第2話 私と橙

「うーん、違うなあ……」

 私は画用紙に色を塗っていた。

 クレヨンで塗ってみた。

 色鉛筆で塗ってみた。

 絵の具で塗ってみた。

 でも、だめだった。どの青も、空の色には程遠い。

 画用紙をびりびりと破いてゴミ箱に捨てる。

 この地下都市と呼ばれているところは、端から端まで歩いて半日かかるくらいの広さがある。家を含めて、大抵のものは土で出来ていた。陶芸で生計を立てている人は多い。畑だってある。家畜だっている。食料に困ることはない。水は街を流れる川の水や井戸水を使っていた。

 そんな街が、大昔に誰かが地面に掘って造られたものだとジャンさんは言った。

 図書館に行って歴史の本を探した。歴史の本には、人々がどうやって生活してきたか、どうやって街を発展させてきたかが書いてあった。違う。私が欲しい歴史はそれよりももっと昔の話だ。司書さんにもっと昔の本が欲しいと言っても、理解して貰えなかった。

 やっぱり昔の話を聞くには、あの人達に会うしかないのだとわかった。どうして昔の人が地下に逃げなければいけなかったのかが知りたい。どうして私達はあの綺麗な青空の下で生活できないのかが知りたい。この世界が球体だとかわけのわからないことを言っていたのも気になる。

「でも来るなって言われたしなあ……」

 一度気になってしまったものは気になってしまうし、忘れろと言われても忘れることなんて出来やしないどころか、余計気になってしまう。

 もう一度行くか? マスクならある。目が痛いのは我慢しよう。

 ただ、来るなと言われてしまった。行けば怒られるだろうか。

 うーん、と唸りながら歩いていると、パン屋の前で長身で変なパーカーを着た人を見つけた。フードまで被っているから間違いない。

「ネコさん!!」

「うぐ!?」

 勢いよく腕にしがみつくと、ネコさんは驚いた顔をした。マスクは顎のところに下していた。パンをいくつか買ったようで、一個は既に口の中に入っていた。

「んぐ……アリス、びっくりした」

 パンを咀嚼しながらネコさんが言う。

「ネコさん! 私、もう一度地上に行きたい!」

「しーッ!!」

 顔を近づけて人差し指を唇に当てられた。

「ジャンに言われなかったか? 忘れろ」

「無理です」

 私はきっぱりと言った。ネコさんは眉を寄せる。

「むぅ……意外に頑固なやつだ」

「私、あの空が忘れられないの。青でいっぱいの空。クレヨンで塗っても、色鉛筆で塗っても、絵の具で塗ってもだめだった。あの空の青じゃなきゃだめなの。ねえ、ネコさん!」

 捲し立てる。ネコさんは困ったように眉を更に寄せた。

「でもなァ……地上の存在は、地底民は本来知らないはずなんだぞ」

 ネコさんは食べかけのパンをもぐもぐと食べながら言う。

「でも知ってしまったもの。この街の上にも世界があるって知ってしまったもの」

 知ってしまった。違う世界があると知ってしまった。その衝撃は計り知れるものではない。例え忘れろと言われても無理なのだ。ジャンさんが言っていた。好奇心は毒だ。私はその毒を飲んでしまった。飲む前には戻れない。

 ネコさんはしばらく悩んで、ふと気づいたように表情を変えた。

「わかった。連れてく」

「ほんと!?」

「ただし地上に出るだけ。出たらすぐ帰る。いいか?」

「いい! ありがとうネコさん!」

 ネコさんやジャンさん達にもっと地上のことを聞きたかったけど、今はとにかくもう一度あの青い空を見たかった。

 ネコさんの後をついて歩く。今となっては、あの出入り口がどうしてバレないのかが不思議に思ったけれど、十五年住んでいる私が気にした事の無い壁だったのだから、誰も気が付かないものなのだろうと思った。

 ネコさんが周囲を確認しながら壁の回転扉を開ける。私が先に入って、ネコさんがその後に続いた。

「まったく……バレたらネコが怒られる」

「ごめんなさーい」

 私は先に階段を上る。ネコさんはのそのそと上っているようで、だんだん距離が離れて来た気がする。私は逆に軽快に上っていた。空が見れる。青い空が見れる。

 同じ事は繰り返さないぞと思って、だいぶ高くまで上ってから私は頭の上に手を当てた。そうすると、ぴたりと蓋に手が触れた。両腕で蓋を押し開けた。

「……あれ?」

 外に出る。空が、青くなかった。

「空はいつも青いわけじゃない」

 ネコさんが後ろから外に出ながら言った。

 空が橙色に染まっていた。青くなかった。青くなかったけど、とても、とてもきれいな色だった。

「夕暮れ時になるとこうなる事もある」

「ゆうぐれどき?」

 聞いた事の無い言葉だった。ネコさんが、ああ、そうか、という顔をする。

「昔の言葉だった。地底民は日が暮れないから知らないのだ」

 ふむ、とネコさんは一人納得した顔をした。

 ネコさんは橙色の中で、一番眩しいところを指差した。

「あれを、太陽と呼ぶ」

「たいよう?」

「昔の地上の人間は、太陽で時間を表した。太陽が暮れる頃を、夕暮れ時と呼んだりする」

「どうして太陽で時間がわかるの?」

 ネコさんは困った顔をした。

「……それは説明難しい。朝と昼と夜は、太陽の場所違う。それだけ覚えるといい」

「太陽は移動するの?」

「……する……ような動きをする」

 私はわけがわからず首を傾げた。移動するような動きをする。意味はわからなかったけど、時間によって太陽の位置が変わることはわかった。そして、夕暮れ時という今くらいの時間には、空は青ではなく橙色になるのだ。

「ねえ、どうして色が青から橙色に変わるの?」

 ネコさんは次のパンを食べようと紙袋を漁っていた。そして眉を寄せる。

「ネコも詳しい事知らない。その辺はジャンが詳しい」

「ジャンさん、何でも知ってるんだなあ」

「ジャンは博識。サギも同じ」

 そういえば、と思う。あの白髪のお兄さん……サギさんとは後ろ姿を見て以来出会っていない。

「サギさんはあまり出て来ないの?」

 ネコさんは頷いた。

「サギは引きこもり。外出ない。だからアリスが会ったの、運がいい」

 そんな運が良い時に、運良く地上に出られて、運良く青い空が見られたんだ、と思うとサギさんに感謝するしかないと思った。もし会うことがあったらお礼を言わなきゃならない。

「空、青くないのわかった? じゃあ帰る」

「はぁい」

 私はもう一度橙色の空を見た。……うん。青い空も良いけど、この空も十分きれいだ。

 ネコさんにさよならをして、私は地下都市に帰るために階段を下りた。また図書館に通わなければならない。太陽が時間を表す。太陽は移動するような動きをする。そんな事を書いた本はあるだろうか。階段を一番下まで降りて、周囲を確認して外に出る。

 地下都市は何時になっても同じ明かりだった。天井に光苔が張り付いているからだ。地上程までいかなくても、十分明るい。そこまで考えて、この地下都市は変化が少ないのだということに気が付いた。地上は時間が変わるだけであんなにも色を変えるというのに、ここは常に一定だ。

「なんか、つまらないなあ……」

 もしかすると、ネコさんやジャンさん達は、ここがつまらないと感じて外に出たのかもしれないと思った。

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