34話・姉と妹(おわり)

「うわ、何かいっぱいいる」

 驚きと共に女性は素直に思ったことを口にしてしまった。室内を端から端まで見渡して、汗だくのまま男性教師に視線を向けた女性はホッと安堵する。


「意外。生徒達に好かれているのね。家では学校での話を全くしてくれないから知らなかったわ」

 生徒達に囲まれている男性教師の姿は何だか慕われているように見える。自分の弟の事を学校でうまくやっているのか、生徒達から邪険にされていないかと少なからず心配をしていた女性は安心したと笑顔を見せる。

 

「何だか面白そうなお姉さんだな」

 知的そうな見た目から、性格は勝手にクールだろうと決めつけていた九条がポツリと呟いた。男性教師が良く喋る方だから流石姉弟と言うべきなのか。見た目とのギャップが凄いなと呑気に感心していた九条に向かって男性教師は苦笑する。


「普段はクールな性格をしているんだけどな」

 男性教師が九条の言葉を訂正する。普段は、どちらかと言えば人に対して無関心。周囲の人達が悲鳴を上げ、逃げ惑うような場面に出くわした時でも、冷静に周囲を見渡して状況を把握し警察に通報しているような姉は、今まで取り乱した姿を人に見せたことは無いんだと思う。


 普段の姉貴はクールな性格をしているんだと、お姉さんのイメージを口にする男性教師の目の前で、視線を九条に移した途端ピタリと身動きを止めてしまった女性は目を大きく見開き唖然とする。


 どうやら、今まで室内に九条がいることに気づいてなかったようで、瞬く間に女性の顔から血の気が引く。青白い顔色になったかと思えば、直ぐに女性の顔は真っ赤に変化して、数分間の沈黙後一体何を思ったのか。


 目を白黒とさせて明らかにテンパっている様子の女性が、九条に向かって右手を勢い良く付き出した。


「あのっ! 私、片桐愛音かたぎりおとといいます。23歳、独身です」

 九条に深くお辞儀をする形の姉に向かって男性教師は興味津々。姉が九条の前でテンパり、激しく動揺している理由を知っている男性教師は九条に向かって勢い良く告げられた言葉を耳にして爆笑した。


「やめてくれ。腰に響く。笑わせないでくれ。しんどいから」

 声も途切れ途切れになりながら、痛みから涙目になる男性教師は仰向けに横たわったまま、荒い呼吸を繰り返す。


 ほのぼのとした雰囲気の中で、ケタケタと笑い声を上げはじめた妙子は腹を抱えて息苦しそう。激しく咳き込んだかと思えば、九条の前に佇んでいる女性の姿を視界に入れるなり、ブフォと吹き出した。


 理人と一条は人のテンパっている姿を見て笑っては行けないと考えて、何とか平常心を保とうとした。

 普段クールな性格をしていると男性教師から聞いたばかりだというのに、目の前で九条に向かって深くお辞儀をする女性は今まで心乱されるような激しく混乱をする経験をしたことがないのだろう。


 テンパっている人を笑ってはいけない。

 心の中で自分に言い聞かせていた一条と理人が、笑いをこらえるために目蓋を閉じると大きく息を吐き出した。

 しかし、何とも奇妙な笑い声を上げる妙子の笑い声につられて、一度は冷静さを取り戻した一条と理人がニヤニヤとし始める。


 女性から差し出された手を唖然としたまま眺めていた九条は驚きのあまりポカーンとした表情を浮かべていて、なかなか手をつかみ返して貰えないことに対して疑問を抱いた女性が恐る恐る顔を上げる。


 女性の視線が九条の顔をとらえて、しっかりと視線が交わったところで、素早く女性から視線を外した九条が吹き出した。

 一歩二歩と後ずさり、三歩目で男性教師のベッドに後退を阻まれる。小刻みに肩を揺らす九条は妙子みたいに大声で笑うような事はしないけど、頭を抱えるようにしてその場にうずくまる姿から、何となく冷静さを取り戻そうとしている事が分かる。


「片桐先生のお姉さん、随分と面白い性格をしているんだな。独身だと強調するから、一瞬だけど告白をされたかと思って頭ん中がフリーズしたし驚いた」

 深呼吸と主に、何とか素直な気持ちを笑うことなく口にすることが出来た九条が男性教師のお姉さんに視線を向ける。


「無事に体に戻ることが出来たんだな。安心した」

 男性教師のお姉さんも、大きく息を吸い込んで目蓋を閉じることにより冷静さを取り戻すことに成功する。


「ええ。迷惑をかけたわね」

 ポツリと呟かれた言葉は淡々としていて、これが彼女の本来の性格なのだろう。


「貴方に会うことがあったら、幽体離脱している時には出来なかった自己紹介をしなければいけないと思っていたの。名も知らない私の話を聞いてくれて、指定の場所までついてきてくれてとても助かったと伝えようと思っていたんだけど頭の中が真っ白になってしまって。ごめんなさいね」

 少し落ち込んでいるようにも見える。眉尻を下げてポツリポツリと弱々しい声で言葉を続けた女性は伝えたいことを伝えることが出来たためホッと安堵する。


 男性教師のお姉さんは隣街の女子高の教員だった。

 もしも、女子高に学園祭などで足を踏み入れることがあったら案内するわよと言葉を続けた女性に一条が反応を示す。

 女子高であっても学園祭は外部からの人の出入りも出来るのだと知った一条は、理人に行ってみたいなと声をかける。

 

 九条の通っている学校も学園祭の時は外部からの人の出入りが可能になる。一条や理人目当てに外部から高校の学園祭に参加する同年代の学生も少なくはないだろう。

 

 話の話題は既に秋に行われる学園祭へと移っていた。ここで、やっと落ち着きを取り戻した妙子が笑い疲れて男性教師の横たわっているベッドの上に腰を下ろす。


 和やかな雰囲気のまま病室内で話をする九条達は、面会時間終了の放送が流れ出すまで病院にいたようで、寮へと戻った九条は連絡も無しに外出をしていて遅い時間帯に帰宅した事を兄にこっぴどくしかられることになる。


 寮に戻るのが遅くなる時には事前に連絡を入れること。


 ピシッと九条を指差した九条先生は、ホッと安心すると徐々に顔がひきつりプルプルと小刻みに震え出す。


「ねぇ、一体いつから側に居たの?」

 唇を青紫にして、カチカチと歯をならす兄の姿を見て、背後を振り向くと、既に外は真っ暗。

 鏡に写った自分の背後に人知れず佇んでいた女性は血だらけ。腹部まである長い髪の毛が顔を覆い隠しているため、その表情を確認することは出来ない。


「あぁ。また連れてきてしまったのか。最近多いよな。気づいたら霊が背後にいること」

 まるで他人事のように考えを口にした九条は室内に霊がいることを気にした様子もなく寝る準備にとりかかる。


 霊が常に周囲にいて、気が向けばそばに寄ってくるし興味が無くなれば離れていく。そんな日常生活に慣れてしまっている九条は着替えを手にして浴槽へと向かう。


「また、明日学校で。おやすみ」

 呆然とする兄に向かって手を振る九条は、ここ最近兄に対して積極的におはようやお休みの挨拶をしたり、手を振ってバイバイとしてみたりすることが増えた。


「うん。おやすみ」

 弟にまた明日学校で、バイバイと手を振られてしまったため、しぶしぶと弟の寮から足を踏み出した兄がのんびりとした足取りで自分の寮へと向かう。


 既に窓から見える景色は真っ暗で、星空が一面に広がっていた。

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