第10話

 太宰は、詠に知られたのをきっかけに、あっさりと「マフィアに捕まっていた」と白状した。そして、攫ったのが鏡花であることも判明した。

 鏡花は武装探偵社の一員として身を置くことになった。敦と同じ部屋に住まうことになったらしい。これは太宰の案である。

 太宰の帰還から数日後、非番の詠は街を歩いていた。


「おじさん、たい焼き、餡子で一つ」

「はいよ! 焼きたてあげるからちょっと待っとくれ」


 馴染みの店でたい焼きを買う。ここのたい焼きは皮がパリパリしていて詠のお気に入りだった。


「うん?」


 何かの回転音。大きな音が近付いて来る。

 空を見上げた。ヘリコプターだ。特に驚くこともないはずだが、随分低空飛行をしている。

 方角的には、探偵社がある方。そこに向かって高度を下げていく。


「……まさかね」


 探偵社にヘリコプターがやってくる意味がわからない。


「おじさん、ごめんなさい。たい焼きまた今度で!」

「えっ、ちょっと! 嬢ちゃん!」


 詠は走り出した。

 敦に懸けられた懸賞金。この問題がまだ解決していない。ポートマフィアならなんとかなる、きっと。いつもの強襲ならばだ。だが、それ以外の組織だとしたら?

 詠が駆けつけた時には、案の定ヘリコプターは社屋の前に停められていた。

 社屋から三人組が出て来た。――少女が、見知った麦わら帽子を投げ捨てたところだった。

 詠が足を止めると同時に、三人が詠に気付いて足を止めた。


「何か用かな、少女」


 金髪の男が云った。


「一つだけ」


 詠は落ちていた麦わら帽子を拾い上げる。


「……この帽子の持ち主、どこ行った?」

「あら、お友達だったのかしら」


 少女が前に出る。


「――じゃあ、一緒にいた方が楽しいわね。そうでしょう、アン?」


 既に詠には見えていた。

 この異能は――自分には避けられない。



 ***



 音が帰ってきて、詠は目を開けた。

 道路の真ん中で、大勢の人達と共に座り込んでいた。


「ここは……」

「詠さん!」


 呼ばれて目を向けると、谷崎とナオミがいた。その奥に賢治が。別方向を見れば敦がいる。


「助かったってことか」


 頭を掻きながら立ち上がる。


「ご無事でよかったですわ! お怪我はありませんか?」

「ナオミ! 先に自分の心配しなよ!」

「ナオミも捕まってたの?」


 谷崎達のやり取りを聞いて詠は首を傾げる。ええ、とナオミは頷く。


「詠さんと賢治君が行方不明になッて、探偵社大騒ぎだッたんですよ」


 谷崎が云う。

 話を聞くと、自分達がいなくなって、谷崎と敦、ナオミの三人が探しに街に出た。そこで、敵の襲撃に遭ったのだという。

 ナオミが先に捕まり、そして谷崎が。だが、異能で敦の援護を行って、敦は無事に敵に勝つことができた。


「敵ッていうのは、組合(ギルド)という北米の異能組織で――」

「もう、兄様ったら。先にお二人の無事を探偵社に連絡しないと」

「あ、そうか!」

「いいよ、自分で連絡する」


 詠は既に電話を開いていた。釦を押して社に電話する。事務員が出たら国木田にでも変わってもらおうと思った。


「あ、もしもし」

『詠くんかい!?』

「は? なんであんたが出るの」


 太宰が社の固定電話に出たところなど見たことがない。予知でもしていたというのか? 馬鹿な。


「谷崎と敦が解決して、敵は逃走。捕まってた人は全員無事。これから帰る。以上」


 簡潔に伝えて切ろうとする。


『そうかい――無事で、よかった』


 電話を切る指が止まった。


「……前から思ってたんだけど、あんたどうして――」

『代われ太宰! おい、詠! すぐに帰って来て報告をしろ! 会議室に直行だ! 非番のくせにどうして敵に捕まっているんだ馬鹿者!』

「……」


 詠は無言で電話を切った。


「賢治」

「詠さん。あっ、僕の帽子! 持っててくれたんですね!」


 お年寄りに手を貸していた賢治が振り返って笑みを浮かべた。

 ああ、うん。と言って、詠は被っていた帽子を賢治に渡した。


「あのさ……」

「はい」


 帽子を被る賢治は笑顔で詠の言葉を待つ。


「私だけでも、賢治を助けられるんじゃないかと、思った。けど、駄目だった。……ごめん」


 目を逸らしたまま、ぼそぼそと詠が云う。

 敵の異能は、詠が予知をしたところでどうにもならなかった。

 異空間の中での鬼ごっこ、と云えば聞こえは良い。だが、巨大な四方八方から現れる素早い人形から逃げられるだけの運動神経は、詠にはなかった。見えているのに、逃げ切れず、捕まった。

 ぱちぱちと瞬きをすると、賢治はにっこりと笑った。そして詠の手を取る。


「僕を助けようとしてくれたんですね。ありがとうございます」

「いや、助けられなかったから意味なくて……」


 詠が手を握られながら、目を合わせられずにいると、賢治は首を振った。


「いいえ。意味のないことなんてないんです。どんなことにも意味があります」

「……私が賢治を助けられなかった意味ってなに」

「できなかったことで、できたこともあるはずです」

「できたこと?」


 何だ? わからない。

 無言でいると、賢治はにっこりと笑った。


「僕達には得意なことと不得意なことがある。皆で協力しましょうってことです!」

「あ……」


 太宰が行方をくらまして、次に賢治が。自分がその場にいれば、回避できたのかもしれないのにと、自惚れていた。

 所詮自分には数秒先の未来を見ることくらいしかできなくて。賢治や敦のような物理的な力も無ければ、谷崎のような隠密行動もできない。

 できない。できない。できない。


「お前は価値のない人間だ」


 ――声が、聞こえた。もう聞こえないはずの声だった。


「……そうだね」


 そう云うのが精一杯だった。

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