28・姉と弟

 青年が救急車で病院に運ばれていく姿を、一切口を挟む事なく見送った九条は何かを決心したような、そんな表情を浮かべて移動する。

 男子高校生の背後に佇む男性の霊。悪霊に近い存在になっている霊の傍らに立ち、そっと霊の背中に手を添える。


 まさか、肉体を失った身体に触れることの出来る人物がいるとは思ってもいなかった男性の霊は、驚きと共に勢いよく背後を振り向いた。


 突然身体に手を添えられて唖然とする男性の霊は、九条が思っていたよりも落ち着いていて冷静な態度を見せる。

 感心したように九条に視線を向けた男性の霊は素直に思ったことを口にした。

 

 

 まさか、私を見る事が出来るだけでなく触れることが出来るとは。

 

「俺は何の事情も知らないからとやかく言うことは出来ないけど、このままだとあんたは悪霊になっちまう。もしも、悪霊になってしまったら……悪霊は不幸を引き寄せてしまうから、あんたの大切な家族にまで不幸が付きまとうことになる」


 見た目は不真面目そうな青年の言葉だけれども、青年の言葉を男性の霊は重く受け止めた。


 大切な家族に不幸が付きまとい、危険に晒されるのは嫌だな。

 そうポツリと思いを呟いて、顔を俯かせた男性の霊は空を見上げる。


 妻や子供達には未来があるから、邪魔をしたくはない。

 しかし、出来ることなら妻や子供達の行く先を見守りたい。

 それは叶わない願いであることは分かってはいる。

 

 妻や子供達を一目見たい。

 しかし、実際に目にしてしまえばきっと欲がわく。

 近くにいるのに妻や子供達に気づいて貰えない虚しさを経験する事になるかもしれない。

 

 何で私がこんな目にと思って嘆いてもどうすることも出来ない、状況が変わるわけではないから私が選ぶことの出来る選択肢は一つしかないんだろうな。


 分かってはいるけど、その選択肢を選べばもう妻や子供達には一生あうことが出来ない気がする。


 やり残したことは沢山ある。

 やりたいことも沢山あった。

 未来がないのは、こんなにも虚しい事なんだな。

 そうポツリと呟いて大きなため息を吐き出した男性は再び空を見上げる。


 妻や子供達は天寿を全うして欲しいな。

 自分の人生を生きて、もしもこの先現世では無理だろうけど顔を会わす機会があったら、その時はどういう人生を生きたのか教えて欲しいな。


 大きく息を吐き出して、男性の霊は再度空を見る。


「奥さんや子供さんに伝言は?」

 彼の奥さんや子供さんに会う機会があるかどうかは分からない。

 しかし、伝言を聞いていれば彼の奥さんや子供さんに会った時伝える事が出来るかもしれない。

 問いかけてみると、男性の霊は首を左右にふる。


 妻や子供宛の伝言を頼む資格は私にはない。


 私は怒りに任せて人一人巻き添えにして殺してしまっているから、間接的とは言え私のとった行動により集中力を乱して亡くなった方がいるのも事実。


 最後に一言。


 今さらああすれば良かったとか、こうすれば良かったと後悔しても遅いよな……あぁ、悔いが残るなぁ


 弱々しく思いを吐き出して、空から地面に視線を移した男性は目蓋を閉じる。

 数秒間の沈黙後、深呼吸をした男性が視線を上げて九条の顔をまじまじと眺めてから呟いた。


 何でも挑戦をしてみようと、行動を起こすかどうか迷った時、一歩踏み出す勇気も大事。でも、取り返しのつかない事柄に対しては踏み止まる決心も必要。感情的になっている間は何をしても上手く行かないんだと思う。貴方は気をつけて。


 息子の通う高校の制服とは違うけれど、学校指定の制服を身に付ける目の前の少年はきっと息子と同じ年頃なんだと思う。

 自分の子供と重ねて、ついつい目の前の少年に自分と同じ失敗を繰り返さないように、今後の長い人生の中で後悔をする場面が少しでも減るようにと願って、ついつい余計なお世話だろうけど助言をしてしまった。

 初対面に等しい相手からの言葉は必要が無かっただろうか。

 上から目線で嫌な奴と思われたかもしれない。


 早速自分の発言に対して後悔をしている男性の霊に向かって、九条は一言

「気を付けるよ」

 頷きと共に呟いた。


 天へ向かう男性は何度も背後を振り返った。

 自分の住んでいた街。

 自分の住んでいた家。

 職場や妻や子供達と行った思い出の場所。

 一つ一つ確認をするようにして、男性の霊はゆっくりと現世から去る。

 



 事故現場から少しはなれた位置。木陰に身を潜めて、息を殺していた人物がいた。

 

 あれだけの大事故でありながらコミニュティバスに乗っていた男子高校生が軽傷だったのは、数日前に事故で亡くなっていた兄弟の父親が庇ったため。


 心配そうに男子高校生と、救急車で運ばれていった青年を木陰から見つめている姿が九条の視界には入っていた。


 疲れきった様子の男性は木陰から一部始終を眺めていた。

 状況を理解することが出来たのかどうかは分からない。

 九条の視線から逃げるようにして姿を消した男子高校生の父親は、重傷を負った我が子の乗った救急車を追いかける。

 

 声をかけること無く無言のまま、男性の霊を見送っていた九条に背後から声をかける人物がいた。

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