第7話

 敦が探偵社に少女を連れ帰って来た。

 与謝野と一緒に買い物に出た敦が、電車でマフィアの襲撃に遭い、その時に出会ったのだという。『三十五人殺し』と名の通った、ポートマフィアの暗殺者。名は泉鏡花。


「詠」


 詠が机で新聞を読んでいると、国木田が手招きしていた。詠は溜め息を吐いて立ち上がる。こう、怖い顔をしている時は、碌な用件ではないのだ。

 廊下に出ると、外出するから付き合えとのこと。そこには敦と、件の少女がいた。

可哀想に、と思う。こんな年端もいかない少女が、マフィアに暗殺要員として使われていた。殺害件数は急激に増えたため、市警も指名手配を行っている。すぐに顔も割れて捕まることだろう。


「どこ行くの?」


 後ろを歩く敦と鏡花には聞こえないように、詠が隣の国木田に問う。


「橘堂の湯豆府が食べたいのだそうだ」


 国木田が答える。


「は? あの老舗高級料理店の?」


 詠が眉を寄せると、国木田は不機嫌そうな顔で頷いた。


「私は払わないよ」

「俺もだ」


 ちらりと後ろを見る。敦が何かと鏡花に話しかけていた。……払う金は持っているのだろうか。


「お前を連れて来た理由はわかっているな」


 国木田に言われて詠は顔を戻す。


「わかってる。何かあればすぐに対処しろってことでしょ」


 詠の異能であれば、万が一鏡花が何かしようとしたとしても事前に察知できる。護衛に適役なのだ。国木田とはこうして手を組むことがある。攻撃要員は主に国木田が、索敵を詠が行う。


「子供だからと躊躇うなよ。相手はマフィアの三十五人殺しだ」


 国木田が神経質に云う。詠がもう一度後ろを見た。


「……大丈夫だと思うけどねえ」


 彼女が危険だとは思えないのだった。



「それで?」


 橘堂に着いて望み通り湯豆府を食べた鏡花に、国木田が話を促した。

 鏡花は箸を置いて、真っ直ぐに三人を見た。


「両親が死んで孤児になった私を、マフィアが拾った。私の異能を目当てに」


 鏡花は携帯電話を差し出す。兎のマスコットがついた電話だ。


「『夜叉白雪』はこの電話からの声にだけ従う。だからマフィアは――」

「それを利用して暗殺者に仕立てた、か」


 国木田が納得したように言葉を続ける。十代半ばにも満たぬ程の年齢でそんなに人が殺せるものかと思ったが、異能の相性が悪かったのだろう。簡単で強力な異能を目当てに、マフィアに使われることになってしまったのだ。


「じゃあ、携帯電話を捨てれば……」

「逆らえば殺される」


 敦の言葉に鏡花は首を振る。


「それに、マフィアを抜けても行く処がない」


 孤児で拾われたと言った。マフィアを抜けたところで、人を殺したことに変わりはない。行く処はないだろうな、と詠も思った。


「電話でその夜叉を操っていたのは誰だ」


 国木田が問う。


「芥川という男」


 芥川。その名は、この世界で生きていく為に覚えておくべき名だ。港を縄張りにする兇悪なポートマフィアの狗。殺戮に特化した異能であり、軍警でも手に負えない男。「会うな。会ったら逃げろ」と、詠も探偵社に入ったばかりの頃に国木田に聞いた。

