厭世主義者の俺は恋なんかしない。

@kisikanto1108

第1話 悲劇

俺は山口龍之介。突然だが、俺は世界が憎い。

俺は世界が憎悪に満ち溢れているようにしか感じられない。そう考えるようになったのも一つの不幸が俺に降り注いだからだ。まずそれについて話そうと思う。


俺は両親と三人家族で平凡な家庭だった。

その日俺は家族と出かけていた。珍しく父も母も酒を飲んでおり楽しそうに歩いていた。俺は二人の後ろを歩いていた。思春期特有の家族と隣を歩きたくないあれだ。

とっくに日は落ちていて、人通りの少ない通りを歩いていた。

二人は楽しそうにしていた。すると、何やら迫ってくる音が聞こえた。

特に気にもせず俺は歩いていた。

が、それはどんどん俺の耳に近づいてくるようだった。ふと後ろを振り返ると、車がものすごいスピードで走ってきた。法定速度など優に超えていただろう。

しかし、気付いた時にはもう遅かった。俺は反射的に横に跳んで回避したが、サイドミラーにかすり、壁に打ち付けられた。

そして、車は僕の目の前で両親を無残に轢いていった。その後のことは覚えていない。恐らく壁か地面かに頭をぶつけて気を失ったせいだろう。

ただ覚えているのは親がその無責任な車に吹き飛ばされた残酷な光景だけだった。

それは、全くの悲劇だった。やはり、人生は悲劇だ、そうとしか思えない。


俺は気付くと病院の一室にいた。絶望だけが俺を襲った。家族を目の前で失ったのだ。唐突の出来事で、頭が追い付かなかった。悲しみの感情が追い付かない。

ただ現状を認めるのに必死で気が狂いそうだった。車は飲酒運転で、酷く酔っぱらっていたらしい。

一時間ほどすると見舞いに人が来た。親戚や高校の同級生が何人か来た。

仲良くもないような人間も来た。そういったやつはいかにも自分が高尚な行為をしているかのような目をしていた。そして、綺麗ごとを並べて帰っていった。それに心底憎悪の念を感じたが、怒る気力も湧かなかった。それほど参っていた。

クラスの学級委員の夢川さん、という人も来た。その人も俺に対して何か憐れみの目を向けながら、病室に入って来た。

「山口くん、今は辛いと思うけど、乗り越えれば大丈夫だよ! 私の力になれることがあるなら何でもするよ!」

と言って帰っていった。君にできることは何もない。君には何もわからない。家族を失う悲しみは計り知れない事を知らないんだ。

彼女はクラスのマドンナ的存在でいつも場を和ませていたが、その時は彼女に心底うんざりした。

俺には幼馴染が二人いた。一人は星野明という茶髪のショートカットの元気な子。もう一人は石崎中也というよく俺にダル絡みしてくるバスケ部の男だ。

二人は同時に見舞いに来た。

「ご両親のことは本当に残念だよ。時間が解決してくれるかわからないけど、俺たちにできることがあったら言ってくれ」

と石崎が言葉を選ぶように言った。

「ああ。ありがとう」

「私もできることなら何でもするから。今は一人の方がいいよね」

と星野が言った。そして、二人は気遣うように病室から出ていった。二人の気遣いには少し感謝した。

一人になって向き合わなければいけなかった。

幸い俺は軽傷で済んだ。だがこの自分だけ助かった状況が俺には許せなかった。

一緒に道を歩いていれば、近づいてくる音に気づいて二人を助けていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。そういうたらればを考えては、意味のないことに気づきを繰り返していた。

俺は三日後に退院した。検査も異常はなかった。学校は春休みだったため。この後に学校がないことは唯一の救いだった。

俺は家に帰ると家から出られなくなった。飯を食べる量も減った。親戚の叔母さんが心配だからとご飯を作りに来てくれたがあまり手を付けられなかった。

途端に世界が自分に刃を向けているような気がした。いつ死ぬかわからない恐怖、死というものは唐突に訪れるというを身をもって理解した。恐らく、自分の目の前で人を亡くすということが一番死を認識する方法だろう。

俺は死にたくはなかったがこのまま生きるのも怖かった。

両親は物を持たなかったが、本は家にたくさんあった。遺品は本ばかりだった。

父の書斎には大きな本棚が三つほどあった。父は作家だった。父の作品は読んだことがなかったが、母が言うには面白いらしい。くすっと笑える短編小説を書いていた。

俺はやることもなかったので父の書斎を物色していた。

生前、父はよく俺日本の話をした。が、俺は全くのアウトドアで、ほとんど本など読まなかった。父は太宰治のある阿呆の一生という作品を愛していた。そして、侏儒の言葉という名言集みたいなのをよく読んでは、俺に進めてきた。父は、「龍之介にもいつか彼の言葉が分かるといいな。お前の名前も彼からもらったんだぞ。彼は苦しんでいたんだ、だからもう苦しまないでいいようにお前にこの名前を付けたんだ」と言った。

作家の人間が子供にそんな安直な名前を付けるのかと落胆していたが俺のためを思って付けてくれたのなら、と納得していた。だが、その時はなぜ芥川がそんなにも苦しんだのか知る由もなかった。

俺はふと芥川を読もうと思った。自分の名前の由来の人物を知ろうと思ったのだ。

そして、父は何を理解させようとしたのか、とても気になった。それに父の残したものはそれくらいしかなかった。そのくらい唐突に消え去ったのだ。

机の上にそれはあった。俺はある阿呆の一生を開いた。昔、一度父親に念を押され一読だけしたが全く意味が分からなった。が、今は俺の心にすっと言葉が入ってきた。

彼の苦しみが伝わってきた。これは彼の遺稿だったと言う。

彼も俺と同じで苦しんだのだ。俺とは違う苦しみを抱えていた。彼は人生という存在に苦しんでいた。逃れられないこの娑婆苦の世界に憎悪していた。

俺は自らの境遇をもってして彼を理解した。大事な人を亡くすのは苦しい。

どうせ失う人生をどう生きよう、いや、どうも生きられないのだ。

それから俺は食い漁るように本を読んだ。本棚に会った小説を片っ端から読んでいた。それは亡くなった家族を求めるように、残された自分の孤独を和らげるために、言葉の劇薬を期待して本を読み漁った。

「恋は罪悪ですよ」その言葉が非常に心に残った。

俺にとってそれは揺るがない事実だった。失う、ということは俺には耐えられないことだった。失うなら手にする必要もない。恋自体が諸悪の根源なのだ。

そうしていく内に三月は終わり新しい季節を迎えた。

俺にとってその春は希望の季節ではなかった。憂鬱で絶望しかなかった。俺は学校に行きたくなかったが、結局行くことにした。両親がそれで悲しんでしまうと思ったからだ。が、実際はどちらも同じことだった。俺にとってもう世界は特に意味を成していなかった。

俺は父の残した本よってなのか、世界の見方が変わっていった。気づけばほんの何週間で俺は厭世主義者になっていた。人の内面は意外と簡単に変わるのだ。

そして、四月、俺は何の期待も持たず学校へと進んだ。

やけに桜が舞う高校二年の春だった。

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