真っ暗闇な空間がひずみ、歪み始める。
「そうですね、本音を言うのならば、勇者さまだけを別の世界に移し、二度と出会うことのないようにしたかったのですが、彼女も紛うことない邪神軍撃退の功労者。そのような事情もあり、絶対ではないが勇者さまと出会う可能性が限りなく低い、別大陸の内陸のとある街に転移、という形に落ち着きました」
光と闇が混じり合って溶け合って――空間そのものから浮かび上がっているかのように、どこの屋敷の扉かと言いたくなる黄金の装飾が施された扉が現界する。
「ルーシャンさんには勇者さまの転移先の情報はいっさい告げておりません。ですが、ですがもし、勇者さまが先ほどの情報だけであっても彼女を探したいというのなら、私は止めはいたしません」
「僕がルーシャンを探す……? いやいや、そんなこと……」
正直、唐突の別れになんとも思わないわけではないが、再会したらしたで厄介事に巻き込まれるのが目に見える。
そもそも女神さまは僕とルーシャンを引き剥がしたいはず。だというのになぜ、わざわざそんなことを言うのだろうか――と、不思議に思ったのもつかの間。
「――って、おわあっ!?」」
女神パワーで現れた扉が僕の元に迫ってきた。
そして、捕食でもするかのように僕を呑み込んで――。
「では、勇者さま……いえ、偉大な功績あげた元勇者よ、あなたに新たな世界での良き出会いがあらんことを」
◆
「……時の流れに五年ほどの差。別の大陸を中継しなければたどり着けない遠く離れた大陸の内陸地。ふふ、彼らが出逢えば困るのは私自身だというのに、どうしてあのようなことを言ってしまったのでしょうか。やはり私はまだ若すぎますね……」
◆
クシャと、なにかを踏む感触と音。前の世界でも何度も何度も踏み潰した覚えのあるそれは、水と光を浴びて緑々と伸びた草花を踏む感触だった。
吐き出されるかのように扉から追い出され、僕の足が新たな大地を踏みしめる。
新世界に飛び出した両手が知らない風にくすぐられ、ひらけた視界になんてことはない極々ありふれた草原の光景が飛び込む。
「これが【ヒューズ】……! 別の世界……ッ!」
右見て左見て。空を見上げて、流れる雲に注視した。気持ちいいほどの快晴だ。
「ま、といってもいくらでも見た光景なんだけどね」
世界は代わっても結局はひとが住む世界ということなのか。劇的な変化は感じられない。しかし代わり映えこそしないそれが僕に安堵感を与えてくれるのも事実だった。
歩き出すと同時に貨幣の入った袋が音を立てた。腰のベルトに覚えのない金貨袋がくくりつけられていることに気がついた。どうやらこれは女神さまのお情けらしい。僕はさらなる安堵を覚える。
……本当は得物のショートソードや馴染みの防具も持ち込ませて欲しかったという文句を胸にしまい込む。
「――そんでもって」
なだらかな丘の先端からチラチラの覗き見えてくる人工物。
大地を噛み締めながら斜面を登ると、その全容が視界に収まった。
「あれが、臨海都市オーロン……!!」
僕の鼻先を、潮の香りの混じった風が優しく撫でた。
さあ、新しい世界での新しい生活の始まりだ。
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