第8話

 詠は事務所の隅で携帯電話を耳に苛立っていた。

 おかけになった電話は、電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため――そんな無機質な言葉を飽きる程聞いた。


「ったく……どこで水死してんのあの唐変木」


 太宰とこの数日連絡がつかないのである。寮にもいない。電話も出ない。ふらっと事務所を出て行ったのが最後、足取りがつかないのだ。

 詠はこうして暇さえあれば繋がりもしない電話をかけている。


「敦が拐われただと?」


 そんな国木田の声が聞こえて、詠は携帯電話をポケットに仕舞った。急いで帰って来た谷崎の情報だった。


「く……選りによって今か。先刻入った省庁幕僚の護衛依頼のせいで、社は上を下への大騒ぎだ。捜索に割ける人手がない」


 社内がばたついているのはそのせいだった。失礼の無いように事前準備に忙しい。詠はそんな忙しさから逃げて隅の方に居たわけであるが。


「敦の行先は掴めているのか?」

「目撃者によると、白昼の路上で襲われて貨物自動車(トラック)に押し込まれ……その後の行方は杳として……」

「……拙いな。連中は独自の密輸ルートを無数に持っている。人一人誰の目にも触れずに運ぶ位造作も無い」


 国木田が眉を寄せる。


「何とか助けないと、このままでは……」


 谷崎が云った時だった。


「助ける? なんで?」


 声をあげたのは乱歩だった。社員が慌ただしく動いている中で、ソフトクリームを片手に椅子に座って足を組んでのんびりとしている。


「彼が拐われたのは人虎とか懸賞とか、つまり個人的な問題からでしょ? ウチは彼専用の擁護施設じゃないし、彼も護って貰うためにウチに入った訳じゃない」


 そうでしょ? と乱歩は言う。


「でも、敦君は探偵社の一員で」

「……乱歩さんの云う通りだ」


 谷崎の言葉を遮って国木田が言う。


「俺達が動くのは筋が違う」


 ナオミが不満そうな顔をしたのを詠は見た。


「不満そうだね」

「不満ですわ」


 近付いて声をかけると、呆れたようにため息をついた。


「殿方っていつもそう」

「じゃあ、ここに然るべき裁定者を連れてくれば?」


 詠の提案に数秒悩んだナオミはぱっと笑顔になった。


「なるほど! 詠さん、ありがとうございます!」


 そしてぱたぱたと駆けていく。その後ろ姿を見て、男三人のやり取りに目を戻して、詠はため息をついた。

 ナオミはすぐに戻って来た。


「あのぉー。殿方の大好きな『筋』とか『べき』とかを百年議論して決めても良いのですけど……」


 すっと脇に避けて、ナオミは連れて来た人物を皆に見せる。


「代わりにこの方は如何?」


 そこにいたのは社長、福沢諭吉であった。


「社長!?」


 ぎょっとして思わず乱歩ですら姿勢を正した。国木田がさっと頭を下げる。


「申し訳ありません。業務が終了次第、谷崎と情報を集めて――」

「必要ない」


 福沢は数歩前へと出る。


「全員聞け!」


 そして声を張り上げた。


「新人が拐かされた。全員追躡に当たれ! 無事連れ戻すまで、現業務は凍結とする!」

「凍結!?」


 今まで幕僚の護衛任務の準備へと急いでいた全員がざわついた。


「しかし、幕僚護衛の依頼が……」

「私から連絡を入れる。案ずるな。小役人共を待たせる程度の貸しは作ってある」


 福沢は国木田をそう言って黙らせた。


「社長~善いのほんとに?」


 乱歩が不満げに云った。


「…………何がだ乱歩」

「何ってそのー、理屈でいけば」


 福沢はすっと乱歩を睨みつけた。


「仲間が窮地。助けねばならん。それ以上に重い理屈がこの世に有るのか?」


 厳しい言葉に、乱歩は怖気づいた。


「国木田」

「はい」

「三時間で連れ戻せ」

「はい!」


 こうしてあっという間に調査内容は幕僚護衛任務から中島敦捜索に切り替わったのである。

 詠はその様子を見ながら、携帯電話を握りしめた。


 探偵社社員が会議室へと集まっていた。


「誘拐を目撃した観光客が偶々撮影したものです」


 国木田が一枚の写真を提示した。貨物自動車(トラック)の上部の写真だ。その写真を福沢へと渡す。


「……有り触れた型(タイプ)だ」

「はい。車台番号(ナンバー)も偽造でした。しかし横浜でこの手の偽造業者となると限られます。心当たりの修理業者に賢治が当たった所、快く教えて貰えました」


 国木田が眼鏡を上げる。


「貨物自動車(トラック)の所有者はカルマ・トランジット。密輸業(ミュール)あがりの運び屋です」

「其奴らに聞けば輸送先が判る、か」

「はい。組織(マフィア)外で誘拐の全容を知るのは此奴らしかいません。谷崎が調査中です」


 ちょうど電話が鳴った。国木田の携帯電話だった。これから潜入する旨の連絡だった。だが、それは無残な結果となった。谷崎が見張っていた運び屋は、マフィアに先手を取られ、芥川の手によって皆殺しになっていたのだ。