 そうして、何か話すために国木田は敦を連れて部屋を出た。

 残された詠と鏡花は無言だった。詠は数秒先を見る。鏡花は何もしない。脅威はない。


「マフィアは楽しい?」


 詠が問いかけた。鏡花はふるふると首を振る。


「マフィアは私を利用しているだけ。私の居場所なんて、ない」


 それに、と鏡花は続ける。


「――もう、一人だって殺したくない」


 そう言って鏡花は俯いた。

 彼女がいくらそう思っていても、世間は彼女を許さないだろう。人を殺した事実は変わらない。ポートマフィアにいた事実も変わらない。


「嫌だよね、異能」


 詠が言うと、鏡花は顔を上げた。


「こんなもの持たなければよかったのにって、今でも思う」

「……あなたは、どんな異能者なの?」


 鏡花に問われて、詠はふっと笑みを浮かべた。


「秘密」


 国木田と敦が戻って来て、帰るぞ、と国木田が言った。鏡花への警戒は解除するのだろう。

 敦と鏡花を置いて、先に二人は探偵社へと戻ることになった。


「あの娘を軍警に引き渡すよう、敦に伝えた」

「そう」


 詠は短く返した。

 無言。国木田がちらりと詠に目を向ける。詠は無表情だ。


「……俺にも、数年前まで面倒を見ていたあのくらいの子供がいた」


 詠が顔を向ける。


「その子、どうしたの?」

「死んだ」


 そう、と詠はまた短く返した。


「『蒼色旗の反乱者』の事件を知っているか」


 国木田は話を続けた。詠は頷く。


「少しだけ。政府施設を狙った襲撃や破壊事件を行っていた反乱者でしょ?」

「ああ、そうだ。国内の単独犯罪者としては規模、影響共に大戦後最悪の反乱者と云われた」


 数年前、詠が探偵社に入る前の話だ。新聞でもテレビでも連日ニュースをやっていたから知っているだけ。大して興味はなかったから、詳細には覚えていない。


「探偵社が追跡の末に市警に報告を入れ、その結果、突入した警官が首謀者の自爆に巻き込まれて死んだ。……面倒を見ていたのは、その時に父親が死んだ子供だ」

「どうして国木田が面倒を見る必要があるの」

「市警に連絡を入れたのは俺だ。だから、その責任があると思った」


 その電話一本で、子供の父親が死んだと。国木田はそう信じていたのだろう。


「そして、首謀者の『蒼王』には共犯者がいた。……恋人だ。彼の恋人の女性は、とても賢く、犯罪に関する知識があった」

「やけに詳しいね。その人、どうしたの?」


 聞かなくても、この話の流れで答えは予想できた。


「死んだ。その子供に、父親の復讐に撃ち殺された」


 まるで目の前で見たようだと思ったが、詠は黙っていた。


「わかるか。俺達は英雄ではない。誰も死なない世界を、皆が幸せな世界をいくら夢見ても、そんなものは叶わないのだ」

「いつも理想がどうとか云ってる割りに、夢は見ないんだ」

「俺の理想は夢ではない」

「まあ、どうでもいいけどさ。……それ、あんたが自分に言い聞かせてるように聞こえるんだけど」


 一瞬の沈黙。


「俺は現実を語っているだけだ」


 国木田はそう答えた。ふうん、と詠は相槌を打つ。


「じゃあ、生きる価値のない人間、ってわかる?」

「なに?」


 今度は国木田が詠に顔を向けた。詠は正面を見て歩いている。


「そうやって言われ続けるんだ。『お前は価値のない人間だ』って。するとどうなると思う?」


 無表情のまま、国木田を見上げて詠は続ける。


「生きるのも死ぬのも、どうでもよくなっちゃう」

「……お前は、そうやって育ったということか?」

「誰も私の話だなんて言ってない」


 詠はまた正面に目を戻して続ける。


「あの子はきっとそれ。自分に暗殺以外の価値はないと思ってる。そう植え付けるのに三十五人は充分な数だ。きっと自分が生きることも死ぬこともどうでもいい――あるいは、死んだほうが世間の為だとでも思っている」


 彼女は云った。「もう、一人だって殺したくない」と。それがきっと、彼女の唯一の本心だ。それ以外には何もない。空虚。先程話をしてそう感じた。マフィアを抜ければ殺されると云いながらも、自分の命を大事にしようという気が見えない。


「……どうしろと云うのだ」


 唸るように国木田が云った。


「さあてね」


 足取りが遅くなる国木田を追い越して詠は云う。


「ねえ、国木田」


 詠は振り返った。感情の読めない表情で云う。


「一切の悪も犯したことのない人間が、なんの罪も背負わない人間が、この世に一人でもいるのかな」


 自分は、いるとは思わない。


「そういえば、太宰と連絡ついた?」

「知らん、何処ぞの川でも流れているのだろう」

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