8・まねかれざる客
壁に頬を埋めている場合ではない気がする。
何て考え事をしている間にも妙子がゆっくりと後退する。
その表情は真顔の為、笑ってごまかせる状況ではない。
全速力で駆け抜けて行った兄貴に、これを押し付けられた気もしない事もないが、ゆっくりと後退して来た偽の妙子から逃れるために今走って来た道を逆走する。
霊を引き寄せやすい体質である兄貴に押し付けられた偽妙子が、単に人を驚かせて楽しんでいるだけの幽霊であるならいいのだけれど……。
チラッと背後に視線を向けると、すぐそばまで寄っていた妙子の顔が目と鼻の先にあった。
にぱっと口を開き満面の笑みを浮かべる偽の妙子を何処で拾ってきたのか、今すぐにでも兄貴に問いかけたい。
開いている窓に手をかけると走る勢いをそのままに、床を蹴り校舎の中から外へ飛び出した。
もしも偽の妙子が学校内で亡くなった霊であれば、校内から抜け出すことは出来ないはず。
全力で走ったため、疲れきった体を正門に手を添えることで支える。
乱れた呼吸を整えて、大きなため息を吐き出すと俯かせていた顔を上げた。
すぐ目の前に迫っていた長いまつげ、ぱっちりとした大きな目が人の顔をじろじろと観察する。
「あら、もうギブアップなの? なんだ……つまんないの」
身動きをとれずにいた俺の姿を見て、クスッと鼻で笑った偽の妙子が肩を震わせる。
単なる悪戯好きの幽霊だったなら問題はないが、もしも目の前に浮かぶ偽の妙子が悪霊だった場合事態は最悪。
「本当はあの綺麗なお兄さんを連れていきたかったんだけど、仕方がないわね。貴方で我慢するわね」
右腕を掴みとると強引に足を進め始めた偽の妙子が悪霊であることはすぐに分かった。
向かう先にあるのは車の交通量が多い片側二車線道路。
正門を抜けるとすぐに交差点があり、長い縞模様が描かれている。
偽の妙子に腕を引かれるがまま横断歩道に侵入をすれば信号は赤だ。
どうなるかは簡単に予想することが出来る。
もしかしたら走行斜線を走る車は横断歩道に侵入した俺に気づき止まってくれるかもしれない。
しかし、追い越し斜線を走る車はどうだろうか。
車と接触することになるかもしれない。
もしかしたらはねられ地面に全身を強く打ち付けるかもしれない。
車の下へ巻き込まれてしまっては成すすべはない。
「待ってくれ。俺なんかを連れていっても何の解決にもならないだろうから。成仏しよう? この世に未練があるのならその原因を解決できるように努力をしよう?」
両足に力を込めて踏みとどまろうと試みるものの、力は偽の妙子の方が上。
決して未練の原因を解決する手伝いをすると言わないのは偽の妙子が悪霊だった場合、俺の命が危険にさらされるため。
「だから、心残りを無くそうとしてるでしょう」
目の前に迫った横断歩道を指差して笑顔で呟く妙子が一歩足を踏み出す。
信号は赤だ。
二歩目を踏み出すと目の前を行き交っていた車がピタリと止まる。
見れば車は停止線の直前で止まっており、再度視線を信号機に向ければ信号は青に変わっていた。
横断歩道を無事に渡りきると、すぐに煉瓦造りの建物が軒を連ねて並び立つ大通りに足を踏み入れる。
「何処へ向かっているんだ?」
平日の昼間と言うこともあり人通りは少ない。
偽の妙子は人には見ることの出来ない存在。
きっと近くに人がいたなら俺が独り言を呟いたように思っただろう。
しかし、すぐ近くを歩く人はいないため周囲を気にする事なく偽の妙子に声をかける。
「もうすぐ、着くわよ」
大通りから脇道へそれて、薄暗い路地を直進するとやがて視界は開け目の前に古びた洋館が現れる。
雑草がすくすくと成長し洋館の出入り口を塞いでいるところを見ると人が住んでいるとは思えない。
「呆然としていないで入るわよ」
偽の妙子には俺が呆然と洋館を眺めているように見えたようだけど、実際は唖然としていたわけで
「は? 不法侵入になるだろ」
無茶を言う偽の妙子に首を左右に振ることによって、敷地内に足を踏み入れることは無理だと伝えようとした。
「見ての通り廃屋だから人は住んでいないわよ。もともとここに住んでいた老夫婦が亡くなってからは使われないまま放置されてね……荒れ果てた状態になっているのよね」
だから、入るわよと言葉を続けた偽の妙子に、強引に腕を引かれる形で敷地内に足を踏み入れる事になった。
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