「どうすンだい? 唯一の手掛かりが」


 福沢は写真を掴んで立ち上がると、やる気の無さそうな乱歩の元へと向かった。


「乱歩。出番だ」


 パサリと数枚の写真を乱歩の前の机に落とし、福沢が言った。乱歩はあからさまに嫌そうな顔をした。


「……やんないと駄目?」

「乱歩さん、ここはどうか……」


 国木田も頼み込む。


「乱歩。若し恙なく新人を連れ戻せたら――」

「特別賞与? 昇進? 結構ですよ、どうせ――」

「褒めてやる」


 ぴたり、と乱歩の動きが止まった。目を見開き、福沢を見上げる。


「そ――そこまで云われちゃしょーがないなあー!」


 乱歩は写真を片手に取り、眼鏡をかけた。

 『超推理』――乱歩の異能だが、実はこれを異能だと思っているのは乱歩と一部の事務員のみだろう。本当は彼はただの一般人。ずば抜けてという言葉では足りない程、頭脳の良い人間なのである。


「……敦君が今いる場所は――ここだ」


 乱歩が地図上を指差した。その場所は――


「海!?」


 まだ陸からはそう遠くはないが、確かにそこは海だった。


「速度は東南東に二十節(ノット)。公海へ向け進んで居る。死んではいない。今はね」

「船か!」

「輸送先は外国か」

「拙い……国外に運ばれたら手の出しようがない」


 福沢が着物の袖の中に手を入れた。


「港に社の小型高速艇が有る。今出せば間に合う」


 そして鍵を投げる。国木田がそれを掴んだ。


「私も行く」


 今まで黙っていた詠が立ち上がった。


「来い」


 二人は港へ向けて走り出した。



 ***



「視えるか詠!?」

「無茶云うな。私の眼は望遠鏡じゃない」


 けど、と詠は潮風に靡く髪を避けながら前方を睨みつけた。

 高速艇に乗った二人が沖に向かう。目の前に港を出たばかりの大型船があった。船上に人影が数人見えた。遠くて誰かはわからない。


「敦ィ!!」


 国木田が叫ぶ。

 その声に合わせたかのように、突如船が轟音をあげて爆発した。


「な――」

「これは爆薬固めて丸ごと爆破したって感じだね……」


 伝わって来る熱風に詠が云った。


「敦! 沈むぞ! 来い!」


 国木田が声を張り上げる。


「ちょっと。もう少し近づけられないの?」

「無茶を云うな。爆発のせいでこれ以上近づけば巻き添えを喰らう」


 敦が見える位置までやってきた。小型船を見下ろし、固まっている。


「敦! 此処だ! 爆発の所為でこれ以上近づけん! 跳べ!」


 だが敦は動かなかった。爆発は連鎖して続いていく。


「何してる阿呆が! 船が沈むぞ!」


 敦はそれでも動かない。


「この怒阿呆! どれだけ社に迷惑を掛ける気だ! 社員全員只働きだぞ! 早く乗れ!」

「彼女は――」


 敦の声が爆風に乗って届いた。鏡花のことだとわかった。


「あの娘は諦めろ! 善良な者が何時も助かる訳ではない! 俺も何度も失敗してきた! そういう街で、そういう仕事だ!」


 それはまるで、自分に言い聞かせるように。


「彼女は……助からない?」

「そうだ! 俺達は超人(ヒーロー)ではない! そうなら善いと何度思ったか知れんが違うんだ!」


 国木田は叫ぶ。詠はそれを黙って聞いていた。

 守りたかった市民を死なせた。国木田はそれを後悔している。今の敦に、過去の自分を重ねている。


「彼女は、僕と食べたクレープを『おいしかった』と。無価値な人間には呼吸する権利も無いと云われて――『そうかもしれない』と」


 生きる価値がない、と。彼女はそう云われ、それを認めた。

 敦と共に食べた、最後のクレープがおいしかったと、そう云って。


「僕は、違うと思う! だって太宰さんは――探偵社は僕を見捨てなかった!」


 敦は叫んだ。


「僕――行ってきます!」

「おい!」


 敦はこちらに背を向け、爆風の中へと消えていく。

 ふ、と詠は笑う。――なんて、羨ましい程の真っ直ぐさだろう。


「ああいう真っ直ぐなのは見捨てちゃ駄目だよ」

「わかっている」


 詠が笑いながら肩を叩くと、国木田が眼鏡を上げた。


「走れ敦!!」


 その声が、彼が走る背中を押す。

 爆音が絶えない。更に喧噪の音が加わった。破壊する音。破壊する音。繰り返される轟音のどれに敦が関わっているのかわからなかった。

 敦が消えて数分。ハッとして詠が顔を上げた。


「国木田、そのまま船に近づいてすぐに離れて!」

「なんだと」

「早く!」


 国木田が舌打ちをし、云われた通り船を走らせた。直後、船が大きく揺れ、甲板から敦を担いだ鏡花が降って来た。詠の云った通りに船を走らせたお陰で、ちょうどよく小型船の上に二人は落下してきた。詠が鏡花の方だけ抱きとめた。


「この大馬鹿野郎!」


 傷だらけで意識を失っている敦には聞こえない。

 国木田はふと笑う。


「よくやったぞ!」


 詠もくすりと笑う。


「起きてる時に言ってあげなよ」

「二度も云わん」


 こうして小型船は炎上する船から離れ、港へと戻って行く。

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