第6話
「七十億の懸賞金? 景気の良い話だね」
そう言って詠は珈琲を飲んだ。
事は数時間前。一人の依頼人が訪ねて来た。その女こそ、この横浜の夜を牛耳るポートマフィアの人間だったわけだ。罠に嵌った敦達はそこで、芥川という人物と出会う。谷崎とナオミが重傷。敦は七十億の懸賞金のため生け捕りにされるところだった。芥川と人虎と化した敦が戦う。そこを太宰が仲裁して三人を連れて帰って来た――というのが本人の弁である。
「敦は?」
「寝台で休んでいるよ。国木田くんが看てる」
「谷崎とナオミは?」
と訊いたところで、事務所に響き渡る程の悲鳴が聞こえた。谷崎である。
「治療中か」
詠は納得した。
「ところで? あんた芥川と遇ったんでしょ? よくのうのうと無傷で帰って来れたね」
「まるで私に大怪我して欲しかったような言い様だね?」
太宰も持ったままだった珈琲カップを傾けた。
「まあ、運が良かったのさ。それだけの話だよ」
「本当にそれだけ?」
ぴたりと太宰はカップを口元で止める。互いに見つめ合う事数秒。
「それ以外に何が?」
太宰がにこりと口元に笑みを浮かべた。
はぁ、と詠はため息をつく。何かあったとしても吐きはしないだろう、この太宰という男は。
ガチャリと音がして二人が目を向ける。医務室にいた国木田が戻って来た。
「やあ国木田君、敦君は目が覚めたのかい?」
「ああ」
応えながら、国木田は何やらおかしな動きをしている。足下のゴミ箱に蹴躓く。ソファにぶつかる。自分の机の椅子に引っかかる。
「……何してんの?」
詠が問いかけた。
「いやな。俺の眼鏡が見当たらんのだ。お陰で何も見えん」
国木田はほとほと困ったようにため息をついた。詠と太宰は同じところを見る。
それは、国木田の頭の上にあった。
詠と太宰は目配せする。狙っているのか? 否、あの真面目な国木田がそのような事をするはずがない。であれば、本当に気付いていないのか? 馬鹿な。そんな古典的な事があってたまるか。
「……国木田君。その頭の上にあるのは?」
太宰がついに問いかけた。国木田はハッとして頭の上に手を載せた。その手に捕まれて漸く眼鏡があるべき場所に戻った。詠と太宰は笑いを堪えて震えている。声を抑えようとも抑えきれずに笑いが零れる。
「ええい! 笑いたければ笑え!!」
国木田は顔どころか耳まで真っ赤にしていた。
「それより、忙しくなるぞ! お前達しっかり働けよ!」
「何かあるの?」
笑いすぎて泣いている詠は涙を拭いながら訊いた。
「小僧が狙われているのであれば、社が狙われる事は必至。最低限の被害で抑えられるように片付けをせねばならん」
手帳を確認して、国木田はよしと片付けに入った。重要な書類を他の階に移すのである。ぼんやりと珈琲を飲みながらてきぱきと働く国木田を見ていると、手伝えと怒られてしまった。
「では、私は退散するとしよう」
太宰は珈琲を飲み干すと、るんるんと探偵社から出て行った。川にでも流れに行ったのだろうなと詠は珈琲を飲みながら思った。
***
それは突然だったが、ある意味では読めていた事態だった。
バンッと大きな音がして事務所の扉が弾け飛ぶと同時に、黒づくめの男達が銃器を持って押しかけて来た。
「何ッ……」
「失礼。探偵社なのに事前予約(アポイントメント)を忘れていたな。それから叩敲(ノック)も」
最後に入って来た初老の紳士がそう言った。ポートマフィアの戦闘集団、『黒蜥蜴』であると誰かが呟いた。
「大目に見てくれ。用事はすぐ済む」
銃声が響いた。
そして、悲鳴が続いた。
――その悲鳴は押しかけて来た男たちのものだった。
彼らはただの探偵社と嘗めていた。銃でも撃とうものならたちまちに皆殺しであると信じていた。だが、それがそもそも間違いだったのである。
武装探偵社。その名の通り、彼らとて何も頭だけを使っているだけではない。
国木田が、賢治が、そして詠が男達の銃弾を掻い潜り、腕を捻り、足を掛け、床に叩きつける。
「やめろっ!」
そう言ってしばらく見なかった敦が事務所に飛び込んで来た時には、全てが片付いた時だった。
「おお、帰ったか」
国木田が敦を見つけて声をかける。
「勝手に居なくなる奴があるか。見ての通りの散らかり様だ。片付け手伝え」
ゴキッという音と共に国木田の下に敷いている男が悲鳴をあげた。
「国木田さーん。こいつらどうします?」
「窓から棄てとけ」
賢治の問いに国木田が答えた。賢治ははーいと返事をして、黒づくめの男達を窓からぽいぽいと棄てていく。
「これだから襲撃は厭なのだ。備品の始末に再購入。どうせ階下から苦情も来る。業務予定がまた狂う」
そう言って国木田はため息をついた。
「しかしまあ、この程度いつものことだがな」
「詠さんは階下の皆様への手土産を買いに行ってきます」
「あっ、貴様、詠! 片付けから逃げるな!」
するりと国木田の手をすり抜けて、詠は探偵社の財布を持ってすたこらと外へと出ようとする。そのすれ違い様に詠は唖然として動けない敦の肩を叩いた。
「よくある事だ。気にするな」
そう言って、詠は外へと出て行った。
前回は洋菓子だったから今日は和菓子が良いかなあと考えながら、詠は買い物へと繰り出したのだ。
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